大学入試にも影響、「高校授業料無償化」の副作用

東京都が2024年度から所得制限をなくした高校授業料の実質無償化政策。この政策は「教育費負担の軽減」を掲げているが、現場では意図せぬ副作用が生じている。「勉強を早くやめたい」というネガティブな動機から私立高校を選ぶ中学生が急増しているのだ。

東田高志(ひがしだ・たかし)
高校受験塾の講師、教育系インフルエンサー
「東京高校受験主義」のアカウント名で首都圏の受験情報を発信。Xのフォロワーは5万人(2025年2月現在)に上る。学校と塾の変化を見続け、小・中学生を教えてきた塾講師。フィールドワークとして都内各地の公立中学校や都立高校を訪問し、区議会議員とのコラボイベントも開催
(写真:本人提供)

都内の多くの私立高校では、中学3年生の11月に単願入試が実質的に終了する。この時期の「仮内申」と呼ばれる成績を基準に、合格が事実上確定するためだ。私立単願組の生徒は12月から翌年4月の入学式まで、約4カ月間を「勉強から解放された時間」として過ごすことになる。

中学生にとって、早期に受験勉強から解放される私立単願は魅力的だ。保護者も、授業料無償化が後押しとなり、「同じスタートラインに立てるなら、早く楽に終わる単願入試を選べばいい」と、合理的に捉えるのだろう。

しかし、学力保障という観点では深刻な問題を引き起こしている。高校受験における12月から2月は、学力が飛躍的に伸びる重要な時期だ。とくに学力中位から下位層の生徒にとって、この時期の過ごし方は後の大学進学の可能性を大きく左右する。私の塾講師としての経験からも、努力を続けた生徒と早期に勉強をやめた生徒との間には、学力の差が如実に現れる。

苦い記憶がよみがえる。中学2年生の冬に塾に入ったBは、当初は全科目で平均点を下回る成績だった。入塾後は学力を立て直し、都立高校合格が見えてきたが、遊び仲間から「私立単願にすれば勉強をやめられる」とそそのかされ、急に方針を転換して塾をやめてしまった。

「勉強が大変なことになっている」と保護者から相談を受けたのは、高校1年生の秋頃のこと。入学直後に受けた学力診断テストは惨憺たる結果で、立て直したはずの基礎学力が崩壊していた。本人は「12月から3月までは私立単願組のクラスメイトと毎日遊び放題だった」と振り返り、「頑張りたいけど、勉強していない時間が長すぎて気力がわかない」と漏らした。

入試形態別の追跡データを分析しているという私立高校の先生も、こっそりこう打ち明ける。

「都立高校受験組と私立単願組では、大学進学時に明確な差が出ています。一般入試でも指定校推薦でも、高校受験期に最後まで勉強していた生徒が有利です」

生徒も保護者も、こうした事実を知らない。

私立高校が単願制度を維持するのは、「学力」ではなく「生徒数の確保」が経営上の最優先事項だからだ。とくに中堅以下の私立高校は、無償化政策の恩恵を受けることで経営優先の姿勢を強めており、学力保障という本質的な視点が抜け落ちている。

日本維新の会が掲げる「教育無償化」政策は教育の機会均等を目指すが、先行する東京都では、実際には「勉強回避のスキーム」として機能してしまっている。東京都の教育現場で起きているこの変化は、全国で起こり得る課題の縮図でもある。政治に関わるすべての人たちに、この現実を直視してほしい。

最先端の授業や豊富な指定校推薦枠、注目の都立高とは?

メディアも都立高校を取り上げる際は、日比谷高校の東大合格者数や国際高校の海外名門大学への進学実績といった進学校の企画に集中しがちだ。こうした報道は「有名都立高校に入学できるならよいが、そうでないなら不安だ」という空気を生み、中学受験熱をあおるとともに、安易な私立単願への流れを助長していると感じる。

だからこそ、あえて主張したい。「勉強が得意ではない普通の子こそ、都立高校ルートを選ぶべきではないか」と。学力中堅層以下の私立単願が増えた今、都立高校を選択することの意味と優位性を見直すべきだ。

都立高校の魅力を日々発信している東田氏のXアカウント
(写真:Xより)

昨年、府中市の都立農業高校を訪問した。同校初の塾対象説明会だったというが、参加者は私を含めてわずか3人。進学校として認知されていない同校は、受験業界ではほとんど黙殺されているに等しいのが現状だ。

しかし、同校の現実は私の固定観念を覆すものだった。世界最先端の「スマート農業」を教育に取り入れ、広大な農園には気象センサーを設置、データはクラウドで管理している。生徒たちは1人1台のタブレット端末を駆使し、データ分析や仮説検証に取り組む。

早稲田大学理工学術院先進理工学部との連携による大豆栽培研究、東京農工大学との稲の栽培実習、さらにはオーストラリアでの循環型経済視察や英語プレゼンテーションなど、国際的な学びの場も提供されている。

注目すべきは進路実績だ。こうした都立専門高校は、かつては「職業高校」として扱われていたが、今や大学指定校推薦枠が大幅に拡充されている。

例えば、都立園芸高校(世田谷区)からは例年、大学進学者の3割から4割が東京農業大学へ総合型選抜や指定校推薦で進学しており、実質的に「半附属校」ともいえる存在だ。同大の一般入試合格者数ランキングに目をやると、桜美林、小松川、桐蔭学園、成城、朋優学院といった普通科進学校が並ぶが、農業高校の生徒たちがこれらの普通科進学校と肩を並べることができるのは、専門教育で培ったモチベーションと実践力が評価されているからである。

同校の元校長は、「大学入学後の成績が優秀で、早期から専門教育を受けた生徒たちは、大学の実習でもリーダーシップを発揮します。だからこそ、大学側も高く評価してくれているのです」と語る。

何よりも印象的だったのは、実習に打ち込む生徒たちの目の輝きだ。普通科の授業ばかり見学している私にとってはカルチャーショックだった。

東京都には、こうした穴場の専門高校が網の目のように存在している。科学技術科では大学並みの設備を活用し、国公立大学の総合型選抜や理工系指定校推薦枠が充実。商業科は商学部や経済学部への進学ルートが強固で、工業科は四工大などの中堅理系大の推薦枠を多数保有する。

都立飛鳥高校や都立千早高校のような、中堅高校からでも海外大進学が可能な国際系・語学系高校もある。都立大島国際海洋高校では大型船を所有し、実習に活用するなど、ユニークな教育内容が展開されている。

こうした“個性に全振り”の専門高校は、進路がまだ定まらない12歳で選ぶ中高一貫校には存在しない。進路の展望がより明確になる15歳の高校受験ならではの多様性だ。

「私立高校よりも指定校推薦枠を取りやすい」

学力中位層以下にとって、指定校推薦は大学進学希望者の重要な指標になっている。その実情をよく知る、ある地元塾の先生はこう指摘する。

「正直に言うと、私立高校よりも都立高校のほうが指定校推薦枠を取りやすく、大学進学で優位に立てる場面が増えています」

この言葉を裏付けるデータがある。都内最大規模の模擬試験「Vもぎ」(進学研究会)の偏差値50前後の都立高校における推薦型入試(指定校・公募制・総合型)での大学進学率を見てみよう。

松原高校(世田谷区):66%(2024年3月卒)
鷺宮高校(中野区):43%(2024年3月卒)
杉並高校(杉並区):47%(2024年3月卒)

 

半数が推薦型入試を利用して大学へ進学している。そのうち、詳細な指定校推薦保有数を公表している杉並高校を例に挙げよう。昨春、50人の生徒が指定校推薦枠を利用しているが、同校の指定校推薦枠の保有状況は下記のとおりだ(推薦枠の保有数は変動の可能性がある)。

青山学院大1、立教大1、法政大2、学習院大4、芝浦工業大2、東京都市大15、東京電機大9、成蹊大9、武蔵大4、國學院大1、日本女子大2、日本大5、東洋大3、専修大1
出所:『東京都高校受験案内 2024年度用』(声の教育社)

 

大学入試に詳しい人が見れば、その充実ぶりがわかるはずだ。中でもつながりの強い成蹊大学への枠数は特筆に値する。また、理系では芝浦工業大学や東京都市大学など、いわゆる四工大の推薦枠が充実している。これだけの推薦枠を持ちながら、同校は説明会やWebサイトで積極的にアピールしていない。そのため、成蹊大学ルートなどは一部の関係者の間でしか知られていないのが実情だ。

一方で、杉並高校との併願者が最も多く、ライバル関係にある私立C高校の主な指定校推薦枠の保有状況はこうだ。

東京電機大2、工学院大2、國學院大3、日本大1、東洋大2
出所:『東京都高校受験案内 2024年度用』(声の教育社)

 

私立C高校は、杉並高校よりも1学年の生徒数が約70人多い。単願入学者の増加に伴い、今後は生徒数がさらに増大し大規模校化する可能性もある。だが、生徒数の増加が指定校推薦枠の増加につながるわけではない。私立高校で指定校推薦枠を獲得する難しさを地元塾の先生が指摘する理由も理解できるだろう。

続々と誕生する「新しい価値観」の都立高校

新しい高校も誕生している。その一例が、今春開校する都立立川緑高校だ。同校は、不登校経験のある生徒も積極的に受け入れている「チャレンジスクール」の1つ。「私らしく学べる」をテーマに掲げ、令和時代の価値観を反映した高校として注目を集めている。同校の特徴は以下のとおりである。

●リフレッシュルームや相談ブースが充実した新校舎
●昼からの登校が可能
●制服のない自主性尊重の校風
●1クラス30人以下の少人数制
●専門支援員によるサポート
●学校外の活動も単位認定
●3系列+教養の選択科目で時間割を自由に設計可能

 

こうした柔軟な仕組みが可能なチャレンジスクールは、最新の東京都中学校長会による志望率調査でも高い人気を集めている。

東京都では、今後も新しいタイプの高校が誕生する予定だ。世田谷区にチャレンジスクールが整備され、港区白金に理系の海外大学進学を視野に入れた新たな国際高校が設立される計画が進行中だ。潤沢な財政を背景に、都立高校は時代に即した変化を遂げている。

確かに、都立高校は私立高校と比べて校舎設備で劣る場合があるし、進学するには2月まで勉強を継続しなければならない苦しさも伴う。

しかし、ここまで述べてきたように、大学進学面ではむしろ都立高校のほうが優位性があると感じることが増えてきた。また、15歳の時点で専門性を重視した独自の強みを持つ高校の選択肢が数多く存在する。

費用の実態にも注目したい。私立高校は授業料無償化の恩恵があっても施設費や寄付金などが高額で、3年間で150万円程度の負担はザラ。一方、都立高校は、授業料無償化の適用も踏まえると3年間では30万~40万円の負担で済む。その差額は100万円単位に上り、都立高校の費用面のメリットは依然として健在と言える。

中学受験か、高校受験か。私立高校か、都立高校か。この選択は常に議論の的だ。中でも高校受験からの都立高校ルートは、無知や誤解による議論が散見される。

しかし、現場の塾講師の視点から見ると、都立高校ルートはむしろ東京都の潤沢な財政基盤に支えられた、都民が第一に考えるべき合理的な選択肢と言える。教育費の負担軽減や多様な進路を提供する都立高校の強みを、改めて見直すべきではないだろうか。

(注記のない写真:すとらいぷ/PIXTA)