「やりたい実験ができて、すごく楽しい!」
ここは、東京都府中市立府中第六中学校3階の理科室。中学1年生「光・音・力」の単元の授業が行われている。
従来なら、光・音の規則性や力の性質を理解するため、ガラス、凸レンズ、つる巻きばねなどを用いながら生徒全員が一律の実験を行うのが常であるが、この理科室では35名の生徒たちが9つのグループに分かれ、紙コップ、段ボール、カラーセロハン、アルミホイル、塩ビパイプ、鉄球、音叉(おんさ)、プリズムなど多種多様な材料を駆使し、それぞれのグループごとに実験を行い、経過を見ながら話し合い、記録を取っている。
「複数のプリズムを組み立てて光を当てると、光の屈折がどう変わるか」
「音叉を置く場所や距離を変えると、音がどのように伝わるか」
「片栗粉と水を混ぜ、その割合を変えると混合物はどう変化するか」
など、自分たちで実証できる問いを立て、その問いに答える探究を進めているのだ。
「あ、光が屈折してアルファベットの『W』みたいになった!」
「音叉をたたいて水に入れたら、びちゃびちゃ振動する!」
理科室を飛び出し、廊下やベランダ、隣の空き教室で実験する生徒たちもいる。先生は、基本的に生徒たちの活動を見守り、時と場合に応じてサポートしたり、アドバイスしたりする役割に徹する。
授業終了時刻が近づくと、先生は実験道具の片付けを促しながら「科学的発見シート」を配り、生徒は
・ どのような問いに答えようとしたか
・ 問いに答えるために、自分は何をしたか
・ 実験図
・ 今日は何を発見したのか
などを記入しながら振り返る。生徒たちが口をそろえて発していた「自分たちがやりたい実験ができて、すごく楽しいです」という言葉と目の輝き、躍動感から、「探究理科」の醍醐味がひしひしと伝わってきた。
“お膳立てしたものを与える授業”からの脱却
「理科は教材が命。理科教員として、生徒たちに『本物の科学に触れてほしい』という思いがあり、教材研究を綿密に行い科学的な探究を体験する機会を多く取り入れた授業を行ってきた一方で、問いからまとめに至るまで、すべて教師である自分が道筋を立ててしまっていることへの違和感を感じていました。2016年から17年の頃です」と言うのは、前述した授業を展開する府中市立府中第六中学校理科教諭の井久保大介氏だ。
その頃、米国の小学校教員で、優れた理科教育者として大統領賞を受賞したチャールズ・R・ピアス氏の授業実践を紹介した原著『Nurturing Inquiry』、同氏による「子どもはみんな、生まれながらの科学者である」という大前提の下、
1. 実証できる問いを立てる
2. それらの問いに答える探究を進める
3. 探究を通じて発見する
4. 発見した事柄を発表し、クラスの仲間と共有する
というプロセスで生徒を支援しながら授業を進める「探究理科」をテーマに授業実践のヒントが盛り込まれた書籍『だれもが〈科学者〉になれる! 探究力を育む理科の授業』と出合った。
「同時期、東京学芸大学教職大学院に1年間通っていたのですが、当時同大学院教育学研究科 教育実践創成講座 准教授で現在は軽井沢風越学園校長の岩瀬直樹先生から、子どもたち一人ひとりが作家になって自分の書きたいことを書く『作家の時間』の実践について学ぶ機会もあり、非常に刺激を受けました。教育現場に復帰後は、これまでの“お膳立てしたものを与える授業”から脱却し、子どもたち一人ひとりが主体となって問いを立て、自らの興味関心から自律的に実験観察に取り組み学びを深める『探究理科』の授業を実践していこうと決めました」
中学校理科は、物理、化学、生物、地学と4つの分野に分かれるが、すべての授業で「探究理科」を実践するのではなく、1年生は、実験の条件がある程度制御しやすい「光・音・力」の物理分野、2年生は電気や気象、3年生は水溶液とイオン、物体の運動の単元で取り入れてきたという。
当初は「自分で問いを立てる」ことに戸惑う生徒も多かったというが、「『まずは自分の疑問を大事に、言葉にしてみる』『頭の中にぼんやりと浮かんだものを、実験ができる問いにしてみる』など“問いを立てる練習”を重ねるうち、子どもたちがもともと持っている好奇心を解放して問いを立てることができるようになりました。
もちろん、実験できない問いを立てたり、発見までたどり着かない問いを立てたりすることもあります。しかしそこで頭ごなしに否定するのでなく、生徒の選択や決断をなるべく尊重し、いかに実現できるか一緒に考えるようにしています。自分が『なぜだろう』『不思議だな』と思ったことを確かめるのが、理科の醍醐味。実際やってみて、『これじゃうまくいかない』『これは実験が成立しない』などの経験を積むことも、とても大切だと思っています」。
井久保氏は続ける。
「『探究理科』を実践するためには、科学的なものの見方や考え方はもちろん、その単元についての基礎知識や理解=土台が必要です。そのために、授業の冒頭で、探究に必要な知識や実験観察に必要なスキルを教える『ミニレッスン』、授業の途中で個別に実験観察に対してアドバイスをする『カンファランス』を行っています。学んだことを実際の場面で繰り返し使う機会をつくることで、生きた知識として定着するよう心がけています」
探究理科の授業を実践するようになってから、生徒たちからの問いかけが、これまでの「先生、今日はどんな実験やるんですか?」から、「先週お願いした〇〇(実験に必要な物)ありますか?」「外で実験してきていいですか?」などの内容に変わったという。生徒が「自律的な学び手」となりつつある様子がうかがえる、印象的なエピソードだ。
自分の授業スタイルを変えるなら今しかない
「自分なりに授業スタイルが確立してきた中学教員6年目のある日、自身の得意分野である『イオンの中和』について熱く語っていたとき、ふと教室を見渡すと、まだ1時間目なのに、半分以上の生徒が寝ているんですよ。『ええっ!?』って。その時の衝撃は今でもよく覚えています」
と言うのは、神奈川県海老名市の公立中学校で10年間理科教員を務め、2022年からかえつ有明中・高等学校で中学校の「理科」「サイエンス科」と高校の「生物基礎」を担当する、深谷新氏だ。深谷氏もまた、それまでは、生徒全員が同じ実験器具を使う、いわゆる“教授型の一斉授業”を行っていた。
「あの日以来、『自分の授業を見直さなければいけない』という切実な思いにかられ、一方的に教えるのでなく生徒同士の学び合いのようなスタイルの授業にしてみたりなど試行錯誤していました。そんな中、良質な探究学習の一般普及を目指す『こたえのない学校』の『Learning Creator's Lab』に参加しました。そこで軽井沢風越学園で理科を教える井上太智先生と出会い、彼の学習者主体の実践を聞き、『こんな授業がしたい』と。『自分の授業スタイルを変えるなら今しかない』と思い、18年の新学期から、海老名市内の公立中学校で『探究理科』の授業実践をスタートしました」
最初は手探りだったというが、生徒たちが生き生き学ぶ様子に少しずつ手応えを感じ始めた頃、深谷氏の授業を長年見ている授業づくりネットワーク理事長の石川晋氏が「深谷先生の理科の授業が変わり始めています」と、SNS上で発信。それを機に、同様の志を持つ全国の理科教員が授業を見に来たり、連絡を取り合ったりしてコミュニティーが形成されていった。前述した井久保氏、後述する青木氏、松永氏とつながったのもこの頃で、以来、オンラインをメインに不定期で互いに実践報告や意見交換を行っているという。
探究心あふれる3歳児になってほしい
2023年2月。かえつ有明中・高等学校で深谷氏の1年生理科の授業を見学させてもらった。化学の「粒子」という概念に対して、「何が変化(状態・溶けるなど)させるのか」という本質的な問いで探究理科を展開。理科室では、生徒が個別もしくは2人1組で問いを立て、それぞれ実験を進める準備をしている。
授業の冒頭で、深谷氏は、「切った髪の毛に日焼け止めクリームを塗って変化を見る」「花火を水の中で燃焼させる」など何人かの生徒の実験エピソードを写真や動画で紹介した後、「自分なりの“誇れること”や“こだわり”を意識しながら実験を進め、発表に臨みましょう」と、ポイントを伝えた。
「酸の濃度によって薬品カプセルが溶ける速度は変わるのか」
「トイレ用洗剤で銅メッキ加工ができるのか」
「ミジンコ(微生物)は水の温度が変わると繁殖の様子はどう変わるのか」
化学でありながら、生物の要素も交ざった壮大な探究活動を行う生徒たち。それぞれの実験に没頭しながらも、周りの友人の様子を見たり、実験の一部をお互いに手伝ったりしながら、ここでも目を輝かせ、躍動していた。
「極論になるかもしれませんが、生徒たちには、何を見ても『なんで?』『どうして?』と周りの大人に聞いてくるような探究心あふれる3歳児になってほしいと思っています。生徒一人ひとりが本来持っているシンプルな問いを素直に出させたいですね。中学生になるまでにいろいろなものを見てきた彼らは、『(問いを)出せたところで、実験にはできないじゃん』など結論を早めに出してしまいがちですが、『でも、ここからできることがあるかもしれない。それはなんだろう』というところまで考え抜いてほしいと思っています」
問いを立てるときは、図書室にある本を活用し、興味を抱いた部分を調べながらテーマを絞り込む時間を設けているという。自分のやりたいことと真摯に向き合う貴重な時間だ。
「生徒たちは、現在は個人ベースで探究活動を行っていますが、複数の生徒でチームになって協働することでどんどん発展していきます。タイミングを見計らってサポートしたり声をかけたりしながら、失敗を恐れない力やチーム探究に発展させていく醍醐味を味わってほしいですね。
前任校の卒業生から、『これまで理科は暗記する科目だと思っていたけど、先生の授業を受けて、そうではないことがわかりました。物事の本質を捉え、それに対して自分で考えて自分で何かをすることが本当の学びなんだと気づきました』と言われた言葉が今でも心に残っています。“自ら学ぶ”楽しさを、より多くの生徒に伝えていきたいです」
探究理科で、学びが「自分事」に
「中学2年で学んだ内容を基に高1で化学を学ぶのですが、定着率がよくないことに課題を感じていました。『テストの前に知識事項を詰め込み、試験が終わると忘れてしまう』という悪循環になっているのではないかと思い、それを防ぐにはどうしたらよいかを考え始めたのがきっかけです」と言うのは、かえつ有明中・高等学校で高校生「化学」を担当する青木孝史氏だ。
前述した「作家の時間」や「探究理科」のコミュニティーでの学び合いを通し、「学ぶ内容を生徒が自ら選んで学んだほうが、知識の定着や授業に取り組む意欲が向上するのではないか」と考えた青木氏は、中学2年の理科を担当していたとき、教科書をベースに「探究理科」の授業を始めた。
「生徒に次のテストの範囲を教科書のページ数で示し、9〜10くらいのグループに分け、ページの範囲の中から自分たちが面白いと思ったことや興味を持ったことについて問いを3つ立ててもらいました。問いの立て方については、『例えばこのような問いが考えられます』と最初にヒントを与えます。立てた問いを全員で見て、同じテーマに興味を抱いた生徒同士でグループに分かれ、実験方法を計画して実験・観察し、最後にポスターで発表を行うという流れです」
実験の時間は、「ミニレッスン」と称して注意事項を説明するが、薬品の扱い方や廃液の処理など安全管理をいちばん大切にしているという。
「途中、何人かの生徒の振り返りの内容を皆の前で発表し、教員として気づいたことを紹介することで、生徒は『なるほど。そういう視点もあるんだ』と新たな気づきにつながっているようです。探究理科の授業実践により、いわゆる“理科の学力”が上がっているのかどうかが実証されているわけではありませんが、授業に対する集中力や提出物のクオリティーは確実に向上し、学びが“自分事”となってきていることを実感しています」
生徒同士の発表会は、グループでルートを決めポスターを見て回る「ポスターツアー形式」で実施。お互いの発表中、どのような工夫がわかりやすさにつながるかに気づき、そこでも学びが深まる。
「ベーシックな理科の知識はしっかり押さえつつ、生徒たちが自ら試行錯誤する探究理科の時間とどう両立させていくのか、そのバランスを考えながら実践していきたいと思います」
自分の中から湧き出た問いやワクワクを大切に
大阪府の公立中学校に勤務後、2022年から鳥取県の青翔開智中学校・高等学校に勤務し中1・中2の理科を教える松永悟郎氏は、自身が中学生の頃から「なぜ授業は先生がたくさん話して、自分たちは黙っていないといけないのか」という疑問を抱いていた。
「教員になり、生徒たちの学び合いに重きを置いた授業を行いながら、本来の意味での主体性ってなんだろうと思い悩んでいたとき、井久保先生の探究理科についてのブログに出合いました。それを機に井久保先生や深谷先生の授業を見学したり、青木先生に相談したりしながら、18年ごろから見よう見まねで始めました」
「探究理科」という共通言語はあるものの、実践方法は教員により異なることを知り、それを踏まえたうえで自分ができそうな単元で授業を行っているという。
「22年度は、中1では『物質の変わらない変化』『水に溶けた物質の粒子』、中2では『光があるところにものがある』のテーマで探究理科の授業を行いました。探究においては『問いを立てる力が大切』といわれていますが、そもそも問いを持つ力は子どもたち全員が生まれながらに持っている力であるのに、成長するにつれ、その力が発揮できなくなってしまっているように感じます。問いが出るまで待ったり、周りの友達が出した問いに触れたりすることで、少しずつほぐれていきます」
問いを立てた後、「この実験が本当に理科室で再現できるのかな?」「やってみてもいいのかな?」と思ったとしても、その根底にある、自分の中から湧き出た思いやワクワクを大切にしてほしいと語る松永氏。
最初はシンプルな実験でも、その経過を友達同士で見ながら「次はこうやったらいいんじゃない?」など、問いを膨らませながら探究活動をどんどん発展させていく生徒の様子に手応えを感じているという。
「立てた問いが検証可能かどうか、実験を行う際に条件制御ができているかどうかを自分たちで考えられるようになり、科学的な見方や考え方が育まれているように感じます。今後は、生徒たちが問いを立てる際、リサーチに時間をかけその手助けがうまくできるような関わりを意識していきたいと思います」
「科学者の時間カード」で子どもたちも振り返り
まさに、“四者四様”の中学校探究理科。これら教員たちのコミュニティーに加わり、理科教員とは異なる視点から探究理科の授業を捉え伴走するのが、「子ども時代からのリベラルアーツ」「大人の学びほぐし」をコンセプトにする対話を通じたラーニングコミュニティー「一般社団法人ダイアローグ・ラーニング」代表理事の井上真祈子氏だ。
コミュニティーでの授業実践報告や意見交換の場に、学校教育とは異なるフィールドで教育に携わる井上氏が加わることで、ともすると固定観念に縛られた意見の出し合いになりがちな場が、「子どもたちにとって科学を学ぶことにどんな意義があるのか」「大人たちは子どもの学びをどう支えるか」といった、シンプルかつ深い洞察によって理科の授業を捉えられることができるようになったと教員たちは言う。
「探究理科」の授業において、教員たちはルーブリックを使って評価しているが、生徒たちが自分の探究活動を振り返り、ブラッシュアップできるような評価ができないだろうかという議論の中で生まれたのが、「科学者の時間カード」だ。
「問いの手がかりを探す」「問いを持つ」「観察・実験を行う」など5つのカテゴリーに分かれたカードには、イラスト(井久保氏が担当)と「何を比べるか決める」「正しく測る」など探究活動を行うときに大切にしたいことがシンプルな言葉で記されている。
実験を始める前にカードを提示してミニレッスンをしたり、探究発表会の後の振り返りツールとして使ったり。子どもたちの“思考の補助線”として、それぞれの教員がそれぞれのタイミングで活用しているという。
不確実性の高い時代を生きる子どもたちには、自分にとって何が大事かを選択して決断する力、物事の本質を見ようとする力、「それって、本当にそうなの?」と考える力、失敗しても粘り強く挑戦する力などが求められている。
局所的な視点ではなく、物事のつながりを連鎖的に考察する「探究理科」には、このような力を育む要素が詰まっている。
(企画・文:長島ともこ、注記のない写真:今井康一)