「医者になってよかったな」と感じる瞬間

——下甑島に来た理由、きっかけは何ですか?

齋藤 救急の師匠が沖縄の浦添総合病院にいて、若手の医者のために瀬戸上先生を招聘して講演をするぞと、講演会に先生を呼んだときに、僕も含めて「やったー」って喜んでたら、 師匠から「齋藤、君が代診に行きたまえ」って言われて、ガクッてなった。

幸い先生と1日だけかぶることができたので、そのときに先生が、甲状腺に腫瘤しゅりゅうがある女性に針を刺して、すぐそれをプレパラートにのせて「これを船で送りなさい」って。

僕だったら紹介状書いて、患者さんごと船で送ろうと思ったのに、先生が突然、草履履いて来て、ここに針をすぐ刺して、このガラス板1枚送りなさいって。

全然、医者としての実力が違うなって、ぶったまげた記憶があったし、やっぱりこんな医者を目指してみたいなとは思った。純粋な憧れですよね。でも、それがきっかけですね。

やっぱり、瀬戸上先生が診てた患者さんがまだ元気なうちに、瀬戸上先生の医療を感じてみたいなっていうのは、純粋な思いであって。

瀬戸上先生が元気なうちに、ここにいながら瀬戸上先生にいろいろ、もう1回、質問したりアドバイスもらったりしたいなっていう思いもあったんですよね。

だから、下甑島手打診療所と同じ規模の離島にすごい行きたいかって言ったら、やっぱり下甑にある手打診療所で働きたいというのは、純粋にあったんですよね。

——離島・へき地医療の醍醐味とは?

齋藤 でも純粋に、僕はこういう所に来ると、医者になってよかったなって、すごい思うので。

僕自身は都会の大きい病院でやってて、なんか自分の見てる方向が、患者さんだと口では言いながらも、患者さんじゃなくて、俺はあの医者よりも手術がうまいとか、あの医者よりも論文書いてるみたいな。

どうしても医者対医者の比較をしている自分がいましたし、きっといるし、そこで疲弊してんじゃないかと思うんですよね。

患者さんがよくならないと、患者さんの治療で悩んでるのは、医者として当たり前のことなんで、それは大いに悩むべきだし、大いに疲弊するべきだと思うんですけど。医者対医者のせめぎ合いで疲弊するのは、もったいないなと思うんで。

こういうとこに来て、純粋に目の前の患者さんをよくするには、どんなスキルがあったらいいんだろうっていうのを身に付ける。あるいは(スキルが)向上してる自分を発見するだけで、医者になってよかったなとか、モチベーションを保てると思うんですよね。

離島やへき地が「医師不足」になる根本理由

——やりがいのある仕事である一方で、多くの離島やへき地では、医師の確保が大きな課題になっています。

齋藤 1つはね、医学部で勉強してても、離島で働くって存在自体が、あんまり選択肢に乗らないですよね。大学でやってると、離島で働く医者に会ったこともないんで。初期研修2年間で、離島で働く医者にも会うこともないんで。

僕も医者4年目になって、初めて瀬戸上先生に会って、離島の医者っていう存在があるのを知ったんで。選択肢が学生の段階からメニューの中に提示されていれば、もう少し増えるかもしれないなと思ってるんですよね。

——診療所では、積極的に研修医を受け入れていらっしゃいます。

齋藤 全国から来てて、大体1カ月に1人か2人来てくれてますけど、例えば、東京や神奈川とかですね、関東からも来るし、山口や兵庫、鹿児島からも来るし、福岡からも来てくれる、全国から来てくれますね。

あとは将来、総合診療医を目指さなくても、小児科の先生が、研修医じゃなくても1カ月間勉強に来たりとか。基本的にはやる気があって見てみたい人は、受け入れる形でやってますけど。

コロナの時期に受け入れるのをどうしようか悩んだんですけど、コロナも来ませんでした、だけど結局、医者も来ませんでしただったら、コロナはゼロだけど、なんか医療もなくなってしまうんで。そのリスクはあるかもしれないけど、来たいドクターの受け入れは、できるだけ積極的にやっていこうと思ったんですよね。

——島民にとってもメリットがありそうですね?

齋藤 正直あると思うんですよね。ずっと僕たちが診ている患者さんたちも、僕たちにはたぶん言えないようなこととか、外から来た若い先生とかね。 「もっといい薬ないの?」とかっていうのよく聞こえたりするんで。

患者さんにとっても息抜きにもなるし、いいだろうなと思いますけどね。毎回、医者が違ったらあれですけどね。僕たちが7割8割診てて、時々ぽんっと空気を変えるように来てくれればいいかもしれないし。

実際、患者さんたちも、若いドクターが来たら「この傷は瀬戸上先生に縫ってもらったんだ」とか、時々、教えてくれたりしてるんで、患者さんにとっても、若い医者を育ててやってるんだっていうのがあるかもですね。

医療の「質」をどう確保すべきか

——医療の「質」をどう確保すべきだと考えていますか?

齋藤 医療の質を考える前に医療の量。医者が2人いて看護師が15人いてという、まず量の確保の維持が大事だなってすごく思ってて。

質を求めればきりがないんですよね。だけど、つねに医者が2人いる体制をつくるにはどうしたらいいかとなると。ちょっとなんか逆説的ですけど、高い質を求めれば求めるほど、次に来る医者は来にくくなったり、探しにくくなるんで。

なんとなく、僕自身のスキルを高めて質を高めるというよりは、ちょっと抽象的ですけど、 全体の力を合わせて質を高めていくような形ができたらなと思ってます。

瀬戸上先生とは逆方面かもしれませんね。自分のスキルはできるだけ落として、リハビリが必要だったら、リハビリのセラピストを島外から呼んできて、今日みたいにやってもらったりとか。

瀬戸上先生を分解して、この部分は僕たちでできる、この部分は看護師、この部分は外部から応援っていう形で今、パズルを分解しているような形で作業してるかもしれませんね。

実は、直接行って応援はできないけど、例えばインターネットで、ちょっと皮膚科のドクターとかですね、整形とか、そういった先生たちは、いつ写真送ってもすぐ連絡くれるし。

でも、必然的に皮膚科の先生だったら、何人も知り合いがいるけど、1人2人に限られますね。

だいたい僕たちも、またこのような湿疹がわかんなかった、また送っちゃったなっていうと、「こないだ、ああ言ったじゃないか」みたいな連絡が来て、僕たちも勉強になるし、向こうも、「齋藤たちはこういうレベルなんだ」「このぐらいで悩んでんだな」というのがわかるし。「だったらこんな教科書読んだらいいよ」とか。

整形外科の先生も、例えば、本書いてる先生が、この本に一応書いてあるけど、電話じゃないと言えないことはとかで、電話してくれたりですね。

だから、各科で1人か2人ずついるって感じですよね。陸ではつながってませんけど、ネット上ではつながってるんで、1つの総合病院の中の一医者みたいな感じだなって気持ちは 正直ありますよね。

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齋藤 学(さいとう・まなぶ)
下甑手打診療所 所長、ゲネプロ代表
1974年千葉県生まれ。2000年に順天堂大学医学部卒業。地元の国保旭中央病院で研修後、浦添総合病院(沖縄県)で救急医として研鑽を積む。フライトドクターとして離島に出向くたび、離島医療の過酷さを実感する。同病院で救命救急センター長を務めた後、診療の幅を広げるため、離島医療や在宅医療、内視鏡を含めたがん診療を学ぶ。離島やへき地で闘える医師を育てるためのトレーニングを探して、世界の離島・へき地医療の現場を巡り、14年に離島・へき地医療や総合診療医の教育プログラムを提供する会社「ゲネプロ」を設立、代表に就任。17年にはオーストラリアへき地医療学会と提携を結んだ「Rural Generalist Program Japan」を始動。20年より現職

 

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