英語教師がスキルアップできるサロンを設立
「もっとよい英語の授業をするために勉強したい」「時代に合わせた指導をしたい」など、全国には熱い思いを持った英語教員が多くいる。しかし多忙すぎる毎日の中、雑務や授業に関係のない仕事に追われ、スキルアップの時間を取れないのが現状だ。
「このような中で、中学校は2021年度に新学習指導要領が実施され、英語の授業にもたくさんの変更点がありました。並行してICT教育によりタブレットが導入され、私を含め悩んでいる先生がたくさんいるのではと思ったんです。全国にはさまざまな先生がいますから、異なる得意分野を持つ先生が集まってノウハウを共有できれば、困っている人が減るかもしれないと考えました」(江澤氏)
そこで江澤氏が21年11月に立ち上げたのが、特化型オンラインサロン「英語教員がちサロン」だ。参加費は無料で、ホームページから申請すれば基本的には誰でも参加することができる。
サロンの柱は「情報交換」「オンライン交流会」「豊富な授業データ」の3つ。情報交換にはSlackを用い、文法ごとにチャネルを設定している。文法以外にも、教材やプリントのシェアや指導案のチェックなども行われており、使い方はさまざまだ。
投稿された教材やプリントなどのデータは、「がちDrive」と呼ばれるオンラインストレージに保存される。サロン参加者はこれまでに蓄積された500〜600ものデータが使い放題。そのまま授業で使うもよし、自分の教材の参考にするのもよしだ。豊富な授業データは、初任者教員をはじめ教員たちの授業作りをサポートしている。
また、月に1度Zoomを使ったサロン交流会も実施される。内容は主に2種類で、1つが参加者同士でテーマに合ったおしゃべりをする「がちトーク」、もう1つが講師を招いて講義形式で行う「がちセミナー」だ。もちろん、すべて無料で聞くことができるほか、サロンメンバーだけがアクセスできるアーカイブにも残る。
「参加者は多い月で50人ほどです。『がちトーク』のテーマは例えば『お勧めの教科書指導法』や『お気に入りの副教材』。一方『がちセミナー』では、プロに英単語の覚え方を話してもらったり、時には英語の枠を超えて教師のウェルビーイングや生き方などもテーマになりました。自分から情報を取りにきていますから、やはり意識の高い教員が多い印象ですね」
現在は中学の英語教員だけでなく、小学校・高等学校・大学の先生をはじめ、教材会社の社員、全国の取り組みを知りたい教育委員会、また教育現場について知りたい教育学部の大学生などさまざまな人が参加し、サロンメンバーは設立から1年半で800人に達した。
授業のやり方に悩むのは若手だけではない
ではサロンメンバーは主にどのようなことに悩んでいるのだろうか?
「いちばん多い悩みは、授業の仕方がわからないというものです。もちろん大学の教職課程で一般的なことは学びますが、実際の現場では通用しないことも多い。時代や地域、生徒によって対応が異なるからです。そして、こうした悩みは卒業したばかりの若い教員に限らず、実は30代の子育て世代が多く持っているのが特徴です。子育てに忙しくて勉強する時間が取れない、育休で2〜3年休んだら今の教育現場がわからなくなったという声も聞きます」(江澤氏)
教科書は4〜6年に一度、学習指導要領も10年に一度改定されるため、若手・ベテランを問わず教える側の悩みはずっと続く。しかし同僚と話し合う機会や時間はなく、さらに小規模校ではそのような同僚さえいないという教員もいた。
それが、このサロンで全国の800人が一気に同僚になる。「相談しやすく、仲間ができたという安心感を得られた」「サロンが情報源&学びの場になっている」「授業で困ったときにサロンのデータを見るとヒントがもらえる」などの声も集まっているという。
「これまで、研修に参加してもなかなか情報交換までいけないことが気になっていました。そもそも研修だけでは視野は広くならないし、かといって偉い先生の講演を聞けばそれが正しいと思ってしまう。サロンのようにラフに話せる場だからこそ、若い先生も発言しやすく、質の高い議論が行われるのだと思います」(江澤氏)
同僚が800人に増えたことで、一人では膨大な時間がかかる作業も効率よくできるようになった。例えば過去には、授業に使える洋楽をまとめた「がち歌リスト」、中学で学ぶ全文法を集めたクイズアプリ「Kahoot!」、3年分の英単語帳などを作成している。いずれもがちDriveのデータも使いつつ、手分けして短時間で完成した。今後もメンバーが発案した企画を含め、さまざまなことを実現したいそうだ。
英語レベルの向上、運営費の捻出など課題も
英語教員がちサロンによって解決される悩みもある一方で、英語教員を取り巻く環境にはまだまだ課題が多い。江澤氏は大きく3つを挙げる。
1つ目は、小学校と中学校の英語教育の連携が取れていないこと。現在、小学校では600~700単語、中学校では1600~1800単語を習うことになっている。しかし小学校の授業はゲーム性が強く、中学校に入学した時点では履修単語をうまく使えない生徒が多い。そのため、実際には中学校で小中の約2500単語分を扱っているイメージなのだそうだ。将来の受験も意識している中学校と、英語に慣れ親しむことをメインに考えている小学校とで、英語に対する考え方や姿勢に乖離があるといえる。
2つ目は、冒頭でも述べたように教員が忙しすぎること。授業準備や雑務に追われる中で、スキルアップの時間を取るのが困難な教員は多い。江澤氏は隙間時間でも勉強しやすいように、サロンではSlackを採用。通勤中などでもスマホからアクセスできる環境を整えたが、それでも時間は足りないという。
そして3つ目は、上記のように多忙な状況の中でも、教員に求められる英語のレベルがどんどん高くなっていることだ。
「英語の授業レベルは、年々難しくなっています。例えば、中学卒業までに覚える英単語は20年前に800単語だったのが、今は2500単語にまで増えました。以前は高校で習得していた文法が、今では中3の授業に前倒しされたものもあります。生徒も大変だと思いますが、教員も学び直しが必要になりました」
英語の授業法や勉強法も新しいやり方が次々と発明されており、サロンでもよい方法の共有や提案が行われるそうだ。例えば、「教科書を5回読む」という有名な勉強法があるが、これを提唱した人物をサロンに招いて直接話をしてもらったこともあったという。サロンには、忙しい中で授業をアップデートできる機会が豊富にあるようだ。
江澤氏は最後に、英語がちサロンの課題も語ってくれた。サロン運営は現在、入会対応から交流会開催まで江澤氏が一人で行っており、運営費も個人的に捻出している。スポンサーを募集したこともあるが、大手企業は前例のない事例には消極的で、行政は認可に時間がかかるなど対応が遅いため不向きだ。
「がちセミナーで著名な方にもぜひ講演をしてもらいたいのですが、それにはどうしても費用が必要です。またこの先も長く続けるために、今後どのように運営費を捻出するかは考えていかなくてはなりません」
江澤氏にとってサロンはライフワークであり、「今は継続していくことが目標」だというが、理想としては、リアルな交流と「1中学校1サロンメンバー」の実現を考えているそうだ。
「全国には約1万校の中学校がありますが、もっともっとメンバーが増えて全校から教員が参加すれば、日本の英語教育を変えられる可能性もあると考えています。これからも、英語教育に興味のある人にどんどん参加してほしいですね」
たくさんの同僚と「よりよい英語教育」を考える英語教員がちサロン。今後は学生や予備校関係者など教員以外の視点も交えつつ、全国規模の職員室としてさらに発展していくことだろう。
(文:酒井明子、注記のない写真:CORA / PIXTA)