発達障害の大半は「病気ではなく障害でもない」

――発達障害には、社会性やコミュニケーションの障害である「自閉症スペクトラム障害(ASD)」、不注意と多動・衝動性が目立つ「注意欠陥多動性障害(ADHD)」、読み書きや計算のいずれかまたは複数が困難な「学習障害(LD)」などがあります。こうした発達障害の子どもが、近年増えているのはなぜでしょうか。

2005年に発達障害者支援法が施行され、発達障害に対する支援が定められました。これを機に「やる気が足りない」「親のしつけが悪い」と、それまで思われていた子どもたちに対して、「もしかしたら発達の問題を抱えているのではないか」 という目が向けられるようになりました。発達障害の子どもが増えている背景には、こうしたことも関係していると思われます。

ただ、精神科は症状による診断であることを忘れてはなりません。いくつか項目があり、例えば6個当てはまればその病気と診断する方法ですが、そのうち3〜4つが当てはまるという子もいるわけです。

実際、そういう子が増えていますから、発達障害といわれている子どもたちの大半は、単なる発達の凸凹にすぎません。通常の発達と比べると凸凹があるものの、それが普遍的なハンディキャップとは言い切れないケースです。確かに得意なことと苦手なことの差が大きく凸凹がある。しかし凸凹があること自体は病気でもないし、障害でもありません。

例えば、こだわりが強く人の気持ちが読めないASDは、「マイペースで物事に取り組める」性格であるともいえます。座っていることができずに動き回るADHDは、裏を返せば「エネルギッシュでバイタリティーのある人」ということになる。加えて子どもは成長します。いま発達障害だといわれている特性が、将来大きなプラスの要素となってその子の能力を引き出すことも少なくありません。

少人数の学びで発達の凸凹に寄り添う

――幼稚園や保育園では問題はなかったものの、小学校入学を境に困りごとが出てくるケースが多いですね。

杉山登志郎(すぎやま・としろう)
福井大学 子どものこころの発達研究センター 客員教授
久留米大学医学部小児科、名古屋大学医学部精神科、静岡県立病院養心荘、愛知県心身障害者コロニー中央病院精神科医長、カリフォルニア大学留学、名古屋大学医学部精神科助手、静岡大学教育学部教授を経て、2001年あいち小児保健医療総合センター心療科部長兼保健センター長、10年浜松医科大学児童青年期精神医学講座教授、16年同大学客員教授。17年から福井大学子どものこころの発達研究センター客員教授。『発達障害の子どもたち』『発達障害のいま』『子育てで一番大切なこと 愛着形成と発達障害』(いずれも講談社現代新書)など著書多数
(写真:杉山氏提供)

学校という枠にはまらない個別対応が必要な子どもが増えてきたことを考えると、従来の一斉授業は見直さざるをえません。

例えば「漢字が書けない」という学習のつまずきを抱えた子どもがいるとします。この場合、短期記憶や作業記憶が弱いから書けないのか、視覚的な認知の偏りがあるのか、過敏性があってノートや教科書を見ることに抵抗があるのかなど、一人ひとり抱えている問題は異なります。

しかし、日本の学校教育は集団で動くことが基本となっているため、こうした個別対応に慣れていません。まずは少人数学級を増やし、ICTなども活用しながら、それぞれに合った学びを確保することが重要です。

――文科省の調査でも、直近10年間で特別支援教育を受ける児童生徒数は倍増しています。中でも通常の学級に在籍しながら一部の時間で個別な指導を行う「通級」の利用者数は約2.5倍と増えていますが、これも個別対応の流れといえるでしょうか。

確かにそうですが、小学校・中学校の週1~8コマという今の時間数ではとても足りません。個別対応の必要性は学習につまずきを抱えている子だけでなく、特異な才能を持つギフテッドと呼ばれる子どもたちにも重要な問題です。特異な才能と発達障害を併せ持つ2E(twice-exceptional)といわれる子どもたちの認知の凸凹はマイナスではありませんが、通常の集団教育では対応が困難です。そうしたギフテッドの支援が進んでいくと、特別支援教育に対するイメージも変わっていくでしょう。

――発達の凸凹を抱えた子どもたちが学ぶうえで、ほかにも学校現場で課題となることはあるでしょうか。

学校現場に多い「年齢相応にできるのは当たり前。できないときだけ叱る」というやり方は、発達に凸凹のある子どもたちには向きません。出来事の背景を読み取る力が弱い子は、なぜ叱られているのかを理解できないのです。やみくもに叱責するのではなく、「こうすればうまくいく」という方法を丁寧に教えてあげてください。また子どもたちの「できていること」「努力していること」を確認してあげるとよいでしょう。

発達の凸凹がある子どもたちは、自分だけができない、繰り返し叱責されるなど「自分はダメだ」という失敗体験を積み重ねていることが多い。子どもがいつもより努力していることを見いだし、それを具体的に積極的に褒めていくことが重要です。

さまざまな問題行動が発達の凸凹によって起こっている場合は、脳の機能が発達する小学校4年生になると、しだいに和らぎ落ち着いてきます。小学校1年生から3年生の間はなかなか対応が難しいケースも多いので、私は以前から「幼稚園6年制」を提唱していて、ジュニア幼稚園・シニア幼稚園と分けて6年間で教育を行えばいいのではないかと思っているのですが……。突飛な意見と思われるかもしれませんが、長年子どもたちを診ている医師として、これは自信を持って言えることです。

自閉症には専用の教育プログラムを

――一方で発達の凸凹とは分けて考えなくてはならないケースもあるとおっしゃっていますね。

ASDの中でも自閉症の子どもたちは、感覚や知覚に過敏性があるため普通の人が何とも思わないことに脅威を感じたり、次に起こることが予想できずに圧倒されるような経験をしてきています。例えば「腕時計の音がうるさい」など、狭く細かいところに認知の焦点が当たり、われわれのように全体をあいまいに認知することができません。そのため自閉症に関しては、TEACCHプログラムなど、専用の教育プログラムを受けられることが理想です。

いずれにしろ無理に彼らを世間の常識に合わせるのではなく、周囲の人々が自閉症のある人々の捉え方、見え方、感じ方を理解し、そのうえで彼らの特性が社会に適応できるようにすることが必要です。これはトラウマを抱える子どもたちにも同じことがいえます。

※ 米ノースカロライナ州立大学で実践されている自閉症の当事者やその家族、支援者を包括的に支援するプログラム

――トラウマ系発達障害のことでしょうか。

発達障害と同じ症状が出るため、学童期に診断を受けると発達障害と診断されますが、トラウマ系発達障害はまったく別の対応が必要になってきます。今、現場の先生がいちばん苦労しているのは、このトラウマ系発達障害が多いのではないかと思われます。

激しい癇癪(かんしゃく)や暴力などの問題行動が非常に多く、こうした子どもたちは虐待など心にトラウマを抱え、家庭や親子関係に問題があるケースが多いのです。療育によって発達の凸凹や自閉症は年々よくなっていきますが、このトラウマ系発達障害はトラウマを処理しなければならないこともあって、実は治療があまりうまくいっていません。

ただ、学校の先生たちが問題行動を起こす子どもたちを手に負えない子として扱うか、それともトラウマ系発達障害を抱えているから問題行動が起こっていると考えられるかで、現場の対応は変わります。トラウマ系発達障害というものがあると知っていれば、子どもの状況が見えてくることもあります。

「子どもの発達障害は出世魚のよう」診断名より困りごとに注目を

――子どもが発達障害と診断された場合、教員は保護者や本人に対して、どのような支援をしたらよいのでしょうか。

発達障害にはさまざまな診断名がありますが、子どもの発達障害は「発達の凸凹」「自閉症」「トラウマ系発達障害」の3つに整理すると対応がしやすいと考えています。

子どもの発達障害をASD、ADHDと分けることにあまり意味はありません。子どもはどんどん成長し、変化していきます。そのためハマチがメジロ、ブリと変わる出世魚のように、診断名が変化することもあります。私のような専門家を訪れる保護者はすでにさまざまな情報を頭に入れて、診断名を尋ねられることが多いのですが、「お子さんはまだ発達障害ではありません。診断を下すとしたら発達凸凹です」と答えることもたびたびあります。

いずれにしても「障害だから治らない」と周りの大人が先入観を持つと、成長の可能性を狭めてしまいます。大切なのは「発達障害だから〇〇させよう」ではなく、その子自身を見ること。その子の困りごと、悩みごとに寄り添ってあげることが大切です。

発達障害のあるなしにかかわらず、個別対応が必要な子どもたちは、これから増えることはあっても、減ることはないでしょう。幸福な子ども時代の記憶は、間違いなく一生の宝になります。発達障害のある子どもたちに合わせた環境づくりは、そうでない子どもたちにとっても過ごしやすい環境になることは間違いありません。

(文:藍原育子、注記のない写真:タカス / PIXTA)