今や米名門大学をしのぐ実力を持つようになったといわれるミネルバ大学は、もともとミネルバ・プロジェクト社とクレアモント大学との共同事業で設立された大学だ。既存の大学が抱える課題の解決を目指して、当時の教育界では無名だった起業家ベン・ネルソン氏が自ら大学をつくって教育分野に参入した。

その教育を支えているのが、独自のオンラインプラットフォーム「ミネルバ・フォーラム」だ。先端テクノロジーを活用してソリューションをつくり既存の教育機関に販売する企業はたくさんあるが、自らソリューション、そして大学までつくってしまったというわけである。何がすごいのかというと、すべての授業が原則オンライン、少人数のアクティブラーニングで行われるのはもとより、オンラインにもかかわらず集中力が維持できて、効率的にスキルを身に付けられるように授業そのものが構築されていることだ。

「ミネルバ・フォーラム」では、授業中の学生の発言量が色で可視化されていて、まるで最前列で授業を聞いているかのような臨場感がある。しかも、授業内のアウトプットが成績に直結するために学生は事前準備も含めて気が抜けない。一方、先生は授業ではファシリテーター役だが、録画を基に毎回学生にフィードバックを行う。どんなフィードバックが効果的かはデータを取っているから、学生がスキルを効率的に身に付けられるのはもちろん、理解度を見て先生が授業を改善することも容易だ。

そしてミネルバ・プロジェクト社は、この「ミネルバ・フォーラム」やミネルバ式の教授法をほかの教育機関にも提供している。あくまでミネルバ大学の目的は「高等教育の再創造」にあるので、そこで使われるプラットフォームや教授法を浸透させることによって教育界のベンチマークになること、また学びの仕組み、思考法を売ることで主に利益を得るビジネスモデルになっているのだ。

リクルートのヒトラボが、ミネルバ式の学びを国内で提供

現在、そんなミネルバ大学の教育プラットフォームが、日本の教育機関でも利用されつつある。ミネルバ・プロジェクト社と提携し、日本側パートナーの第1号となったのはリクルートだ。

実際、ミネルバのプラットフォームを活用した教育プログラムを提供しているのはリクルートの社内組織「HITOLAB」(以下、ヒトラボ)。人と組織の新しいつながり方を実践的につくり出すことを目的に生まれた人事のR&D組織だ。なぜ、ヒトラボがミネルバ式のカリキュラムを提供するに至ったのか。

「そもそもミネルバ大学は、『高等教育の再創造』が最大のミッションであり、例えば親の収入によって学歴が固定化されるような高等教育の不公平などの課題を解決するために設立されました。そうした教育格差が問題視される日本においても、自分の頭で考え、自分の言葉で話し、自分の人生を歩んでいくための教育をミネルバ式のプログラムを通して実現したいと考えました。そしてこれは、リクルートが目指す“Follow Your Heart”と同じビジョンだと信じています」

リクルート ヒトラボ 福田竹志(ふくだ・たけし)
2004年リクルート入社。新規事業立ち上げ(熊本・宮崎)、営業企画・経営企画や人事部長を務める。専門は1を10にする事業成長の伴走や人材・組織開発。現在は社内にR&D組織HITOLAB(ヒトラボ)を設立し、自治体や学校、他企業と「人と組織」に関わるプロジェクトを進める

こう話すのはリクルート ヒトラボの福田竹志氏だ。ヒトラボでは現在、学校向けと企業向けにミネルバのプラットフォームを活用した教育プログラムの導入を図っていくことを目指している。ただ現状においては、日本語でミネルバ式のアクティブラーニングを教えることができる人は少なく、まずはミネルバ式プログラムの講師になるための講座を日本語で提供することを目指しているという。

講座は90分×8コマで、主にミネルバ式授業の方法について学ぶものだ。学校なら先生、さらに企業ではマネジャーといったように、教える立場また人材を育てる立場にある人をターゲットに講座を展開していく。

その一方で、同社では先行的な取り組みとして、高校生向けカリキュラムを展開している。計4つのプログラムがあり、日本語で提供している「Strategic Learning and Growth」は1コマ90分×週2回の授業を、オンラインで約3カ月にわたって行うものだ。脳神経科学に基づいた認知プロセス、思考法、習慣化、自己コントロールなどを学習し、その実行を通じて効率的にゴールを達成する方法を習得する。昨年は、北海道にある札幌新陽高等学校の探究コース約50名の生徒が、このプログラムに挑戦している。

さらに、現状では英語での提供となるがコミュニケーションのスタイルを学び自己表現方法を習得する「Expressive Clarity」、論理的思考を学ぶ「Applied Critical and Creative Thinking」、コンピューターサイエンスの原理を利用して身近な問題解決法を学習する「Applied Algorithm Thinking」がある。いずれも、その目的は自分のあり方を見つめ直し、より主体的で自由に物事を考える力を身に付けることを主眼としている。

ここで誤解してほしくないのは、ミネルバの教育プログラムは、英語や数学といった個別科目を教えることではないということだ。あくまでその本質は「Habits of Mind and Foundational Concepts (HC)」つまり思考習慣と基礎概念を習得することにある。授業はフルオンラインの反転学習形式で、1人1台ノートパソコンが必要だ。

「高校生向けの授業では、例えば、“先延ばしする癖をなくすにはどうすればいいのか”をテーマにするなど、そのポイントは自分の行動の基本となる“OS”を鍛えることにあります。実際に学んだ生徒に感想を聞くと、ここで学んだことを将来使っていきたいと思った、という回答が約9割。ほかの生徒にも勧めたいと思った、という回答も約8割に達しています。

脳科学やメタ認知を学ぶなど内容的には高度なのですが、むしろ生徒たちは強い興味を示して積極的に学ぶようになります。決して学力の高い進学校の生徒でなくても、授業期間の3カ月で脳についてディベートできるようになるなど、生徒たちは目を見張るほど変わっていきます。現在、いくつかの学校や生徒の間で興味深い事例が生まれてきており、今後は教育委員会と組むなどして公立高校などにも事例を増やしていきたいと考えています」

そう語る福田氏は、ミネルバの教育プログラムの導入が、日本の教育の課題を解決するうえでも大きな可能性を秘めていると指摘する。

「先生が手を焼いていた生徒が、ミネルバの教育プログラムを3カ月ほど経験したことで大きく変わりました。それまで生徒が無気力のように見えたのは、ただ人前で発言することが苦手なだけだったことがわかったのです。その子はプログラムを通して能力を一気に開花させた。一律一斉に、ペーパーテストのみで評価されるのが教育ではない。もっと違う形の教育が日本でもできるはずです。ミネルバの魅力は、『学び方を学ぶというOS』を身に付けることにあり、そうすることでもっと自分が生きたい人生を生きられることを教えてくれるところにあるのです」

ミネルバのプラットフォームを活用した授業。ディスカッションを経て、自分の意見が変わったのかを問いかけ新たな結論を導き出している様子。上部には、一番左の講師に続き参加者が表示され、それぞれピックアップされた意見に対して賛成、反対を絵文字で表示できるようになっている。右側のチャットでは先生への簡単な質問や、ついて来れない生徒のフォローができるなど、授業を止めずにコミュニケーションが取れる。宿題のやり取りや評価もプラットフォーム上で完結。毎回の授業でのフィードバックが納得感と学習効果を生むという

日本におけるミネルバの教育プログラムの導入はまだ緒に就いたばかりだが、ヒトラボは今後、とくに高校を中心に事例を増やしていきたいという。1人の先生がミネルバのプログラム講師になれば、オンラインで複数の学校の生徒に教えることができる。人口減少が進む地域や離島でも、先進的な高等教育を受けることが可能になる。

今夏、ヒトラボ は講師養成のプログラムを本格的にスタートさせるとともに、ミネルバ大学の現役学生が授業を行う全国キャラバンの支援も予定しているという。昨年も行われたこのキャラバンには、かえつ有明中学・高等学校、自由ヶ丘学園高等学校、熊本県立熊本高等学校などの10校をはじめ個人の申し込みもあり全国400名の高校生が参加した。オンラインでの実施になるため新型コロナウイルスの影響を受けることもなく、今年も多くの高校生の参加が見込まれそうだ。

ミネルバの考え方をカリキュラムに取り入れた清泉女子大学

一方、ミネルバのプラットフォームを使わずに、ミネルバ式のカリキュラムをスタートさせたところもある。清泉女子大学の文学部地球市民学科だ。ミネルバ大学に関心を持ち、新カリキュラム導入をリードする同大学 教授の山本達也氏を中心に、ミネルバの思考法を再編集したという。2015年から17年までミネルバ大学の日本連絡事務所代表を務め、現在は清泉女子大学文学部地球市民学科の顧問を務める山本秀樹氏は、こう話す。

山本秀樹(やまもと・ひでき)
1997年慶応義塾大学卒業。東レを経てブーズ・アンド・カンパニー(現・PwC Strategy&)入社。2008年英ケンブリッジ大学経営管理学修士(MBA)修了。その後、住友スリーエムを経て14年に独立。15〜17年までMinerva Schools at KGI(ミネルバ大学)日本連絡事務所代表を務める。現在は、最新の教育事例を研究して発信するDream Project Schoolを主催するとともに清泉女子大学文学部地球市民学科顧問、第一学院高等学校顧問、ビジネスブレイクスルー講師なども務める
(写真:本人提供)

「清泉女子大学文学部地球市民学科では、今年4月からミネルバの考えを反映させたカリキュラムをスタートさせています。なぜできたのか。それは学科定員60名と少人数で、1クラスは20名程度と、先生と学生の距離が近くやりやすかったということもあるでしょう。しかし、そもそも各学校には自分たちが育成したい人材像があるはず。清泉女子大学でもミネルバのコンセプトを再編集して、自分たちの目的に合わせてカリキュラムをつくり直して実践しています。先生たちは、こんなに面白いのに、なぜほかの大学では採用されないのかとおっしゃっていますね」

ミネルバ大学が設立された当初、日本でもシンポジウムが開催されたというが、興味を持つ大学は少なかったという。実績がなく、斬新なプログラムなうえに、教育におけるICT化が進んでいなかった日本の大学には浸透しなかったのだろう。あるいは講義型の一斉授業が主体で、反転授業、ファシリテーションが基本のアクティブラーニングができる先生がいなかったということもあるかもしれない。

「これからは日本の大学も、大学改革で単にハーバードやスタンフォードを見習うばかりで本当にいいのかどうか。考え直すべき」と警鐘を鳴らす山本秀樹氏は、米名門大学がどこを見て大学改革をしているのか、もっと本質を見るべきだという。

「日本の大学でもICT教育を活用すれば、もっと独自にできることがあるはずです。データという事実に基づいて教え方を変えていく。それは難しいことではありません。今は世界の大学が採用する教育に最適化されたデファクトスタンダードのソフトウェアを使えば、技術的にもハードルはありません。ミネルバがなぜ注目を集めるのか。とくに大学の経営者や職員スタッフは、これから新たな発想が必要になっていくでしょう」

ミネルバ大学が実践するエビデンスのある効果的な教育手法の実現には、さまざまなやり方があるということだろう。本場のプラットフォームを使うもよし、広く使われている汎用的なツールを使うもよし。重要なのは、子どもたちが自分の望む人生を送る土台をつくるのにミネルバ式は有効だということ。社会に出て本当に必要なスキルをどう身に付けさせるのか、教育関係者は改めて真剣に向き合う必要がありそうだ。

(注記のない写真はヒトラボ提供)

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