「お客さん扱い」で発達の課題が見過ごされるリスクも
外国籍など、日本語指導が必要な子どもを支援する横浜市の国際教室。菊池聡氏は市内のいくつもの小学校を歴任し、長く国際教室での指導を続けている。現在は横浜市立上飯田小学校に勤めているが、同校の外国にルーツを持つ子どもの割合は全体の7%と比較的少なめだ。外国籍の子どもが過半数を超える学校でもさまざまな取り組みを行ってきた(関連記事)同氏だが、教室に1人だけ外国にルーツを持つ子どもがいるような学校では、また異なる課題があると語る。
「日本語に課題のある子どもが圧倒的少数派の場合、授業でも彼らを飛ばせばそのまま進めることができてしまいます。そのため、そうした子どもをいわゆる『お客さん扱い』することが適切な配慮だと思い込む教員も一定数います」
過去にはこんな例もあった。父親が日本人だが母親が東南アジアの出身で、日本語力だけでなく学力にも課題がある児童がいた。彼は菊池氏らが日本語で話しかけると理解はするようだが、つたない英語で返答してくる。通常の教室で、その子どもはただ日本語ができない存在として「お客さん扱い」を受けていた。だが菊池氏は「これは日本語だけの問題ではない」と感じた。
「ほかの先生方や保護者にも相談して、一度きちんと検査を受けましょうということになりました。結果、その子どもには発達に障害があることがわかりました。ほかに対処すべき問題があるときにも、言葉の課題の陰に隠れて見過ごされてしまうこともあるのです」
菊池氏が初めて国際教室の担当になった横浜市立いちょう小学校(現・横浜市立飯田北いちょう小学校)では、ピーク時の外国籍の子どもの数は全校児童の8割近くになっていた。外国にルーツを持つ子どもと日本人の子どもを別々に扱っていたのでは、学校運営が成り立たない状況だったという。だが、日本語指導が必要な子どもを擁する学校のほとんどは、日本人が多数派だ。菊池氏は在籍したさまざまな小学校でノウハウを広めようとしたが、やはり急に理解を得ることは難しかったと話す。
「今も苦労はしています(笑)。例えば今年の2年生と3年生はとくに日本語指導が必要な子どもが多いので、集中的に取り組みたいと考えています。2学年分の国語と算数の授業にはすべて関わりたかったので、先生方には時間割が重ならないように調整してほしいと伝えました。実際には、それがとても大変であることは知っていましたが――。それでも、これまで丁寧に指導してきた外国にルーツを持つ子どもたちが、学校の中で活躍する機会が明らかに増えている。先生方もそうした結果を見てくれて、今では不満を言いながらもきちんと調整してくれています(笑)」
菊池氏は「ぶつかりながらも結果を見てもらって、少しずつ理解を得ていくしかない」と続け、教員が変わることの重要性を強調した。
子どもの誇りを育てる「母語教育」で行動も変わる
実は菊池氏は、日本人の子どもに日本語を教えた経験も少なくない。子どもの問題行動と感情を言語化する能力の関係性も取り沙汰されているが、日本人の子どもにも、日本語力を高めるための指導は有効だという。
家庭の事情など、さまざまな問題を抱えるのは外国にルーツを持つ子どもたちだけではない。「日本人の子どもも支えなければ不満が出て当然です」と語る菊池氏の親身な指導により、国際教室の子どもたちとも仲良くなり、日本語を教えたり勉強をサポートしたりと、リーダーシップを発揮するようになる日本人の子どももいるそうだ。
同氏は「母語教室」にも取り組んでいる。来日して日本の小学校に通う子どもたちの中には、母語しか話せない保護者との言葉によるコミュニケーションがしだいに難しくなってきたり、日本になじんだことで自分の家族を恥ずかしく思ってしまったりする例がある。菊池氏の開催する母語教室の大きな目的は、そうした子どもたちが、親への感謝と自分がつながる国への誇りを持てるようになること、それぞれの母語や母文化を保持・継承することだ。現在、飯田北いちょう小学校ではベトナム語と中国語の教室が、上飯田小学校では中国語教室が開かれている。
「母語で教育を受ける権利は子どもの権利条約にも記されていて、日本は条約には批准しているものの、実情はまだまだというところです。自分の国に誇りを持たせることは、例えば家族と距離を取って家に寄り付かなくなってしまうといった問題行動を防ぐこともできる。上飯田小学校では、放課後の学習教室と中国語教室を近隣の大学と協働して行っているので教員の負担にもならないし、多文化共生に理解の深い若者を増やすことにもなる。いろいろな相乗効果があります」
菊池氏の過去の教え子で、日本で生まれたベトナム人の女の子がいた。彼女はだんだんベトナム語がわからなくなっていく自分に、アイデンティティーの危機を覚えていたようだった。
「小学校を卒業してからも会いに来てくれて、『自分はどんどん日本になじんでいく。でも、ボートピープルとして命からがら日本にやって来た両親の経験も尊重したい』と話してくれました。私の下でベトナム語教室に参加していたこともきっかけになり、ベトナム語をきちんと勉強してベトナムに留学できる大学に行きたいと進路を決めたのです」
国籍やルーツを問わず、頑張った人が認められる社会に
さらに菊池氏が現在注力しているのは「やさしい日本語」の推進だ。例えば自治体の発行物などはこれまで、それぞれの国の言葉で複数のパターンを作って示すというサービスが行われてきた。だがそれではすべての人をフォローしきれないという事実が、災害時などに明らかになってきている。そこで進められているのが、多様な人が理解しやすい平易な日本語を活用することだ。地震が起きたときなど、「にげて」というひらがながテレビ画面に表示されているのを見たことがある人もいるだろう。
「ひらがなの『り』や『さ』などは、実際に書くときの形と、印刷物で使われるフォントの形が違うことが多く、これも『やさしい日本語』に改めていく必要があります。子ども向けのプリントには、多くの人にとって読みやすい『UDデジタル教科書体』を使ってもらうよう、先生方にもお願いしています」
テストなどで視認性の高いフォントを使うことにより、日本人の子どもの正答率も上がるというデータが出ていると言う。菊池氏の取り組みは、日本人にとってもメリットが多いものばかりだ。
菊池氏は、ある研修で講演した際「ものすごくショックだったことがある」と言う。
「行政の管理職研修に招かれた際に、これまでの多文化共生の学校づくりや母語教育などの取り組みについてお話ししたときのことです。聞き終えたある方が『貴校や菊池先生の取り組みは確かにすばらしい。でも母語ができても、母国に誇りを持っているからといっても、日本でいい大学や会社に入れますか? 早く日本語を覚えて日本文化に適応できるほうがいいんじゃないですか?』と言われたのです。本当にショックを受けました。ボランティアの尽力などにより、マイノリティーの子どもの支援がうまく回ってきている地域も多くあります。でも課題は彼らを認めてくれる受け皿が少ないこと。講演を受けていたその人の言葉が、日本社会のかたくなさを表している。一人ひとりが変わっていかなければ状況は変わらないと思います」
難民の問題も同様だ。ロシアの軍事侵攻以降、日本はウクライナ人の難民を受け入れている。だが「日本は受け入れるだけで、しばらくすると支援を打ち切ってしまう。そうすると彼らはボランティアの支援に頼るしかありません。自立できるまで支援を続けること、その後の彼らを受け入れる社会であることが重要だと思います」と菊池氏は語る。
取材の最後に、菊池氏は「ホノルル国際空港の今の名前を知っていますか?」とクイズを出した。2017年に改称された同空港の正式名称は「ダニエル・K・イノウエ国際空港」。日系人ながら50年近く米国の上院議員を務めた、日本名・井上健氏にちなんだものだ。
「ハワイでは、日系2世であるイノウエさんの活躍を認めて空港の名前にまでしました。日本ではどれだけ活躍したとしても、『グエン空港』とか『チャン空港』といった空港が生まれることはないでしょう。日本人だから、何人だからではなく、頑張った人が認められる社会になってほしいと思うのです」
(文:鈴木絢子、撮影:大澤誠)