狙いは、県の弱点だった「理数工学系人材の強化」

2008年から博士号教員の採用を行ってきた秋田県。先んじて取り組んできた狙いはどこにあったのか。秋田県教育庁高校教育課管理チームのリーダーを務める石井勇悦氏は次のように語る。

「当時、県知事や教育長などでつくる秋田県発展戦略会議で、学校教育の質的向上策として、県の弱点とされていた理数工学系人材を強化することが提案されたことがきっかけです。そこで、理学、農学、工学などの博士号取得者を公立高校に採用することになりました」

採用初年度の2008年は志願者57名に対し、採用は6名。以降、断続的に年1名を採用してきた。県単独で予算を組んでいるため、欠員が生じれば採用する方針を採っている。合格者が教育免許を持っていない場合は採用後に特別免許状を授与し、通常の教員と同様に初任者研修も実施しているという。

これまでの採用実績は12名(うち非常勤1名)で、物理、化学、工学、生物、農学、生物資源科学、環境資源学などを専攻した博士号取得者を採用してきた。出身は秋田県に限らない。これまで5名が退職しており、常勤の博士号教員は現在7名。専門高校3校といわゆる進学校4校に配置されている。

博士号教員は担任を持たず、人事異動の頻度も比較的少ない。主に探究の指導や、県内の公立小中学校・高等学校などへの出前授業や理数科合同研修会での指導、高大連携や進路指導などを担う。しかし持ちコマ数は、普通の教員と同様に16~18コマ近くを担当するケースが多いほか、高校の行事参加や校務分掌なども担当しており、実態としては一般の教員と働き方はそれほど変わらない。

「秋田県には理数科のある高校が6校、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校が2校あり、それぞれ課題の成果を発表する会などを実施しています。そこでも博士号教員が指導・アドバイスしています」(高校教育課指導チーム指導主事の後藤直地氏)

石井氏は、「博士号教員の方々は非常に優秀です。授業や課題研究について一般の教員が担えないような高度な内容を指導いただいており、博士号教員でなければ達成できない成果を上げてもらっています」と話すが、実際にどのような指導を行っているのだろうか。

専門性に基づく指導、大学とスムーズに連携できる強みも

現在、秋田県立秋田高等学校で生物を担当している遠藤金吾氏(47歳)は、埼玉県出身。大学院では生命科学を専攻していた。

遠藤金吾(えんどう・きんご)
秋田県立秋田高等学校 教諭
埼玉県出身。東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より秋田県の博士号教員。2016年より現任校に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」

「ポスドク時代に研究の世界に限界を感じ、教員になろうと思って応募しました。採用時に特別免許状をいただきましたが、大学時代に教職科目をある程度取っていたので、すぐに残りの科目を取り、専修免許状を取得しました」(遠藤氏)

初年度の2008年に採用され2校を経て、現任校の勤務は今年で9年目。生物や探究の授業を担うほか、進路指導部で副主任、部活動で生物部を担当しており、「博士号の専門性や大学でのキャリア経験を生かせる分担にしていただいている」と遠藤氏は言う。

博士号の強みは現場でどう生かされているのだろうか。

「例えば今の高校生物の教科書には、私が大学の専門課程で学んだような新しい内容がたくさん載っています。いわば1つひとつがノーベル賞級の発見で、授業ではその最新情報やバックグラウンドも含め、大学のどんな研究につながっているかなどを伝えながら、生徒たちに自分で考えさせるような授業を心がけていますね。理数探究については、テーマ設定についてのガイダンス、研究ノートの作り方、実験データの統計的処理、論文の書き方などの授業計画を立て、学科全体で生徒の研究能力を伸ばす指導を行っています。また、博士号取得者は大学のことがよくわかっているので、共同研究やキャリア教育などにおいて大学とスムーズに連携できる面もあると思います」(遠藤氏)

数々の受賞、「打算的な対策をしているわけではない」

遠藤氏は、生徒のコンテスト参加もサポートしてきた。まず前任校では博士号教員として着任後、生徒の希望によってできた生物部の指導を担当することになったが、わずか3カ月で「日本進化学会2010」の高校生部門で生徒が最優秀賞を獲得、その後も各種コンテストの受賞実績がある。

前任校の秋田県立秋田南高等学校では、初参加した学会の高校生部門で最優秀賞を受賞

秋田高校でも各種コンテストの受賞を重ねており、今夏の全国高校総合文化祭の生物部門でも生徒が「最優秀賞・文部科学大臣賞」を受賞した。こうした実績は、単に勝ち負けだけにこだわった結果ではない。「『科学的に適切な考え方で研究を進めていく能力』や『論理的に表現できる能力』が育つよう指導しています」と遠藤氏は話す。

遠藤氏の探究指導や進路指導を受け、それまでの活動を通して身に付けた能力が評価され、東大の推薦入試で合格を果たした生徒も複数いる。しかし、遠藤氏は合格のための打算的な対策をしているわけではないという。「生徒が面白いと思って研究することを重視し、探究活動を通じて将来のために望ましい能力を育てることを心がけてきました」と遠藤氏は説明する。

「大学の研究者を諦めてこの仕事に就いたはずなのに、結果として大学の先生と同じように研究費を集めて生徒の研究環境を整備し、研究を通して生徒の能力を伸ばすということをやっています。人生とは不思議なものです」(遠藤氏)

研究を進める中で、遠藤氏が気づかないようなやり方や分析を生徒が語り始めるとき、探究をやりたくないと言っていた生徒が面白さに目覚めたとき――そんな輝くような成長の瞬間に遭遇することがうれしいと遠藤氏は言う。

しかし、全員が研究の道に進む必要はないと思っている。

「全国高校総合文化祭において生物の研究で2位を受賞した生徒は、『本の文化の新しい方向性を創造する』と言って東大文学部に進学しましたが、そうやって自分がやりたいことをやって幸せになってくれたらそれでいい。課題研究で身に付く能力は研究者以外の職業でも有用だと考えています」(遠藤氏)

エネルギーを持たせてあげることができれば生徒は伸びる

県立大曲農業高等学校の園芸科学科で博士号教員を務める大沼克彦氏(54歳)は、大学院で生殖生化学を専攻していた。2010年に採用され、同校に赴任して今年で15年目になる。

「ポスドク研究員の契約が切れるのを機に応募しました。当初は大学教員が第1志望でしたが、よく考えるとその理由は研究をしたいからではなく、教えたいからだということに気づいたんですよね。ならば大学にこだわることはなく、理科の教員免許も持っていたので博士号教員もいいなと思ったのです」(大沼氏)

大沼氏は秋田県出身だが、地縁は関係なく、あくまでキャリアを生かすために博士号教員を選んだ。学校の要望で採用後に農業の教員免許も取り、現在は16コマほど授業を持っている。担当科目は植物バイオテクノロジーなどの農業系科目のほか、情報系の科目や探究活動に当たる課題研究も担当している。毎月2~3回、小中高と特別支援学校で出前授業を行っており、今年上半期だけで20回実施した。校務分掌ではICT関連を担当し、教務部にも関わる。担任は持っていないものの、業務の幅は広く忙しそうだ。

出前授業の様子
(写真:大沼克彦氏提供)

探究活動においては、テーマを決める際に悩む生徒は多いためディスカッションをさせるが、その中で取り組むべき課題が見えてくることが多々あるという。そんなとき大沼氏は、「これって不思議だよね」「ここすごいよね」と新鮮な驚きを共有しながら生徒に働きかけ、気づきを促すようにしている。

「博士は課題を見つけたり、それをどう解決するかを考えたりするのが好きです。博士号教員の強みは、そうした課題を発見する能力が高いことかもしれません」(大沼氏)

また大沼氏は、生徒たちの力を信じている。

「農業高校は、第1志望の普通科に入れず不本意に入学し、専門の勉強を苦痛に感じている生徒が少なからずいます。そのため、自分のキャリアの話を織り交ぜたり、『社会課題になっている飢餓は、君たちがこれから勉強する技術が救うかもしれないよ』と最先端情報と結び付けたりして、少しでも生徒がワクワクするような授業を心がけています。学校や学科で将来を決めつけてほしくないんですよね。生徒にできる限り材料を提供してしっかりとエネルギーを持たせてあげることができれば成績は伸びますし、本人が興味を持てばこちらが感心するほどの課題研究をやり遂げるようになります」(大沼氏)

実際、授業を通じて学習の面白さに気付いたり、「研究がしたい」と大学に進学したりする生徒もおり、そうした姿はやはりうれしいと大沼氏は話す。

「探究指導法の体系化」「高校生のためのリファレンス」に意欲

大沼氏は、県内の博士号教員が自主的に立ち上げた組織「博士教員教育研究会」の代表も務めている。同会の目的は主に人材づくりにあり、県の事業目的に同会の意向を反映する形でさまざまな取り組みを行っている。

大沼克彦(おおぬま・かつひこ)
秋田県立大曲農業高等学校 教諭
岩手大学大学院で博士(農学)の学位を取得後、生物資源研究所(現農研機構)、産業技術総合研究所などでポスドクをした後、2010年から現職。所属校での授業のほかに、依頼を受けて県内小、中、高、特別支援学校などで科学実験や探究活動を年間20~30件指導する
(写真:大沼克彦氏提供)

具体的には、知識や思考力を高める「科学教育活動」として出前授業のほか、ハイレベルな実験講座の開催や、「科学の甲子園」の予選を通過した学校への支援などをしてきた。また、「研究教育活動」として協調性や表現力の向上を念頭に、探究学習や研究発表会での指導を実施。さらに「研究支援活動」として、総合理解力やディスカッション力を磨くための研究相談事業を行っている。

「表向きは生徒に対しての指導ですが、先生も参加されますし、先生の科学教育における指導力を強化する狙いもあります。博士号教員だけで専門的な指導をするよりも、探究学習を担当している先生たちにスキルを上げていただき研究活動の底上げをしたほうが、生徒たちのメリットが大きいと考えます」(大沼氏)

確かに今、教育現場では探究学習が推進されているが、どのように研究を進めてよいのか悩む教員は少なくない。

「探究学習は正解がない教育です。これまで正解を導いてきた先生方にとってはストレスでしょう。これからは探究学習を担当する先生方への指導も考えなければならないと思っています。どんな指導をすれば生徒たちをうまく導くことができるのか、指導方法の体系化もやってみたいですね。また、すでに秋田県内の生徒の膨大な探究活動が蓄積されていますが、現状それを生かせていませんので、県内の全高校生が利用できる高校生のためのリファレンスもつくりたいです」(大沼氏)

さまざまな成果を上げている博士号教員。一度配置された高校からは「手放したくない」、未配置の学校からは「うちにもほしい」といった声が寄せられると、石井氏は話す。しかし、予算の壁があり増員したくても難しいのが現状だという。

「教員不足の問題から授業数をかなり持ってもらっており、ご自身の研究に時間をさいていただく体制ができていない点も課題ですが、今後もこの取り組みを続け、教育県としての秋田の存在感をさらに高めていきたいと思っています」(石井氏)

(文:國貞文隆、注記のない写真:遠藤金吾氏提供)