高校生だけでテーマ設定をすると、どうなるか?

筆者は秋田県の県立高等学校で、博士号教員として17年間、探究の指導を担当しています。まずはこれまでの指導経験を基に、高校の探究の授業でよくある事例をご紹介します。

【よくある事例】
Aさん:私たちの班のテーマが決まりました!「核融合発電を実現してエネルギー問題を解決する」です。

Bさん:私たちの班は、「5年後生存率の低いすい臓がんの新しい治療法の開発」です。

Aさん・Bさん:この課題の解決を通して社会貢献ができると考えました!

教員:お、おぅ……(心の声:それ、実現できたら大人は苦労していないのだが)。どちらも壮大すぎるのでは? 1年間の授業で、高校の理科室の設備ではできないだろう。

Aさん:では、第2候補の「炎色反応の色を確かめる」にします。昨年の化学基礎の授業でやった炎色反応が面白かったので、本当にそのとおりの色になるのかを確かめます。

教員:それで?

Aさん:それで終わりです。そうなるか確かめたいだけなので。

教員:たぶん30分くらいで終わるよ。残りの時間は何をするの? それに、知りたいだけなら動画とか検索すれば結論は出るよ。せっかく1年やるならすぐには結論が出ないものにしようよ。

Bさん:私たちの第2候補は「〇を材料に△を合成する方法の検討」です。

教員:それ、検索すると同じテーマを10年前にX高校がやっているね。

 

これは少し大げさに書いた架空の事例ですが、およそ似た光景が全国の高校で毎年繰り返されています。「新規性」と「実現可能性」のあるテーマが望ましいのですが、そうしたテーマの設定は非常に高い専門知識と経験が必要で、実際はとても難しいものです。

全国の大学や大学院の卒業研究においても、学部生はもちろん、ほとんどの修士の院生も、本人の興味に沿って教授や准教授から研究テーマを与えられています。学部4年生や修士学生の大半は独力でテーマ設定ができないくらい、現代はさまざまな分野の学問が高度化しているからです。それを高校生が独力で行うのはほとんどの場合は無理があり、指導教員の適切な支援が必要になります。

テーマのヒントは「教科書」にもある

では、どうすればよいでしょうか。重要なのは、生徒との対話です。前述の事例のやり取りで言えば、生徒がどんな分野に興味がありそうなのか、さらに問いかけていくことでぼんやりと見えてきます。

【問いかけの例】
教員:Aさんは化学分野に興味があるのだね。ほかに興味がある実験は教科書に載っていたかな?

Aさん:電気分解ですかね。

教員:では、やってみようか。

 

「えっ、そのまま実験するだけでは新規性がないのでは?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、こんな実例があります。

遠藤金吾(えんどう・きんご)
秋田県立秋田高等学校 教諭
埼玉県出身。東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より秋田県の博士号教員。2016年より現任校に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」
(写真:本人提供)

仙台市のある高校で、化学部の生徒たちが教科書に書いてあった「硝酸銀水溶液の電気分解」の実験をしていました。それ自体は「模倣」です。しかし、硝酸銀水溶液の濃度や電圧の条件を変えてみると、教科書とは異なる黒色の物質が陽極から生じました。これは、電気分解で合成できることが知られていなかったAg2O3であり、この生徒たちはほかの製法よりもより低コストで生成できることを明らかにしたのです。

この成果は海外の科学雑誌にも掲載されました。始まりは教科書に書かれてある実験で、これ自体は新規性のないことですが、条件を変えることで新規性のある成果が得られたという好例です。

素材を別のものに変えて同じ手法で行う研究は、「銅鉄研究」と言われることがあります。「他人のまねで、新しい発想がない」ということで研究者の間では否定的に扱われがちです。

この仙台市の生徒たちは、素材を変えたわけではないので厳密には銅鉄研究ではありませんが、「教科書の実験と素材は同じで条件を変えた」という意味では銅鉄研究に近い発想から始まっています。しかし、その後、「生成した物質は何か」「この物質はどんな性質があるか」などさまざまな方向に生徒の発想で研究は広がりを見せていったそうです。

高校教育において探究活動を行う目的の1つとして、生徒の能力を伸ばすということがあります。その観点から考えると、既存実験から始まっていたとしても、その目的は十分に果たせています。また、教員にとっても教科書でよく知っている既存実験が起点になっていると指導しやすいという利点もあるのではないでしょうか。

「既存実験の条件をちょっと変えて……」ということならば、前述の【よくある事例】の会話文中に探究のタネはほかにも埋もれていそうですね。生徒自身は気付きにくいので、うまく見つけて引き出すのは指導教員の役割です。できれば根拠を持って「この条件だと別の結果になるのではないか」と予想を立てて独自のテーマが設定できれば最高です。

「対象範囲を絞る視点」を持つ

時と場合によって、対象範囲を絞っていくことも大切です。次の事例は、筆者の勤務校、秋田高等学校で筆者と理数科の生徒の間で実際に交わされた対話です。

【対象範囲を絞った実例】
筆者:どんなことに興味があるの?

生徒C:薬に興味があります。

生徒D:私は茶道部なのでお茶に興味があります。

筆者:お茶と薬ですか……。何か相性が悪そうだなぁ。

生徒C:お茶で薬を飲んじゃいけないって言いますもんね。

生徒D:薬の飲み合わせとか面白そうですね。検索すると、飲み合わせの禁止事項ってたくさんありますね。

筆者:しかも「薬」と一口に言っても膨大な種類の薬があるね。

生徒C:薬の飲み合わせの実験ってできますか?

筆者:ヒトや動物での実験は倫理的な問題がある。効果の測定もどうする? 採血しても成分が分析できないし、採血そのものも危険。唯一実験可能な薬は、細菌に作用する「抗生物質」だろうか。

 

ということで、細菌を実験対象とし、「『抗生物質』と『緑茶の成分物質』の組み合わせによって抗生物質の作用が変わるのか」という探究活動が始まり、現在でも本校生物部に引き継がれて進められています。

この生徒が膨大な種類の「薬」に注目し続けたように、大きな概念で捉えたまま「検証不可能」に陥ることはありがちです。しかし、「細菌のみに作用する抗生物質」のように、学校でも検証可能なものにピンポイントに焦点を絞ることでテーマとして成り立つようになります。生徒が対象とする興味の範囲が広いときは、ぜひこの視点を意識してサポートしてあげてください。

指導担当の教員は「無理をしないこと」

もう1つ、指導を担当する教員にとって、大切にしたいポイントがあります。それは、無理をしないということ。例えば、大学教員は各自に専門分野があり、学生はこれに沿って研究室を選びます。研究のプロである大学教員でも専門領域以外の研究指導は通常行いません。高校の教員にも同じことが言えるのではないでしょうか。筆者はもし専門外の分野について相談があったら、決して無理はせず次のように正直に対応すると思います。

【専門外の相談があったら?】
生徒E:〇〇山の森林の生態系についての調査というのはどうでしょうか。

教員:生態系と一口に言っても、具体的に何を調べる?

生徒E:どんな種類の樹木や草が生えているのか、どんな種類の動物がいるのかを調べます。

教員:どうやって?

生徒E:図鑑で調べれば……。

教員:うーん……すまない。自分も含めて科学的に正確な判断ができないと思う。

 

筆者は生物分野で博士号を取っていますが、生物すべてに詳しいわけではありません。いわゆる「分子生物学」、DNAやタンパク質などの生体分子の働きに関する分野が専門です。「森林の生態調査」という分野について、もちろん高校の教科書や大学入試問題を指導できる程度の知識は持っていますが、「野山の動植物1つひとつを詳しく知っているか」というと、凡人レベルです。これはあまり知られていませんが、外見上の特徴での草木の学術的な種の判別は、その分野で相当な修業を積んでいないとできないくらい高等技術です。

よって、そのような分野での探究活動に関しては、生徒が誤った考察・判断をしたときに「ダメ出し」ができず指導教員として機能しないと自覚していますので、外部指導者のサポートが付くなどでない限りはできるだけ回避して、なるべく自分の得意な分野に生徒を誘導します。

「生徒の望みを叶えるべきではないか」という意見もあるでしょう。しかし、高校の教員も1人ひとり、分野の得意・不得意はあります。また、探究以外の仕事も日々抱えているのも現実です。授業のほかに学級担任や学校運営に関わる業務をそれぞれ担っています。探究の指導だけに莫大な労力をかけることができないのが実情です。

ほかの業務との両立のためにも無理はせず、ご自身の負担も少なく済む「得意な分野」で引き受けることをお勧めします。それが結果として生徒のためにもなります。「その内容は自分には無理」と言える勇気を持ちましょう。そして、慣れてきたら無理のない範囲で自分の幅を少しずつ広げてみるのが理想だと思います。

その先に「ポジティブな成果」がありそうか?

大学教員は、学生の卒業研究のテーマ設定をするときに「ある程度何らかの成果が望めるもの」を設定しています。成果が出ないと卒業論文が書けず困るからです。高校生の場合も、「このまま進んでいったら着地点はどうなるかな……」と指導教員側で予測し、できればちょっとでもポジティブな成果が残せる方向で探究活動を進めさせたいものです。

「高校生の探究は成果を出すことが目的ではない。失敗するのもよい勉強だし、探究の過程で手法や考え方を学ぶのが目的だ」というご意見ももっともです。ですが、やはりある程度努力したら、小さくても成功を掴むことができたほうが、「探究」に対してポジティブな気持ちで卒業できると思います。

予想どおりの成果が出ないのも探究の難しいところではありますが、ポジティブな経験ができた生徒は、きっと前向きな「探究マインド」を持ち続けることができるのではないでしょうか。そして、物事をよく見て考える豊かな人生を送ることにもつながるかもしれない――筆者はそう考えています。

(注記のない写真:kou/PIXTA)

「きみのお金は誰のため」プレゼントキャンペーン