「夢の強要」の問題提起から4年、何が変わったか?

「ドリーム・ハラスメント」(以下、ドリハラ)とは、いったい何か。一口に言えば「夢の強要」となるが、さらに言えば「夢を持てと、とくに若い人に対して強要すること」だと教育思想家の高部大問氏は定義する。

高部大問(たかべ・だいもん)
教育思想家
1986年淡路島生まれ。慶應義塾大学商学部卒。中国留学を経てリクルートに就職。大学事務職員に転身し10年間従事。現在は、社会福祉法人に在籍。1年間の育休経験も踏まえ、教育現場のリアルを執筆・講演活動などで幅広く発信。著書に『ドリーム・ハラスメント』(イースト・プレス)、『夢想勒索』(真文化)、『サステナビリティ時代の会社(共編著)』(慶應義塾大学出版会)、『ファスト・カレッジ』(小学館)。NPO理事、慶應義塾大学准訪問研究員
(写真:本人提供)

高部氏は、リクルートで新卒採用や他社採用支援業務などを担当後、大学の事務職員に転身。その傍ら、中高生やその保護者、教員に向けたキャリア講演活動も行ってきた。一貫して教育に関心を持っており、現在は社会福祉法人で採用関連のマネジャーを務めながら、引き続き講演や執筆活動を続けている。

そんな高部氏は、ドリハラの問題意識を持ったきっかけについて次のように述べる。

「2014年頃から中学校や高校に講演に出かけており、そこでたまたま夢の話をする機会がありました。講演では毎回、質疑応答やアンケートを行うのですが、その回答を見れば見るほど、話を聞けば聞くほど夢を強要されている生徒たちの実態が浮き彫りになったのです。当時、出会った生徒は1万人を超えていましたが、少なく見積もっても4人に1人以上は夢の強要に苦しんでおり、これは生徒に対するハラスメントだと言っても過言ではないと考えるようになりました」

今でも高部氏が鮮明に覚えているのは「おまえは夢がないから、ろくな人生を送れない」と保護者に言われ憤る生徒や、「夢を持て、という風潮はクソだ」と吐き捨てる生徒たちの生の言葉だ。それも1人や2人ではない。助けを求めるような生徒たちの悲鳴を高部氏はたくさん聞いてきた。

学校側に話を聞いてみると、夢を起点とする指導について「進路指導では使いやすいし、わかりやすい手法なので、どうしても使ってしまう」という声も少なくなかったという。

高部氏が、そうしたドリハラの現状について、2020年に著書『ドリーム・ハラスメント「夢」で若者を追い詰める大人たち』で問題提起してから4年。何か変化はあったのだろうか。

「1つは、この問題意識が社会的、あるいは世間的に共有されつつあると感じており、これはポジティブな変化だと捉えています。その一方で、副作用も出てきているように感じます」と、高部氏は言う。

例えば、SNSなどで「ドリハラなんて言葉があると、若い人に夢について聞けなくなる。コミュニケーションが取りづらい」といった声が散見されるという。しかし、高部氏は、決して「夢を持つな」と主張しているわけではないと話す。

「夢を持つことを否定しているわけではありません。むしろ夢に向かって歩んだ人をリスペクトしていますし、子どもたちとじっくり向き合っている中で、『夢はあるの?』と聞くことを否定しているわけではありません。ただ、夢は強要されるものではないと言いたいのです。夢は自然と持つもの。社会人になって初めて思い浮かぶとか、多くの出会いを通じて出てくることも往々にあります。そうした考え方や多様な生き方を許容してほしい。今は、そのあたりの問題が解決されるまでの過渡期にあると感じています」

「キャリア・パスポート」や「探究」が受験の道具にされる懸念

一方、学校現場では、2020年度から新たな学習指導要領が実施され、探究学習に代表される主体的な学びが推進されるようになるなど大きな変化があった。また、小学校は2022年3月、中学・高校では2023年3月からキャリア教育の手引きが改訂されている。その流れの中、興味・関心の深掘りが推奨されており、探究を深めて進路選択につなげたり、総合型選抜などで合格することを目指したりする動きも増えている。

こうした変化について、ドリハラの観点から高部氏はどう見ているのだろうか。

「子どもを持つ親としてキャリア教育の推進を実感したのは、学習指導要領の改訂に伴い、『キャリア・パスポート』が導入されたことですね。よくも悪くも病院のカルテのようで、子どもの状態や、目標とその達成度、その過程でどんなことが身に付いたのかなどを記入・管理するものになっています。確かにわかりやすいのですが、夢を決め逆算して計画的に人生を歩んでいくロジカルな生き方だけが是とされるのだと、子どもたちが受け取ってしまうのではないかという懸念があります。パスポートというネーミングも『これを持っていないと通過できない感』があり、ちょっと重い。新たなキャリア教育の手引きもPDCAが回っていればよいというように読める内容だと感じます」

さらに高部氏は、キャリア・パスポートが受験の道具にされてしまうのではないかと危惧しており、探究学習についても懸念を示す。

「どういった内容を探究学習で扱えば難関大学への合格確率を高められるのかと、戦略的に探究学習に取り組んでしまう生徒や学校が増えると考えています。すでに受験産業も絡んできていますので、本当に興味や関心に基づいた純粋無垢な探究学習なのかという点には疑問符がつきます。こうした状況から、ドリハラが増えているのではないかと感じています」

夢を細かく問われない「学業優等生」にも課題

ドリハラを受ける子どもたちの心配な反応には、4タイプあると高部氏は言う。やりたいことを決められず夢に出合える日を待ち続ける「待機型」、慌てて夢をひねり出す「即席型」、大人が喜びそうな夢を適当に設定する「捏造型」、夢について細かく聞かれることがない「免除型」だ。

この中で、待機型、即席型、捏造型はわかりやすい被害者だが、免除型にも大きな課題が潜んでいると高部氏は指摘する。

「中高大とスムーズに進んで社会人になっていく免除型は、勉強ができるいわゆる優等生に多い傾向です。例えば、夢は何かと聞かれて『東大合格』と答えるような生徒に対して学校の先生は反対しません。その夢をなぜ持ったのか、東大に入ってその先に何をするのかなどを点検してもらえないのです。実はそうしたノーチェックな子たちほど希望の大学や企業に入った後、本当に自分は何をしたかったのかと壁にぶち当たるケースが多い。受験の勝者こそ、夢の取り扱いについて注意すべきだと思います」

重要なのは「好奇心の芽」をつぶさず守ること

ならば、本来のキャリア教育はどうあるべきなのだろうか。高部氏は、まずは子どもたちそれぞれの好奇心を保護者や先生たちが保護していくことが大事だと強調する。

「好奇心の芽は不安定でもろい。『そんなのやめときなさい』などの大人の一言によって、簡単に吹き飛んでしまうものです。だからこそ、子どもの好奇心を守ってあげる必要があるし、守ってくれる人になるべく多く会わせることが大事だと思います。子どもたちの人材データベースを豊かにし、『こんな生き方もある』ということを子どもたちに気づかせることが重要です。また、一見、好奇心がないように見える子も、本当は好奇心があったり、どこかのタイミングで必ずその芽を出すと私は考えています。そのため、大人は長い目で子どもに寄り添っていくことが必要だと思っています」

そのうえで、夢がない子や夢が持てない子に対しては、ソーシャルサポートの視点が重要だと高部氏は考えている。例えば、小学校の段階で必要なのは、「情緒的サポート」だ。子どもたちが好きなマンガやアニメなどの登場人物を取り上げて、人生とキャリアの話を織り交ぜながら夢のない生き方にもエールを送るなど、子どもたちの感情に寄り添うことが大切だという。

進路指導が入ってくる中学校の段階では、子どもたちに自分の最大出力を出して何かをやり切る経験をさせることが大事になってくる。これは「道具的サポート」と言われるもので、行事など子どもたちが挑戦できるコンテンツをどんどん子どもに与えてあげるとよいという。

「高校の段階では、『情報的サポート』がよいでしょう。高校生にもなると、情報を与えれば自分で考え、水を得た魚のように動き始めたりします。キャリア理論などをかみ砕いて話してみるのもいいかもしれません。つまり、小学校では伴走、中学校では並走、高校では自走できるようにしていく。先生たちが、そうした指導を各段階で行っていくことがキャリア教育においては重要になっていくと私は考えています」

(文:國貞文隆、注記のない写真:USSIE/PIXTA)