教師本来の魅力がわからなくなるほど多忙な現場で思うこと
「教師の醍醐味は、生徒の成長を間近に見ることができること。私は教師の仕事を通して、長いドラマを見せられているような気がします。しかし、その本来の魅力がわからなくなってしまうほど現場は多忙で、生徒と関われる時間を何とかつくろうとするものの、難しい状況が続いています」
こう話すのは、東京都立中高一貫教育校に勤務する峯岸久枝氏だ。
平日は朝早くから夜遅くまで学校にいて、目の前の業務に追われる毎日。自宅に仕事を持ち帰ることもあり、プライベートな時間を犠牲にすることも少なくない。土日も部活動や大会の引率、学校行事などがあり、たまの休みがあっても疲れ果てて何もできない……こんなネガティブなスパイラルから抜け出せずに一人悩んでいる先生は多いのではないだろうか。
なぜ教師になりたかったのか。教師になってやりたかったことは何だったのか。その原点に立ち返って日々の業務を見直し、教師本来の仕事である生徒に向き合う時間をつくるために峯岸氏が実践しているのが「塩対応」だ。
民間企業での経験から見ると学校の現状には違和感を覚えた
そんな峯岸氏は、異色のキャリアを持つ教師だ。大学卒業後、IT大手の富士通に入社し総合職の営業として活躍。在職中に通信制大学に編入してオンライン授業で学び、土日・長期休暇にはスクーリングに通って教員免許状を取得し、2008年に公立学校の教師となった。就職氷河期ほどではないものの競争率は全体で6.5倍と高かった頃のことである。
「会社の仕事には、とてもやりがいを感じていました。後輩が入り、新人の育成を担うようになったのですが、いろいろ話を聞いてみても中学・高校時代の思い出がない。楽しかったことを尋ねても『何ですかね』と、寂しい返事。彼らは中高時代、いったいどんな学校生活を送ってきたのかに興味を持ったのが、教師になろうと思ったきっかけです。当時の若者や学校のあり方に疑問を持ち、支援したいと思いました。未来の担い手を育てることで社会を変えたいと考えました」
公立を選んだのは、私学は家庭の経済水準が一定で、教育理念などもあって画一化されており、似たような生徒が多いように感じたからだ。一方、公立の学校にはいろいろな生徒がいる。そもそも東京の若者に疑問を抱いたことから、東京の問題は東京で解決するしかないと都の採用試験を受けた。
峯岸氏が最初に配属されたのは商業高校だった。だが、社会に出て民間企業で働いた経験を持つ立場からすると、その現状には違和感を覚えたという。
「ほとんどの生徒が卒業したら就職するのですが、みんなに簿記などの資格を取らせるんです。もちろん、資格自体を否定するつもりはないのですが、実社会と学校教育とは違うのではないかと……。例えば3年生の時には模擬会社の実践体験をするのですが、紙のタイムカードを押すとか、原価計算を電卓でするとか、企業で働いていた私にとっては時代おくれなんです。指摘しても先輩教師は『これでやってきているから』と取り合ってくれない。私だけでも生徒に現実を伝えたいと思いました」
率直な意見で先輩教師を敵に回すことも多かった峯岸氏だが、生徒のためにと毎日朝早くから夜遅くまで働いた。「こんな働き方は、ずっとはできない」と頭の片隅で思いつつも、「楽しみながら頑張っている自分に酔っていた」と振り返る。
部活動の顧問は、柔道部を命じられた。それは教師になると決めてからいちばん懸念していたことだった。テニスや書道の経験はあったものの、経験のない部活動を任せられたらどうしようと。しかも、柔道部は下手をすると命に関わる競技だ。もちろん経験はなく、むちゃな配置だと思ったが、ほかの先生もやっていることなので文句は言えなかった。前任が柔道の経験者だったこともあって、自身は頑張っているつもりだったが、保護者からは「前の先生のほうがよかった」と言われることもあったという。
今では、こうした全員顧問制や長時間労働の原因となっている部活動について声を上げる教師は多くいる。ようやくそのあり方が問題視され、見直しの方向に向かっているが、一度社会に出てから教師となった峯岸氏にとっては、学校現場に飛び込んだ直後から疑問に思うことが多くあった。
ちょっと引いた「塩対応」で生徒と教師がウィンウィンに
学校の指導のあり方も、その1つだった。上から押さえつけるような教師の指導に、生徒は何も言えない。でも、学校の中では当たり前の光景だったことから疑問の声を上げる人は誰一人いなかった。
そこで、そうした疑問をきちんと指摘できる理論を学びたいと、峯岸氏は法政大学の大学院に通い出す。キャリアデザイン学専攻の修士課程を修了し、働きながら商業高校の教育についての論文も書き上げた。
「大学院では、エネルギーの分散の仕方を身に付けました。生徒に100%のエネルギーで対応するのは一見すばらしいことのように思われますが、実は生徒のためにも自分のためにもなりません。生徒を追い詰めるし、自立心を奪うことにもなってしまう。教師自身がいろいろなチャンネルを持って、エネルギーを分散させたほうがいいと考えました。大学院での学びと仕事を両立しなければならないことも、『塩対応』の原点の1つになったのです」
「塩対応」と聞くと、そっけなく冷たい対応あるいは手抜きと思う人がいるかもしれないが、イメージする意味とは少し異なる。教師は何でも全力で指導してしまいがちだが、生徒の様子を観察して「今回は20%でいこう」「今回は30%で関わってみよう」というさじ加減が必要なのだという。
「いろいろなことを相談してくれていた生徒が、ある時から突然話しかけてこなくなったことがありました。『どうしたの?』と尋ねても『先生には関係ない』と言う。私たちは学校でしか生徒を見ていませんが、彼らには家庭など学校以外での生活がある。その時のコンディションで気持ちも変わります。つい教師は熱血になって『こんなに生徒のことを思っているのに、どうしてわかってくれないの』と考えがちですが、ときにはブレーキを踏むことも大事です。生徒を観察して、踏み込むべきか、抑えるべきか、背中を押すのか、引き留めるのか、対応のさじ加減を変える。生徒の持ち味をうまく出しながら、自分で決断できるようになるよう、教師も適度な力で対応することがウィンウィンだと考えるようになりました」
ケース1:生徒が「先生、相談があります」と言ってきた
×何でも相談に乗るよ!と意気込んで話を聞く
→最初は寄り添うつもりでも、いつしか「寄りかかられて」しまう
○相談事10のうち、教師が聞くのは2までと線を引く
ケース2:生徒が自分で考えずに教師に指示を求めてくる
×生徒から聞かれた質問にはまじめに答える
→教師が何でもまじめに答えていては「指示待ち生徒」にしてしまう
○「あなたはどう思う?」「どうしたらよいと思う?」と聞き返す など
生徒のためにやっていることは、本当に生徒のためになっているのか。100%の力を投じることは本当に正しいことなのか、教師の自己満足なのではないか……そんな疑問に向き合った結果だった。全力ではなく、ちょっと引いた「塩対応」にすることで、逆に生徒には「寄り添ってもらえた」と感じられ信頼関係が構築できる。教師も「塩対応」を心がけることで、無駄に時間を取られることがなく、本来やるべきことに集中できるということだろう。
保護者や同僚にも「塩対応」が必要な理由
その後、峯岸氏は毎年東大に合格者を出すような都立中高一貫教育校に異動となった。
「話をする時には全員がこっちを注視し、紹介した本は次の日には、ほぼみんな読んでいる。自分自身が生徒に与える影響が逆に恐ろしく、最初は前任校とのあまりの違いに生徒との距離感がつかめませんでした。しかし2年目に中学1年生の担任を任されてからは、商業高校で身に付けた対応術を生かしながら、適切な距離感で対応することができるようになっていったのです」
現在は、校務分掌の生活指導の主任で、担任を持っていないために生徒との距離感をより冷静に考えられる立場にあるという。こうした「塩対応」は、保護者対応にも必要だと峯岸氏は説く。
「保護者にもいろいろな人がいます。会話を録音して都合のいい部分だけを切り取る、文書での回答を求めてくるなどなど。逆に教師に依存する保護者もいます。何かにつけて『先生どうすればいいですか』と、こちらに判断を委ねる。不都合が起きれば『あの時、先生がそう言ったじゃないですか』と、教師の責任にされてしまいます。どういうタイプの保護者か見極めてから、対応したほうがいい。また携帯電話の番号は教えないなど、プライベートとの一線を画するべきです」
学校などに理不尽な要求や苦情を繰り返すモンスターペアレンツは、特定の保護者に限られると思われがちたが、今はちょっとしたことで誰もがモンスターペアレンツになる可能性があるという。保護者対応は、一歩間違えるとかえって時間を要することから、面倒だと思ったときほど時間とパワーを使って丁寧に対応することもポイントだ。
ケース3:保護者が「学校の対応がなっていない」と怒って電話してきた
×教師側の正当性をくどくどと説明する
→相手をさらにヒートアップさせてしまう
○相づちを繰り返しながら話を聞き、不満の根を探る。根が深いなら別の日に学年主任や管理職同席で話を聞く
ケース4:保護者が「先生にだけ、相談したいことがある」と言ってきた
×「解決してあげたい」と話を聞く
→「何でも相談してください」と受け取られ、必要以上に頼られてしまう
○保護者の話は、生徒に関係する部分のみ対応する など
一方、同僚にも時に「塩対応」をすべきだと峯岸氏は話す。
「学校はある意味、閉じられた社会です。仲間意識が強く、事を荒立てないようにする傾向があります。教師は多忙だといわれていますが、実は本当に忙しい先生と、それほどでもない先生がいる。とくに若い先生は面倒な仕事を押し付けられても、粛々として従います。最近は学校でもICT化が進み、若い先生の負担がさらに増えています。いくら事を荒立てないようにと思っても、自分の時間を潰してまで先輩の先生の言いなりになる必要はありません。若い教師が辞めていく背景には、こうした事情もあると思います」
ケース5:同僚が明らかに担当以外のことを質問してくる
×丁寧に教えてあげる、助けてあげる
→人のための仕事ばかり増える
○人に聞く前に自分で努力や工夫をしたか尋ねる
ケース6:同僚が、苦労して作った教材を「ちょうだい」と言ってくる
×本当はあげたくなくても親切にあげてしまう
→自分だけが損をしている気になってしまう
○いい人でいようとせずに、相手にgiveする範囲を決める など
塩対応とはクールに振る舞うことでも、生徒を突き放すことでもない。教師は「いい先生」になるために、生徒や保護者、同僚のお世話係になってしまっている。本来教師を目指した理由は、そこではないはずだ。
「子どもが嫌い、授業が嫌いで教師になった人はいません。教師をやっていると、よく『大変でしょう』と言われるのですが、とくに大変なのは部活の顧問と保護者の対応です。これらの負担を工夫して、もっと生徒と関わる時間をつくれれば、教師本来の仕事を楽しくできます。必要のない仕事を極力減らして、そのための時間をつくるのです。この2つの分量が変われば精神的にも楽になり、余計なエネルギーを使わなくて済むようになります」
教師が追い込まれている外的要因を取り除き、本来の仕事である生徒に向き合う時間をつくるーー。そのためのヒントが「塩対応」にありそうだ。
(文:柿崎明子、編集部 細川めぐみ、注記のない写真:buritora / PIXTA)