投稿者:木村直彦(仮名)
年齢:47歳
勤務先:公立高校

高校統合で揺れる「工業科」の存在意義

「普通科高校と統合してからというもの、工業科の存在感がどんどん薄れてきました。まるで工業科をないがしろにするかのような風潮ができあがっていたんです。それが本当に悔しかった」

声を震わせて心中を吐露する木村直彦さんは、1年前に24年の教員生活に終止符を打った。

中学生の頃から環境問題に関心を持っていた木村さん。専門性を身につけるため、工業高校に進学し、環境アセスメントの研究者を目指して大学は工学部を選択した。しかし、学生時代のアルバイトで後輩の指導に楽しさを見いだしたこと、高校や大学でいい先生に恵まれたことなどから、最終的に教員を目指すことにしたという。

大学卒業後は、すぐに中部地方の公立工業高校に着任。いくつかの工業高校でクラス担任や理工系の専門科目を担当した。やんちゃな生徒に囲まれてハードな日々だったが、「一生懸命がんばる生徒を助けたい」という一途な思いで生徒ファーストの姿勢を貫いてきた。

「保護者からも信頼を得ていたと思います。ほかの教員に当たりが強いモンペ気質の保護者からもニックネームで親しまれ、何かあれば真っ先に相談をしにきてもらっていました」

順風満帆な木村さんの教員人生は、どこで変わってしまったのか。風向きが変わったのは、「C高校」に転任してからだ。それまで勤務していたA工業高校は、生徒数減少の課題に直面して近隣の普通科高校Bと統合。新たに誕生したのがC高校だった。木村さんは、C高校の工業科の教員に着任した。

現在、工業高校の数は減少の一途をたどっている、文部科学省によれば、1970年度に715校あった工業高校は、2023年度で517校。また、普通科に「学際領域に関する学科」や「地域社会に関する学科」など普通科以外の学科を設置することで、普通科により特色や魅力を持たせる「普通科改革」も進んでいる。

こうした流れもありつつ、普通科と工業科が共存することになったC高校だが、学内の教育方針や進路指導の方向性が明確化されていなかったことや、教員同士の科を超えた相互理解や協力体制が不足していたことで、さまざまな火種がくすぶりはじめたという。

普通科教員の影響力強く「工業科軽視」に募る不満

普通科と工業科の大きな違いは、学習内容だ。普通科は大学入試を想定し、5教科をまんべんなく学ぶ。一方で、工業科は普通科より学習範囲が狭く、機械や電気・情報システム技術などの工業分野に特化した科目を履修し、専門性を磨く。

ただ、C高校は統合を生かして、工業科の生徒でも普通科の授業を受けられるようにしていた。進路や希望を考慮して、工業科の専門科目も普通科の科目も選択できる。しかし、普通科の教員は一様に、工業科の生徒に普通科の専門科目を選択するよう強要してきたというのだ。

「普通科の教員は進路指導において強い影響力を持っており、工業科の生徒に『進学したいなら普通科の科目を多く取れ』と迫っていたんです。でもC高校の工業科には、A工業高校時代の名残で、工業系私立大学を中心に独自の推薦枠が多くあります。大学進学を希望する生徒はほとんど推薦枠を活用していたので、普通科の科目を受けることに疑問を持つ子もいました」

木村さん自身、高校時代は英語が大の苦手で、代わりに工業科の専門科目で得意を伸ばした経験がある。これまでも自分に似た生徒を多く見てきたため、無理に普通科目を学ばせようとする普通科教員の姿勢には納得がいかなかった。

「5教科の学力が低いまま進学させることに不安があったのでしょうか。真意は今でもわかりません。ただ、『推薦がほしいなら大学入学共通テストを受けろ』とまで言い始めており、さすがに見過ごせませんでした」

高校工業科に推薦枠を用意している大学は、普通科とは異なる専門性を磨いて得意なことに打ち込んできた生徒を評価している。それにもかかわらず、専門的な授業を受ける時間を削って5教科に費やすとなると、工業科の意義が薄れてしまう。

「実際に、『先生。僕はこの学校に来ればもっと、工業について学べると思っていました』と悲しそうに語る生徒もいました」

木村さんのモヤモヤは鬱積していくばかりだったという。

工業科の本質を理解しない校長による学校運営の弊害

普通科教員のふるまいについて、工業科の責任者でもある学科長に何度も疑問を呈していた木村さん。最初こそ学科長も木村さんと同様の不満を抱えており、学科長会議や進学指導委員会で議論を持ちかけていたようだが、その後も方針は曖昧なまま、いつしか意見を言わなくなっていったという。

「普通科の考えに抗えない状況が続き、学科長も無力感から意見を主張しなくなったようです」

学科長にも問題はあるが、何より深刻だったのはC高校としての教育方針が定まらないまま学校運営がなされていたことだろう。その責任はトップにあると木村さんは指摘する。

「校長や副校長、教頭が工業科の教育の本質を理解していなかったんだと思います。必ずしも工業科の先生が工業高校の校長になるわけではありませんから、工業や工業高校がどういうものかを心得ていない人が上に立つことはよくあります。

本来、工業科は、普通科の教科や試験では測れない生徒の可能性を追求する学び場です。普通科の教員は、『大学に進学したとき、普通科から来る学生たちに負けないように』と言いますが、工業系の大学は、工業高校や工業科出身の生徒の特性をよく把握しています。私には、普通科の教員が自分たちの指標がすべてだと勘違いしていたように思えてなりません。そして、それをよしとしていた校長たちトップの責任は大きいです」

普通科教員の影響は進路指導にとどまらず、普段の学習をも浸食していった。

「例えば、工業高校においてレポート提出は締め切り厳守です。われわれ工業科の教員は、生徒に『そもそも期限とは何か』から指導するのです。それが、就職後に直面する『納期』の大切さや、上長への報告などに生きてくるからです。A工業高校でも、部活動の顧問は当然『部活動よりレポート提出が優先』という認識でした。

しかしC高校では、工業科の生徒がレポート提出のために部活動を遅刻・欠席すると、顧問の普通科教員が工業科学科長の元に来て『レポートは家でやらせてくれ』としつこく言ってくるのです」

ほかにも、大学進学のための特別な補習授業と、工業科の資格試験の時期が重なったときに、「進学補講を優先すべき」と強く主張してきたという。たしかに工業科の生徒は、センター試験の結果が振るわないケースがほとんどだったというが、工業系大学が工業科出身の生徒に求めるのはセンター試験当日の点数ではない。専門知識や資格などから総合的に判断する。

それにもかかわらず、工業科軽視ともとれるような言動を繰り返す普通科教員に腹を据えかねた木村さんは、「私が持っているのは、高等学校教諭一種免許(工業)だ。C高校の工業科が普通科に吸収されるのなら、もはや自分がいる意味を見いだせない」と退職に至った。

生徒の可能性を閉じかねない指導に、退職後も心残り

「工業科の生徒は、高校に入学して初めて工業の専門科目を学びます。全員が同じスタートラインに立ち、さまざまな専門科目に触れながら、それぞれ好きなことや得意なことを見つけていく様子を見るのはすごく嬉しかった。

うちには、工業に興味があって大学まで待てず、少しでも早く学びたい生徒が多くいました。もしくは、普通科の教科が苦手で勉強は嫌いだけど高校に通いたい、という生徒も当然来ていいはずの場所でした。

偏った進路指導で生徒の主体性をないがしろにした普通科教員たちの姿勢には、納得がいきません。彼らなりの老婆心だったのか、はたまた進学実績のためか知りませんが、生徒の可能性を閉じかねない指導だと思います。あの学校での勤務には限界を感じていましたが、結局どうすることもできなかったことについてはやりきれない思いです。今まで工業科の生徒たちにもらってきたものを、恩返しの形でこれからの生徒たちに与えてあげられなかったことが、今でも心残りです」

「教員の仕事が誇りだった」と唇をかみながらも、工業の分野を志す生徒への思いは、今でも心の中にある。

もしかしたら、普通科教員にも考えや言い分があったのかもしれない。しかし、いずれにしても木村さんの体験は、複数の学科を擁する高校の課題を浮き彫りにしているのではないだろうか。

教育の本質は、生徒一人ひとりの可能性を最大限に引き出すことにほかならない。工業科の学びの重要性を正しく認識し、普通科と工業科の共存が生徒にとって最良の環境となるよう、組織全体のコンセンサスをとることが重要ではなかったのか。

(文:末吉陽子、注記のない写真: m.i /PIXTA)

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