<プロフィール>
投稿者:若林直人(仮名)
年齢:45歳
勤務先:公立高校(主幹教諭)

「生徒を見捨てない」教育困難校で伸ばした教員のスキル

若林さんが教育に関心を持ったのは、大学生のときだった。ただ、当時は教員採用試験の競争倍率が非常に高かった時代。文部科学省「公立学校教員採用選考試験の実施状況」によれば、若林さんが大学生だった25年前の2000年は、小学校12.5倍、中学校17.9倍、高校13.2倍といずれも10倍以上だった。

「そんな狭き門を通過できるとは思えなくて、大学時代は教職課程をとりませんでした」

就職氷河期でもあり、うかうかしていると働き口が見つからないという危機感もあったのだろう。若林さんは進路を教員に絞る選択はせず、いったんは民間企業に就職した。

しかし、教育への情熱は消えなかった。働きながら通信制大学の教職課程で学ぶことを決意し、2年後に採用試験の合格を勝ち取る。

最初に勤務した高校は、いわゆる進学校ではなかった。地域では「教育困難校」とみなされており、タバコを吸っている生徒が多数いたほか、校内暴力も目立っていたという。それでも、学級崩壊に関心を持っていた若林さんにとってはむしろ意欲を掻き立てられる状況だった。

「加えて、校長先生をはじめとする先生方が『生徒を見捨てない』という意思を共有していたので、今思えばやりやすい環境だったと思います。困ったときは先生同士で当たり前のように助け合っていたので、私も必要なときはすぐに動ける行動力が身につきましたし、初任だったこともあって先生方からいろいろなアドバイスを得られたのもありがたかったです」

そうして日々生徒と向き合う中で、教員としてのやりがいもより味わえるようになっていく。

「ともにいろいろなことに取り組む中で、生徒たちは学力だけでなく社会性もつけていきました。取り組んだことが成果となって表れるので、本当にやりがいがありました」

担任を持たない場合は、授業でしか生徒と接することができないため、若林さんは積極的に担任を受け持つようになった。

「担任をしていると、教科の授業だけでは見えない生徒の実態が掴めます。まったく勉強に集中できない生徒に、実は発達障害があることが判明したり、保護者が事件を起こして逮捕されていたりなど、本人だけでは解決できない問題が発生することもあります。こうしたケースは、適切な関係機関や制度による支援につなげるなど、生徒だけで抱え込まないように努めてきました」

異動でぶち当たった「パワハラ環境」の弊害

若林さんが担任にこだわる姿勢は、異動後の2校目で主幹教諭に任命された際に“担任を持つこと”を条件に加えたところにも表れている。主幹教諭は、校長や副校長、教頭を補佐するポジションで、学校運営に関する企画・調整を行うとともに、教職員の指導・監督・育成も担う。担任がプレイヤーだとしたら、主幹教諭はいわゆるマネジメントの役割を担うため、担任を兼務するのは簡単ではない。

「担任をしても手当がつくわけではありませんし、主幹教諭は業務量も多いので、当然負担は増していますが、やはり楽しいんですよね。大変ではありましたが、だからこそ続けてきました」

※2025年6月現在、文部科学省の審議会において、教員の処遇改善策として「担任手当の支給」が検討されており、2026年度から実施される可能性がある

続けられたのは、前述のように教員同士が自然に助け合うなど働きやすい環境が整っていたからでもあったという。初任の高校も、主幹教諭となった2校目も、その点は共通していたそうだ。

ところが、3年前に異動した現在の勤務校は様子が違った。着任初日から明らかな違いを感じさせる出来事があった、と若林さんは明かす。

「事前に、主幹教諭として着任することは決まっていましたが、その仕事内容は着任当日までまったく知らされなかったんです。私は複数の教科で教員免許を持っているのですが、どの教科を担当するかすらわかりませんでした」

教員のキャリアは長かったものの、異動の経験は実質2回目だった若林さんは、初めこそ「こんなものなのかな」と思っていた。しかし、周りに聞くと「そんなことはありえない。副校長がサボっていたのでは」という驚きの言葉が返ってきたという。

「当時の体制では、副校長がそうした連絡を担当していたのですが、それを怠っていたわけです。実際に勤務をするうちに、副校長自体に問題があることがわかってきました。一言でまとめると、ものすごくパワハラ気質の人だったんです」

教員を理不尽に怒鳴りつけ、聞くに堪えない暴言を吐く。これが日常的に行われていたため、職員室内の雰囲気は非常に悪かった。若林さんも、さしたる理由がないのに毎日暴言を受けたという。

「ひどかったのは、保護者から電話がかかってくると、対応する担任の横に副校長がぴったり仁王立ちでついて『その言い方はないな』などとダメ出しをするんです。前の勤務校では、その場にいる先生たちで一緒に対応策を考えたり、必要に応じて助け舟を出したりしていましたが、副校長は助けるどころか、“評価”が始まってしまうのです」

こうした雰囲気の中で、助け合いの輪が生まれるはずもない。それどころか、生徒や保護者の対応は担任のみが行い、他の教員は介入しないという不文律ができあがっている。副校長のほか、彼に近いベテラン教員がこの風土を主導している状況だ。

「担任をしているのは20代、30代の先生がほとんどで、みんな本当に一生懸命取り組んでいるんです。でも、それは個々の若さと情熱に支えられている部分が大きいと感じます。理不尽な暴言を受け続ければ、いつかそれも崩れて、メンタルに悪影響を及ぼすのではないかと危惧しています」

ずさんな会計処理の尻拭いで「完全に心が折れた」

そう話す若林さん自身も、副校長のパワハラには疲弊している。そこへ追い打ちをかけたのが、使途不明金の発覚だった。

「私は主幹教諭としてPTAとも連携しているのですが、会計をチェックしたら決算の数字と通帳の残高に相違があったんです。前の学校でも会計処理を担当していたので、このあり得ない事態にはとても戸惑いました」

PTA会費の管理担当は、問題の副校長だった。数字が合わないことを報告した若林さんに対し、副校長は「通帳がおかしいんじゃないのか?」と言い放ったという。

「仕方なく、引き継いだ帳簿をすべて整理しておかしな点を1つひとつ指摘したところ、なんと『こっちの帳簿が正しかった』と別の帳簿を渡してきたんです。しかしよく見ると、元の帳簿には校長がしっかり印を押しているのに、新しい帳簿には校長印がなかったんですね。それを指摘すると、『印鑑だけの話だろ』と軽くあしらわれました」

新しい帳簿では、通帳の残高との差異こそ少しマシになっていたが、日付の記入がないなど、やはり不信感があった。そこで、こちらもすべての支出を洗い出して整理してみると、領収書がない支出がいくつも出てきたという。さらに、先にPTA役員にまとまった額の現金を渡し、あとから使った分の領収書を受け取る、というずさんな処理を何年も続けていたこともわかった。最終的に判明したのは、過去5年間で約5万円の使途不明金だった。

「金額も中途半端ですし、本当に領収書の管理不足だったのか、実は不正使用があったのかまではわかりませんでした。でも、当然看過することはできないので、過去5年分のすべての帳簿を作り直し、問題点を洗い出して保護者に報告と謝罪をしました。正直、保護者たちはあまり興味がないようでしたが、当然PTAからは非難されました」

本来ここで説明責任を果たすべきはずだった副校長は、不在にしていた。パワハラなど複数の問題で内部から追及を受け、年度の最後まで休職したあげく、その後退職したのだという。矢面に立つべき人が雲隠れし、問題にまったく関わっていなかった若林さんが後始末に奔走し、各所に頭を下げる羽目になったのだ。

「これで完全に心が折れました。教育とはそもそも『尻拭い』の要素が強いものですが、教え子や後輩、お世話になった先輩ならまだしも、悪意ある副校長の尻拭いにそこまでの時間を費やしたくありませんでした。副校長は退職しましたが、学校内には影響を色濃く受けているベテラン先生がまだ多くいるので、生徒と十分に向き合える環境ともいえません。何より、こうした状況では自分自身の成長が見込めないと思い、今年度限りで教員自体を退職することに決めました」

45歳で退職、給与や退職金に揺らぐも「もう耐えられない」

勤続年数がすでに20年超の若林さんは、あと5~10年働けば給与や退職金がさらに上がったはずだ。本人も「正直、そこは迷った」と言うが、生き生きと働けない環境でくすぶることに、もう耐えられなかったという。もう1年我慢して別の高校に異動することも考えたが、次の勤務校が必ずしも恵まれた環境とは限らないことを考えると、退職を踏み止まる理由にはならなかった。

【参考】総務省「地方公務員給与実態調査結果」 一般職関係(教育長を除く)

「年齢的にも、教員を辞めるなら今がラストチャンスだと思いました。教員の経験とスキルを生かせる仕事がどれほどあるのかわかりませんが、50代、60代になってから仕事を探すとなると、なかなか採用されないと思うのです。45歳でもすでに厳しいでしょうが、もう辞め時だと思いました」

若林さんは自嘲気味に「たぶん、天職ではなかったと思うんです。教えるのもそんなに上手ではなかったと思いますし」と語る。しかし、前述のように、若林さんは熱意を持って生徒に向き合い、困っている生徒を救ってきた。いわゆる「教育困難校」での教育にやりがいを感じて20年以上一貫して取り組んできた人材が、一部の大人、しかも同じ教員に振り回されて教育界を去っていく現実を、私たちはどう受け止めるべきだろうか。