<プロフィール>
投稿者:篠原一美(仮名)
年齢:32歳
勤務先:国立大学附属小学校(退職済み)

教材を投げては騒ぎ続ける…授業が成立しない日々

「死ね」「うざい」「キモイ」「授業に来るな」

篠原さんが国立大学附属小学校(以下、国立小)に着任してから、毎日のように児童から浴びせられた言葉だ。特段きっかけがあったわけではない。初回の授業から私語が止まず、指示を聞かないどころか屁理屈や揚げ足取りが飛び交う状態だった。

「普通は、強く注意すれば『まずい!先生が怒っている』という雰囲気になり、少しは静まるものです。ところが私が働いた国立小では、児童たちは静まるどころか、むしろ笑い声をあげてますます騒ぎ出すのです。何とか授業を始めても、教材を床に投げて踏みつけたり、とにかく散らかし放題で片づけもしません。班活動をしようにも、すぐに子ども同士がいがみ合いを始めてしまうほどでした」

辛抱強く向き合おうとした篠原さんに対し、児童たちは冒頭のような言葉を投げつけ始めた。「篠原」と呼び捨てにしては、小馬鹿にするような挑発的な言動を繰り返す。それは、一部の児童や特定のクラスだけにとどまらなかったという。

「私はいわゆる実技教科(音楽、図画工作、家庭、体育)の教員だったので、多くのクラスで授業をしましたが、多少の程度の差はあれど、どのクラスも荒れていました。おそらく子どもたちは、実技教科の授業を狙って暴れていたのだと思います。担任を持つ先生や、国語・算数・理科・社会など受験で使う教科の先生からは、“私語がやまない”という話すら聞いたことがありませんでした」

篠原さんが勤めた国立小では教科担任制を採用していた。そのため教員は、子どもたちが自分以外の授業をどう受けているか知らないのだ。子どもたちはそれを察知して、教科や先生によって態度を変えていたのではないか、と篠原さんは考えている。

ちょうど、この状況を目の当たりにしていたのが、教育実習生だ。国立小は多数の教育実習生を受け入れているが、教育実習生はすべての教科の授業を行う。

「私が話した実習生たちは、『教科によって子どもたちが豹変することに驚いた』と口をそろえて言っていました。私と同じように暴力的な言動を受け、『あんな状態では授業ができない』と涙を流す実習生もいましたね」

「1年目は先生じゃない」支配的なヒエラルキーの存在

児童たちが、状況に応じて露骨に態度を変える様子は、外部からの参観者が多い研究発表会でも見られた。

「研究発表会が近づくと、各教室で大量の物が片づけられて、業者がワックスがけをします。教材を踏みつけた跡がないピカピカの教室で、子どもたちは今まで見たことないほど整然とした態度で授業を受けるんです」

よく言えば、「児童は状況を的確に把握し、適切な行動を取れている」と評価できなくもないが、同時に「大人の顔色を常にうかがっている」とも言えるだろう。篠原さんも、「本当によく大人のことを見ているし、先生間の“序列”すら正確に理解している」と指摘する。

「これも驚いたことですが、この国立小では“先生間のヒエラルキー”が厳然として存在していました。まず、1年目は同僚として扱ってもらえないんです。着任初日、職員室で挨拶しても誰も振り向きませんし、引き継ぎや情報共有も一切ありませんでした。『どういうことだろう』と思っていたら、教頭先生から『1年目の人は歓迎していません。死ぬ気で適応してください』と言われたんです。

また、私の授業で特に荒れていたクラスの担任に、『先生のクラスでは授業が成り立ちません』と伝えたら、私とは目も合わせずに『子どもたちは、あなたを教員として見ていないのでしょう』と吐き捨てられました。子どもたちも、新任の先生がこうした扱いを受けることを知っていて、『1年目は先生じゃないんだろ』と面と向かって言ってくるのです」

こうした事情があって、着任当初からあのような振る舞いを受けたのだろう。一度は篠原さんもそう受け止めてみたものの、「なぜ、国立小に入学するような『いい子』が暴力的な言動を繰り返すのか」、どうしても納得できなかったという。

しかしある日、児童に対する認識が大きく変わる出来事が起きた。付き添いで社会見学に出ていたところ、毎日のように「死ね」と罵倒していた児童の1人が、篠原さんに「トイレに行きたい」と訴えてきたのだ。クラスを引率している担任にも伝えるよう促すと、ためらいを見せた。

「なぜ担任に言えないのか聞くと、私のほうが優しいからと答えたんです。優しく接してきた覚えは一切なく、むしろ厳しい言葉をかけていたつもりだったので、一瞬戸惑いました。同時に、『この子たちは甘えたいんだ』と気づいたのです。担任からは頭ごなしに叱られるけど、私なら話を聞いてくれるんじゃないか。甘えたい気持ちがものすごく溜まっているからこそ、相手を選んで攻撃的な態度になっているのではと思うようになったのです」

「うあああああ」と書き殴る、児童のすさまじいストレス

そこから篠原さんは、児童を理解するために動いた。いろいろな方法で、子どもたちとコミュニケーションを取り始めたのだ。その1つが、希望者との「交換ノート」だった。

「とにかく思っていることを言葉にしてもらいたいと考えました。すると、具体的な言葉ではなく『うああああああああ』とか『うざいうざいうざいうざい』『ストレスストレスストレス』など、同じことを何度も強く書き殴ってくる子が何人もいました。子どもたちが抱えているストレスの強さを感じたと同時に、これまでの暴力的な言動は『助けて』のサインだったんだと思うようになりました」

篠原さんは、受験にも原因があるのではと話す。たしかに、国立小の受験倍率は少子化が加速する現在でも高く、なかには10倍、20倍に達する学校もある。それだけに受験対策は大変で、幼稚園生のころから塾に通う子も珍しくない。

首都圏国立小学校の2025年度入試結果

「自分の気持ちを押し込めて、“いい子”のふりをする訓練を受け続けてきたのだと思います。典型的なのが、入試の待ち時間です。ネットで『小学校受験 待ち時間』と検索すると、対策サイトがたくさん出てきますが、4~5時間もしゃべらずに待っていなければならないといいます。5〜6歳の幼稚園生が、ずっと黙ってじっとしているんです。入試当日に応援に駆けつけた塾の方たちが、『がまん』と書いたメッセージボードを掲げていたのは印象的でした。

しかし、そこまでして合格を勝ち取っても、子どもたちは解放されません。入学後もほとんどの児童が塾に通い続けるので、ほとんど遊ぶ時間はないでしょう。神経と睡眠時間をすり減らして勉強し続けているのに、親からは『もっといい点をとりなさい』などと言われてしまうのです」

こうしたストレスを、児童たちは暴力的な言動で発散しているのではないかと篠原さんは話す。実際、文部科学省の調査によれば、国立小における暴力行為や器物損壊の発生率は公立・私立よりも高い。

「令和5年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によれば、1000人当たりの暴力行為発生件数は公立が11.4件、私立が7.3件なのに対して、国立小が33.4件。発生学校数の割合は公立が39.0%、私立が35.9%なのに対して、国立小は58.3%だ。

小学校の暴力行為の発生状況
(注)「暴力行為」を「自校の児童生徒が、故意に有形力(目に見える物理的な力)を加える行為」として調査。なお、本調査においては、当該暴力行為によってけががあるかないかといったことや、けがによる病院の診断書、被害者による警察への被害届の有無などにかかわらず、暴力行為に該当するものを全て対象とすることとしている。また、学校の管理下、管理下以外のいずれで発生したかにかかわらず計上している(ただし器物損壊については学校の管理下で起きた場合のみ計上)。調査対象は国公私立小学校(小学校には義務教育学校前期課程を含む)。発生件数は、対教師暴力・生徒間暴力・対人暴力・器物損壊のそれぞれの発生件数の合計と一致する。発生学校数と加害児童生徒数は実数
小学校の暴力行為の発生状況(器物損壊)
「器物損壊」の発生率も国立小は公立、私立に比べて高い。1000人当たり発生件数は公立1.1件、私立0.5件に対して国立小は1.4件。発生学校数の割合は公立13.7%、私立9.8%に対して国立小は19.4%となっている
(注)「暴力行為」の考え方、調査対象については同上。発生件数は延べ数、加害児童生徒数は実数

「最近、『教育虐待』という言葉がよく使われるようになってきましたが、私の勤務校にいた子どもたちは、その犠牲者だと思います。親が子どもを思いどおりに育てようとして過干渉になった結果、深く傷つけられているように見えました」

「やめないで」と引き止められるも、退職を決意

篠原さんと子どもたちの関係は、交換ノートのやりとりを続ける中で着実に変わっていった。強いネガティブな言葉を書き殴っていた児童は、徐々に落ち着いた筆跡で胸の内を明かすようになったという。篠原さんを呼び捨てにしていた児童は、半年以上のやりとりを経て「今まで、学校の不満や嫌なことを相談できる人がいなかったけど、このノートのおかげで正直に言えるようになった」と綴ったという。

「交換ノートを続けてわかったのは、子どもたちはメッセージを投げかけると徐々に心を開いてくれるということ。授業中も、きちんと話を聞いてくれる子や、片づけに協力してくれる子が増えていきました」

さらに、教員にもあきらめずにコミュニケーションを試みる中で、味方になってくれる先生たちも出てきた。地道な働きかけが実を結び、このこと自体は満足していると篠原さんは語る。

「私は以前まで公立小で勤務していましたが、人事交流の話が来た時に『公立小の手本である国立小が変われば、今の教育も変わるかもしれない』と思い、オファーを受けました。その気持ちがあってこそ、想像以上の荒れように戸惑いながらも、頑張ることができていたのです」

一方で、一教員ができることは限られているとも感じるようになったという。篠原さんがいくら児童と向き合って心の叫びを紐解いても、次から次へと、小学校受験などのストレスを溜め込んだ子どもたちが毎年入学してくる。味方が増えたとはいえ、教員のヒエラルキーも強固なままだ。

「少しずつなら変えることはできるかもしれませんが、それだけの労力をかけて苦しい思いをして、果たしてどれだけのものが得られるだろう、と考えたら、続ける意欲がなくなってしまいました。公立小のお手本である国立小の正体を知ったことで、これ以上教育の道を進んでも良い人生にはならないと感じ、退職を決意しました」

篠原さんが辞めると知った児童たちは、口々に「やめないで」と引き止めに来たという。当初、毎日のように「死ね」と篠原さんを罵倒していた児童は、校長室に乗り込んで「先生をやめさせないでください」と校長に直談判までしたそうだ。

「正直、後ろ髪を引かれる思いはありました。でも、巨大な権力構造を持つ学校は、そう簡単には変えられません。それでも、交換ノートで変わってくれた子がいたように、子どもたち一人ひとりを幸せにすることはできると思うので、これからは個々人を支える人生を歩みたいと思っています」

その言葉どおり、篠原さんはカウンセラーの資格を取得し、一人ひとりの悩みに向き合う道へと進んでいる。「本当に自分がやりたかったことはこれだった」と語る篠原さんの表情は、非常に明るかった。

とはいえ、俯瞰して見れば、国立小の児童は、自分たちと正面から向き合ってくれた教員を1人失ったことになる。教頭が言い放ったように、学校側が本当に「1年目の教員は歓迎していない」のであれば、児童の感情は置き去りにされているともいえよう。

そして、こうした環境の学校が、次代の教員である教育実習生を多数受け入れているという事実も見逃せない。教員不足が深刻化している今、この話をいち教員のエピソードと軽視することなく、学校の在り方、子どもたちとの向き合い方、そして入試の在り方など、さまざまな問題のヒントと捉えるべきではないだろうか。

(文:高橋秀和、注記のない写真: タカス / PIXTA)