上京して初めて感じた、地方との大きな分断

――カタリバの設立は2001年。きっかけを教えてください。

私は、岐阜県で生まれ育ちました。電車が1時間に1本しか来ないような田舎です。
みんなが当たり前に大学に進学することはなく、自分が持ちうる未来の可能性について知る機会も少ない、必然的に将来の選択肢も狭まる、そんな環境でした。
幸い、私は高校で大変熱心な指導をしてくださる先生方に出会い、慶応大学に進学することになるのですが、大学に入学したことで、私の景色は一変することになりました。

そこで出会った都会の友人たちは洗練されていて、ロジカルにプレゼンテーションができる優秀な人たちばかり。それまで勉強はやらされるものだと思っていた私にとって、自ら学びを楽しむ人たちがいることは驚きでした。都会では、選択肢も無限にあるように感じ、刺激的で、まぶしかったのを覚えています。

しかし、同時に大きな分断を感じたのも事実でした。私の生まれ育った田舎とは、あまりに環境が違っていたからです。都会で生まれ育った友人たちは、海外旅行の経験はあっても、日本の地方における現状はあまり知らない。自分たちが当たり前に享受している環境が、どれほど恵まれたものなのか、地方に生まれ育ったために教育機会を得られず、選択肢を持つことが少ない人たちが存在するということに、まるで気づいていないように感じました。
もちろん全員がそうだとは言いません。

ただ、自分たちが今いる環境や才能、恵まれた機会を、自分の努力だけで獲得したと思っているのだとしたら、それはとても怖いことだな、と不安を感じたのです。

もっと、分断された世界を飛び越え、互いに対話をし、互いを知ることで、自分自身をも知っていく、そんな機会が必要ではないか、そう思ったのです。そのような場を形にしたのが、高校生と大学生などが対話をするプログラム「カタリ場」です。

(右上)カタリバでは就学援助等の支援を受けている世帯にお弁当を届ける「カタリバごはん」という支援も行っている(右下、左上)「カタリ場」で語り合う、高校生と先輩たち。本音で語り合うことで、気づきが生まれる(左下)カタリバ共同創業者の三箇山 優花氏と

――「カタリ場」は、高校生のためのプログラムというイメージが強いですが、始まりはむしろ大学生側に気づきを与えたかったのですね。

はい。大切なのは、高校生であれ大学生などであれ、誰もが多様な環境で生きているということを互いに知ることです。福沢諭吉先生の言葉に「半学半教」という言葉があります。人は誰でも学ぶ立場にも、教える立場にもなれるという意味ですが、お互いにフラットな立場で啓発し合う関係をつくれたら理想的ですね。

子どもたちに必ず伝播する「教師の熱量」

――今村さんご自身は、どのような高校生だったのでしょうか。

私が通っていたのは、岐阜県にある私立の「高山西高校」という学校です。あくまで私の主観ですが、当時は、大学進学クラスが1学年に1クラスだけ、地域のトップ公立高校を落ちた人が、セカンドベストで選ぶ私立高校という印象でした。学力が十分高いわけではなく、クラス全体を覆っている自己肯定感も低いように感じていたことを覚えています。

私自身も、一応大学進学を希望してはいましたが、親も「有名な大学でなければ無理に進学する必要はない」という雰囲気で、ほかの選択肢や可能性を知ることもなく、あまり勉強に熱心ではなかったですね。

――何か変わるきっかけがあったのでしょうか。

生徒たちの雰囲気とは反対に、とにかく、先生方が生徒の夢を一生懸命応援してくれたんです。「大学に行きたい」、生徒がそう決めたなら、徹底的に応援する。もう、それはすごい熱量でした。

今では“ブラック”と言われてしまうかもしれないのですが、朝7時半になると、先生たちが校門前でずらっと待っていてくれるんです。授業の前に単語テストをするために、です。放課後は、小テストの嵐。合格ラインに届かないと夜遅くまで補習です。今でこそ本当に感謝していますが、当時は文句ばかり言っていましたよ。遊びたい年頃ですしね(笑)。

ただ、先生たちの熱意は本物で、それは、私を含めた生徒たちに確実に伝播していき、いつしか「自分もやればできる」「自分でも大学に行けるかもしれない」と希望を持つようになっていきました。

詰め込み型の教育には賛否あると思いますが、あの時期にとことん向き合ってくれた先生方のことは忘れられないですし、今の活動の原体験になっていると感じます。

「インターネットの父」村井純先生に学んだ大切なこと

――教育についての考え方に影響を与えた恩師は、ほかにもいらっしゃいますか。

日本における「インターネットの父」と呼ばれる村井純先生ですね。地方の高校生だった私にとって、日本中どこにいても世界とつながれて、発信者にもなれるインターネットは、まさに“奇跡”でした。そんな“奇跡”の礎を築いたといわれているのが村井先生です。慶応大学に入り、実際に村井先生の元で学べたことは、私にとって大きな財産です。

村井先生の元では、インターネットの理念でもある、互いにフラットでいることの重要性など、さまざまなことを教えていただきました。それだけではなく、学び方の仕組みにおいても、影響を受けたと思います。

当時、研究室には何百人もの学生が所属しており、先生が一人ひとりを見ることは難しかったので、学部生一人ひとりに大学院生がついて育てる “ナナメの仕組み”を取り入れていました。

例えば、論文をうまく書けずに苦労していた私に、先輩が「これはどう思う?」と答えやすいボールを、ほんの少し高い場所から次々に投げてくれる。私はそれに答えることで、自然に視座を高めることができ、自分の言葉をアカデミックに置き換えて、論文を書き上げることができました。

教育には伴走者が必要だと痛感した経験です。

学習者にとって、ちょうど良い距離で、一緒に学びに寄り添い、学びを深めていく。
私は、村井研究室で、20年も前にその重要性を体感できたのです。

子どもたち、一人ひとりの学びに伴走するということ

今年、学習指導要領が新しくなりましたが、学校教育も、より一人ひとりに寄り添うことが必要になるでしょう。子どもたちが100人いたら100通りの学び方があり、教科書には書いていない、答えのないようなことも、一緒に探究していかなくてはなりません。

むしろ、すべての知識を先生が教えるのではなく、学びに寄り添って、一緒に知識を深め、必要に応じて、企業や研究者につないであげる。そんなコーディネート能力が求められるようになるかもしれませんね。

――子どもたちの伴走者が、ほかに意識すべきことは何でしょうか。

興味の軸がはっきりしている子に伴走することはとても簡単です。難しいのは、「何が好き?」と聞いても「とくにない」と答える子の興味をいかに引き出すか。

この問題は、本当に難しい。だからこそ私は無理に「何か」をやらなくていいと思っています。今の時代は、「本当の自分は何?」「やりたいことは何?」と、自分にベクトルが向きすぎているんですね。

これから子どもたちが生きていく世界は、正解のない世界。今ない仕事を自分たちでつくり出していくという時代です。

そのような中にあって、大人に何かできるとしたら、性急に「何が好き?」「何がやりたい」と問うのではなく、子どもたちに「なまの体験」をさせて、気づきのタネを与えてあげるのがよいのではないでしょうか。

多くの子どもたちに会っていますが、今は、心を揺さぶるような実体験をしている子が少ないと感じます。そうすると、関心の芽も生まれてきません。

――カタリバでもそういう機会を提供している?

はい。現在は新型コロナの影響で、現場に直接行くことは難しいのですが、カタリバオンラインでは、そのような機会を提供しています。

オンラインでつながることで、距離や制限を超えて語り合うこともできる

例えば中高生向けに企画している「カタリバオンライン for Teens」では、LGBTで新しい家族の形をつくっている方、東日本大震災で子どもを亡くした大川小学校の児童の遺族、フィリピンにいる、事情があって親と離れ、集団で暮らしている子どもたちなど、多様な人たちと対話をする機会を提供しています。

先日、フィリピンの子どもたちと話した高校生は「なぜこの子たちは、親がいなくてもこんなに明るく元気で頑張っているのに、恵まれた環境にいるはずの私は、自分に自信を持てないのだろう」と話していました。そうした「生の体験」から得られる、自分だけの気づきや疑問が、関心の芽として育ち、ゆくゆくは、その子の未来につながっていくのではないでしょうか。

「オンライン」にもある「貧困」という新たな分断

――オンラインでも学びの機会はつくれるのですね。

はい。ただ、今は子どもたちみんなにパソコンやWi-Fi環境があるわけではありません。「都市」と「地方」だけではなく、オンライン上にも「貧困」という新たな分断があるとわかってきました。そのため、カタリバでは、「あの子にまなびをつなぐ」プロジェクトというものを進めています。

これは、家庭環境によってオンライン上の学びの環境が得られない子どもたちに、パソコンやWi-Fiルーターを貸与して、学びの支援を行っていくプロジェクトです。

新型コロナ禍によって、教育機会の格差は、より表面化しています。「都会」と「地方」の格差だけではなく、新たに生まれた「貧困」という格差。しかしその連鎖を断ち切れるのもまた、「学び」であると考えています。生活困窮世帯をはじめ、学びの機会が失われている子どもたちを、学びの力で支援することで、すべての子どもたちに「未来はつくれる」と信じられる社会をつくっていきたいですね。

各家庭に配布する予定のPCをバックに。1台のPCが子供の未来を変えていく

今村久美(いまむら・くみ)
1979年生まれ。慶應義塾大学卒。2001年にNPOカタリバを設立し、高校生のためのキャリア学習プログラム「カタリ場」を開始。2011年の東日本大震災以降は子どもたちに学びの場と居場所を提供するなど、社会の変化に応じてさまざまな教育活動に取り組む。「ナナメの関係」と「本音の対話」を軸に、思春期世代の「学びの意欲」を引き出し、大学生など若者の参画機会の創出に力を入れる。ハタチ基金 代表理事。地域・教育魅力化プラットフォーム理事。中央教育審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 文化・教育委員会委員。認定 NPO 法人カタリバ 代表理事。
カタリバ(https://www.katariba.or.jp/

​(写真:すべてカタリバ提供)