公立学校教員に残業代(時間外勤務手当)を支給しない、教職員給与特別措置法(以下、給特法)を維持する方針が、5月13日の文科省の中央教育審議会(以下、中教審)で決まった。

(写真:筆者撮影)

報道されているように、このことに対して、現役教員や研究者、弁護士などからの批判は強い。「仕事が多いなら残業代を出すのは当たり前だ」との考えは共感できるが、残業代を出す制度が本当に望ましいベストな選択と言えるかどうかは、少し立ち止まって考える必要がある。

ここでは、中教審での検討結果や問題を含めて解説する。なお、私も中教審の臨時委員として今回の審議に関わってきたが、代表する立場ではないし、個人の見解を述べる。

※ 中教審での筆者提出資料

給特法の問題はどこにあるか

まず、現状はどうなっているのか。給特法という特別法が公立学校教員(以下、教員)には適用されており、残業代は出ていない。ただし、月給の4%が教職調整額として加算されている。教員にも労働基準法は適用されているのだが、給特法において時間外勤務手当などの一部を適用除外としているのだ。

教員志望者の減少や教員不足・欠員など、人手不足が深刻化する中で「残業代を支給しない給特法を変えるべきだ」という意見は多方面から寄せられている。給特法廃止論とここでは呼ぶことにするが、その主な理由は3点ある。

給特法廃止論の主な理由、論拠
1. 時間外の業務の多くを「労働」として認めて、対価を払うのは当然である。また、そうした時間外の業務を使用者(校長、教育委員会)の管理監督責任のもとに置く必要がある。
2. 時間外勤務手当(割増賃金)というサンクション(制裁)を使用者に課すことで、使用者のコスト意識を高めて、業務の精選、見直しなどを加速させる。
3. 36協定を結ぶことで、労使間のコミュニケーションを通じて、業務の拡大に歯止めをかける。

 

これらは逆に言えば、現行制度である給特法の問題なのだが、ある程度、説得力があるように思う。とりわけ、大学生らにとっては、働いたのに残業代も出ないようなアルバイトや仕事はほとんどないし、「給特法はおかしい」と感じている人も多いことだろう。

だが、どのような制度もいいことづくめではなく、廃止にも難点や懸念されることがある。功罪を冷静に考えて、なるべくプラスが大きく、マイナスが小さくなるような制度とするべきだ。給特法廃止論の論拠に対応させながら、説明しよう。

【論点①】時間外業務かどうかの線引きができるか

1つ目の時間外業務に対価を払うことに関連して、教員が行っている時間外の活動のうち、どこまでが業務(公務)で、どこまでが業務外(自己研鑽やプライベートな活動)なのかを、明確に線引きできるかどうか、という問題がある。

確かに、時間外に行っている部活動指導、児童生徒や保護者との相談、テストの準備や採点、事務作業などは学校の仕事、業務(公務)であり、給特法を廃止した場合、残業代の支給対象となろう。一方で、やっかいなのは授業準備や教材研究、授業研究である。

もちろん、教員の本務は授業のため、その準備や研究は大事だ。だが、例えば、英語科の教員が学校で洋画を鑑賞しているとしよう(現実にはそんなゆとりのある学校現場は少ないが)。授業で使う場合は業務の性格が強いものの、授業で使うかどうかはわからないが勉強にもなるし観ているという場合であれば、自己研鑽や趣味、プライベートという気もしてくる。

部活動指導についても、生徒の活動を見守ったり、助言をしたりしている時間は業務性が強いし、顧問の先生は監督者としての責任を問われうる。一方、指導者ラインセンス資格を取得するための勉強をしたり、大会の運営事務を行ったりしている時間は、学校の業務と言えるのかどうか議論の余地がある。

ただし、業務かどうか峻別が難しいものがあるからといって、給特法を維持すべきと結論付けるのは、ロジックの弱い、かなり雑な主張だと思う。

こうした難しさはありつつも、明らかに業務と言える時間外の仕事も多く、そこだけでも時間外業務として認めていくことは可能だ。微妙なものも、授業や学校運営に密接に関わると校長が判断できるのなら時間外業務としていけばよい。

【論点②】残業代支給は、残業抑制に効果的か

次に、給特法廃止論の2つ目の論拠、使用者のコスト意識を高めることで時間外業務の抑制につながるのかについて、考えよう。逆に言えば、給特法を維持すると、教育委員会や校長のコスト意識が希薄になるということだが、確かにその側面はある。

例えば、プールの水を出しっぱなしにして水道代を浪費させたとして、教員に賠償責任を負わせた自治体がここ数年で複数ある。税金の無駄遣いは問題だが、そもそも、プールの水質や温度、水量の管理は、教員の仕事なのだろうか。

少なくとも教員の専門性とは関係ない。教員以外の組織や人にアウトソーシングして、教員には、授業や子どものケアのほうに集中してもらったほうが理にかなっている。だが、給特法のもとでは、教員の仕事が少々増えても、残業代が増えるわけではないので、教育委員会は教員にやらせようとしやすい。

アウトソーシングするとなると、教育委員会は渋い顔をする財政当局を説得して予算獲得していくために、そうとうな労力を要するが、教員にやってもらっているうちはお手軽だ。

同様に、小中学校にはGIGAスクール構想により児童生徒1人1台の端末が整備されたが、端末の初期設定や更新作業、故障した場合の業者との調整などを教員に担わせている自治体は少なくない(ICT支援員の派遣など支援策を講じていても、訪問頻度などが十分ではない場合が多い)。

ある大きな市では、当時、数百人分のPCの箱を開ける作業から教員がやっていた。これらも、別途業者委託などすれば追加予算がかかるものの、教員がやってくれているうちはタダだ。

少し脱線するが、こうした教育委員会の予算獲得不足と陸続きの問題として、保護者負担の重さやPTAへの肩代わりがある。体育館の垂れ幕(どん帳)がPTA寄贈となっている学校は多いが、本来、学校の施設や備品は、設置者である教育委員会が予算をとって整備するのが筋であり、保護者に転嫁するべきではない(保護者は多くの場合、その自治体の納税者でもあるのだから、二重払いとも言える)。

少し前に名古屋市で、学校のクーラーなどをPTAが買って寄付していたことが問題視されたが、似た問題は名古屋市以外にもたくさんある。給特法だけのせいではないかもしれないが、教育行政と学校のコスト意識のなさは、考えていくべきだ。

話を戻すと、残業代を出すようになると、教育委員会には多額の予算が必要となるので、それなら業務を減らしたり、教員以外にアウトソーシングしたりすることが増えるのではないか。それが給特法廃止論の主張であり、うなずける。

ただし、市区町村立学校の場合、県費負担教職員制度と呼ばれる制度で、残業代を含む給与は都道府県が負担している(政令市は政令市自身が負担)。市区町村は自分の財布は痛まないので、時間外の抑制に本格的に動くかは疑問、という話が中教審でも出た。とはいえ、市区町村が都道府県の指導や働きかけをまったく無視できるとも考えにくい。

より問題なのは、残業代の支給には時間外業務抑制への逆効果もあることだ。給特法を廃止した場合、4%の教職調整額はなくなるだろう。

「調整額を含む現在の給与水準は全員に維持しつつ、残業代支給も可能とすればよい」と主張する論者もいるが、そんな巨額の財政支出を財務省や各都道府県等の財政部局が認めるとは想定しにくい。つまり、残業をしないと給与ダウンとなる。だから、一部の教員は、生活給の一部ともなる残業代欲しさに、働けるうちは働こうとする。

この問題は、「監督者である校長が、必要性の高い時間外業務なのかどうか管理、モニタリングして指導するのだから、必要性の低いことで、だらだら残業するようなことはない」との反論もあろう。

これは「論点①時間外業務かどうかの線引きができるか」にも関連するが、校長による管理、指導がどこまで有効に進むかは未知数だ。現実には、時間外が多い教員の状況を追認するような運用となる学校も多くなるかもしれない。

【論点③】校長の過剰な干渉で教員の裁量や自主性が狭まらないか

関連して、給特法を廃止した場合、都道府県・政令市(給与負担者)が残業代として出せる予算は当然、青天井ではない。そのため都道府県教委と市区町村教委は、各学校に時間外業務を抑制するよう、強く要請するようになるだろう。

これが給特法廃止論でも期待されている、業務削減等の効果の1つだ。同時に、校長は時間外に本当に必要な業務なのかどうか細かく精査、関与するようになる可能性もある。これは、前述の時間外業務を放任、追認してしまう姿勢とは真逆に進んだ場合のことを想定している。

例えば、「〇〇先生、最近時間外業務が多いけど、必要性の高いことかしら? 添削やコメント書きに30分以上もかける必要なんてないんじゃない? 授業準備だって、もう少し要領よく進められるはずよ。勤務時間内もどんな段取りで仕事を進めているのか、ちょっと説明してもらえない?」などと言ってくる校長も出てくるだろう。

こういうのが業務の精選や働き方改革につながってくる、というプラスの影響もあるかもしれないが、指導される側の教員のメンタルが落ち込むリスクもある。現状でも、初任者が指導役の教員(元校長だったりする)から過度に指導やプレッシャーを受けて、精神疾患を患ったり、離職したりするケースも報告されている。

印象論とはなるが、私がヒアリングする限りでは、教員の中には干渉されるのを嫌う人、細かな管理をされるのは嫌、任せてほしいと言う人は多い。

実際、目の前の子どもたちの状況をいちばん知っているのは、授業や学級担任をしている教員なのだから、どんな授業準備が必要かとか、どんなフィードバックを児童生徒にしたらよいのかなどは、校長ないし副校長・教頭が逐一指示をするよりも、個々の教員の裁量や自主性に任せたほうがよいケースも多いだろう。教職の専門性とはそういうところにあると思う。

また、そもそも教員が数十人いる職場で、校長も副校長・教頭も1人ずつしかいない場合も多い中、管理職の時間、労力だって有限だ。細かいことに関与する(マイクロ・マネジメントと呼ばれる)暇があれば、別のことに振り向けたほうがよい。

もちろん、教員があまりにも自分勝手になったり、他人の助言に耳を貸さないといった姿勢になったりするのは問題だが、教員には、授業や子どものケアについて創意工夫しながら、実践を通じてリフレクション(省察)し、改善していく姿勢が大切だ。そうした自律性や専門性を重視する意見が、中教審の議論では多かった。

ただし、こうした見立てには給特法廃止論からも有効な再反論がある。個々の教員の裁量や自由さを大事にすることと、残業代を出すことは、必ずしも両立しえないこととは言えない、というものだ。

校長は放置・放任でもなく、時間外業務を抑制しつつ業務の見直しなどを働きかけることは可能だし、程度の差はあれ、民間企業などでもマネージャー職はそのあたりのバランスに苦慮しながら実践している。

また、教員のモチベーションやメンタルヘルスを悪くするほどの校長の関わりが出てくるとすれば、それは校長の管理能力や適格性の問題として別途対応すべきであり(処分や研修等)、残業代を出さないほうがよい理由にはならない、との見方もあろう。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー。主な著書に『校長先生、教頭先生、そのお悩み解決できます!』『先生を、死なせない。』(ともに教育開発研究所)、『教師崩壊』『教師と学校の失敗学』(ともにPHP)、『学校をおもしろくする思考法』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)

学校以外の業界にも視野を広げると、現行制度でも、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度が典型例だが、細かな指揮命令を受けず、個々の従業員の判断や自律性にゆだねたほうがよい仕事には、時間外勤務手当の制度は外されている(ただし深夜業の制限などの健康確保策は必要だし、不十分さが問題視されることも多い)。

あまり知られていないが、公務員でも、裁判官や検察官も残業代は支給されない法制度となっている。裁判官や裁量労働制で働く大学教員ほど、小中学校等の先生が自律性や自由度のある仕事であるとは考えにくいが。

つまり、教員は、緊急性のある場合など一部を除いて原則、時間外業務は課されないし、過度な業務が負荷されないよう、守られないといけないという「労働者」としての側面がある一方で、具体的な業務の進め方やあり方を自律的に判断しながら創意工夫、改善していく「専門職」という側面もある。

二者択一ではないが、「労働者」の側面をより重視するなら、給特法廃止論へ傾くし、「専門職」の側面をより重視するなら給特法維持ないし、別途専門職としてふさわしい制度を創設・導入すべし、という論になろう。

【論点④】36協定が歯止め措置として有効に機能するか

次に、給特法廃止論の3つ目の論拠については、紙幅の関係上、簡単に触れておきたい。36協定を労使で締結して、例えば、プール管理や会計事務は教員の業務ではないことなどを合意できるとよいだろう。

一方で、日本の公務員(地方公務員も国家公務員も)は労働基本権が大きく制約されてきた歴史がある。海外では公立学校の教員はストも辞さず、使用者と交渉する場合もあるのとは、大きな違いだ。

給特法廃止により、労働基本権を取り戻すべきという考え方もできようが、36協定を結ぶようになったとしても、どこまでうまく機能するかはわからない。国立附属学校や私立学校で労使コミュニケーションによる歯止めがどこまで機能しているかどうか、分析する必要があると思う。

出所:総務省資料

【論点⑤】教員間の公平性の観点から適切か

最後に、給特法を廃止した場合のもう1つの懸念点を述べる。

業務の見直しや働き方改革に熱心な学校の教員、あるいは育児、介護、病気等によって長く働けない教員にとっては、残業代はゼロないし少ないので、実質的に給与ダウンになる(さらに退職金等にも影響)。

そうした制約が少ない教員は長く勤務してそれなりの残業代をもらえるとなると、教員間あるいは学校間で不公平感が高まる可能性が高い。給与ダウンする教員のモチベーションダウンなどのマイナス影響も心配される。

一方、教職調整額が増加すれば、すべての教員にとってベースアップとなる(若手など給与が低い人ほど恩恵は小さいが)。

「短い時間でもパフォーマンスの高い教員には人事評価で認めて、勤勉手当(賞与)や昇格に反映していけば、そう不公平感は大きくはならない」との反論もある。

だが、教員のパフォーマンスがよいかどうかを評価するのは簡単なことではないし(子どもの学力テストの伸びなど特定の指標のみで評価するのは妥当ではないだろう)、個々の教室で行われていることが多い教員の業務について、校長や教頭が詳しく観察するのも限界がある。通常の民間企業や他の公務以上に、教員の人事評価は難しさが伴う。

以上、給特法の問題点や廃止論の主な理由を確認しながら、どう考えたらよいか、検討が必要な論点を5つに分けて紹介した。「なんかややこしいな」と思われた読者もいるかもしれないが、何をより重視するのか、どのような制度がよりマシと言えそうか、簡単な話ではない。

「定額働かせ放題」などとキャッチーなネーミングで給特法の問題をセンセーショナルに述べる論者や報道も多い。労働の対価を払うべきだというのは当然のことであるものの、「残業代がないなんて、あり得ない、全然ダメ」と単純に言い切れない側面もあり、難題なのだ。

(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)

関連記事
教員は「定額働かせ放題」への誤解が生む損失、給特法見直しに必要な視点