投稿者:白木早紀(仮名)
年齢:35歳
勤務先:公立高校

教えたくて教員を志したのに、担任から外された

白木さんは、小学生の頃から先生になりたいと考えていた。夢をかなえて公立高校の教員になってからは、熱心に授業研究を行い、県の研究会でも積極的に発言するなど教育に情熱を注いできた。

職場環境にも不満はなく、充実した教員生活。それを一変させたのが、「文化部のインターハイ」と呼ばれる全国高等学校総合文化祭(以下、総文祭)だ。文化系部活動の主顧問をしていた白木さんは、総文祭事務局の一員に選ばれることになった。

全国総合文化祭について

「以前から噂で、『総文祭の開催都道府県で文化部の顧問をしている教員は、準備に駆り出される』と聞いていました。多少は覚悟していましたが、いざふたを開けると想像をはるかに超える大変さだったのです。開催までの5年間、準備業務による時間外労働は年間900時間オーバーでした。体力的にも夜遅く残るのは厳しかったので、朝早く出勤するスタイルでしたが、ピーク時は朝3時に学校に来ていたこともあります」

「まるで、教員と総文祭準備のダブルワークだった」と振り返る白木さんだが、総文祭準備には手当が出ない。その後もサービス残業を重ねる日々が続いた。しかも、開催年が近づくにつれて総文祭業務のウェイトは増し、次第に授業研究をする時間がなくなるなど「本業」に影響が出始める。そしてついに、学校業務からも引き剥がされてしまう。

「開催年は『総文祭準備に専念してほしい』と言われ、授業ができなくなりました。教員なのに子どもたちを教えることができず、担任からも外されたのです。それでも、総文祭業務は基本的にデスクワークなので、勤務校には通い続けていました」

白木さんにとって、総文祭の準備は望んだ仕事ではない。そもそも文化系部活動の顧問も、「どうせどれかは担当しないといけないから」と、仕方なく引き受けたにすぎなかった。大切にしていた「教育」の仕事を、本意ではない業務に奪われたことで、白木さんの心は悲鳴を上げ始めた。

「総文祭業務に専念し始めた頃から、突然涙が出てくるようになりました。ちょっと変だなと思いつつも、私はやり切らないと気が済まない性分なので、『自分がやるしかない』としか思えなかったんです。でも、家族から『さすがに最近おかしい。病院に行くべき』と強く言われ、ようやく心療内科を受診しました。そこで、うつ病と適応障害と診断されました」

「私立の先生は担当から外してください」の卑劣な意図

学校側に診断結果を伝えれば、総文祭業務から離れることもできただろう。しかし白木さんは、服薬しながら業務を継続することを選んだ。そうせざるをえなかったのは、責任感から「投げ出せなかった」だけでなく、総文祭が持つ構造的な問題も影響していたようだ。

「まず驚いたのが、総文祭は文化庁や都道府県主催で何十年も続いてきたにもかかわらず、まったく組織体制が整っていないのです。公式の引き継ぎもマニュアルもなく、文字通り“ゼロ”から始めなくてはなりませんでした。事務局のメンバーには都道府県職員もいますが、タスクの洗い出しは教員がやるように言われました。おそらく、教員は部活動についてよく知っているし、総文祭準備でも実務を担うから、という判断でしょう」

総文祭には、演劇や吹奏楽、美術・工芸、書道、吟詠剣詩舞など合計19の規定部門があり、それぞれに適した会場設備が必要となる。例えば吹奏楽部門なら、演奏可能なホールや機材を確保しなければならない。各部門の特性について、都道府県職員に知見を求めるのもたしかに酷だ。いずれにせよ、学校の各部活動で培われたネットワークを生かしたほうが合理的であることには違いない。

とはいえ、総文祭開催に向けて、各部門の発表・競技に必要な準備を漏れなく把握し、音響設備などを提供する業者を選定し、見積書を作成したり予算を策定したりするとなれば、この時点で決して簡単な仕事ではない。「専業のイベント会社がやるレベルの仕事を、教員にタダでやらせている」と白木さんは憤る。百歩譲って、業者でなく教員個人が引き受けるとしても、無償で労働しなければいけない理由はないだろう。

「国や自治体・学校は、どう考えても教員の善意につけこんでいるとしか思えません。教員の多くは、生徒のためならできるだけのことをしてあげたいと思っています。だからこそ、『文化系部活生のために』と言われれば対応しますし、これまで担当した教員も特に文句を言わなかったのでしょう。でも、こうして教員に負担を押し付けて、その年限りの取り組みを何十年と繰り返してきたのが総文祭だと思うんです」

さらに不運だったのは、白木さんが顧問をしていた部活動が、文化系部活動でもマイナーな部類だったことだ。例えば吹奏学部は多くの高校に部活動があるため、複数校で総文祭準備を担当したり、途中で交代したりもできる。しかし、白木さんの部活動は数えるほどしかなく、最初から最後まで準備に参加せざるをえないという事情があった。

「腹立たしいのは、都道府県の職員に『私立高校の教員は、総文祭準備から外してください』と言われたことです。公立高校の教員と違って、私立高校の教員には労働基準法が適用されるので、残業代の問題があるからだそうです。つまり、公立教員には、法律的にグレーだとわかっていながら働かせているのです。この指示に従うことで、自分まで『教員の働き方改革』の否定に加担しているようで、本当に嫌でした」

私がそのポジションにいたはずが……引きずる後悔

総文祭準備の担当者は、各部門の部活動で顧問をしている教員たちの話し合いで決めたという。白木さんに強く突っぱねる気持ちがあれば、総文祭に携わらないこともできたそうだ。しかし、それができなかったのは、自分が拒否した場合に負担を負う別の女性教員の心境を察してのことだった。

「私と同年代の女性の先生で、直接口にはされなかったものの、近い将来子どもを生みたいのだろうな、と伝わってきました。同じ女性だからか、なんとなくわかるんですよね。それに気づいた以上、押し付けることはどうしてもできず、私が引き受けてしまった側面はあります」

善意で引き受けた白木さんだが、つい「あのとき、引き受けなければ……」と考えてしまう日もあると明かす。授業研究の時間が十分取れず、さらにうつ病と適応障害を発症したことで、当初想定していたキャリアを修正せざるをえなくなったうえ、5年間にわたり土日も無償労働を行ったことで、自身のプライベートも阻害されたのだから当然だろう。

「20代後半から30代前半は、人としても教員としても大きく成長する時期だと思っています。私は、その機会を逃してしまったように感じます。何年も授業研究ができていないので、研究会で同期の名前を見ると、『このポジションには私がいたはずなのに』と考えてしまうのです」

それだけの犠牲を払っただけに、白木さんが総文祭に注ぐ目線は冷たい。

「文化系部活動の高校生たちが取り組みを披露すること自体は、とても意義深いと思います。でも、そのために教員がタダ働きをするのはどうなのでしょうか。開催前後の数日間は、生徒たちも会場設営や運営業務に駆り出されました。これも、個人的には納得できませんでした。『お金がかけられないなら、教員と子どもにやらせればいい』と、当然のようにボランティア扱いされる時代は、もう終わりにすべきです」

部門によって違いはあれど、例えば吹奏楽部であれば全日本吹奏楽コンクールなど、天王山とされる大会が別にある部活動も多い。教員は「生徒のために」と総文祭準備に駆り出されるが、肝心の生徒側は「(総文祭が)用意されているからやる」といったモチベーションである場合も考えられる。実際、白木さんが顧問をしていた部活動もこのケースであるのに加え、教え子の部員たちは総文祭に参加していなかったそうだ。

総文祭後も続く負担、次の担当者から何度も問い合わせ

さらに毎年異なる都道府県が主催するため、同じイベントにもかかわらず毎回ゼロから作り上げる無駄の多さが、教員の負担に直結していく。白木さんも同様だったが、何もわからず丸投げされた担当教員は、前回の開催地の担当教員に何度も問い合わせをせざるをえない。

総合文化祭の開催実績と予定

「総文祭の終了後も、次の開催地の教員からの問い合わせが続き、しばらくは依然として教育と総文祭準備とのダブルワーク状態でした。担当教員の皆さんも非常に苦労されていると思うので、私もできるだけ丁寧に対応しましたが、今後も多くの先生が犠牲になると思うと耐えられません。せめて、その場しのぎの持ち回り制度はやめて、教員に過度な負担がかからないような組織体制や共有体制を整えてほしいです」

例えばインターハイは、過去は各都道府県で持ち回り開催だったが、2004年からは地域(ブロック)での持ち回りに移行した。国民スポーツ大会(旧称 国民体育大会)は現在も各都道府県での持ち回り開催だが、費用負担の重さなどから、全国知事会では廃止論が浮上している。白木さんの主張は妥当性が高いと言えるだろう。

白木さん自身、「もし文化部の顧問でなければ、存在を知らなかったかもしれない」と話すように、総文祭の知名度は決して高くはない。そのため、裏側で苦しんでいる教員の姿も、残念ながら見えにくいのが実情だ。「共感してくれる先生方の母数は少ないかもしれません。それでも、これから苦しむ先生が少しでも減れば」と経験を明かしてくれた白木さんの思いを、皆さんはどう受け止めるだろうか。

(文:高橋秀和、注記のない写真: 青空 / PIXTA)