投稿者:秋山輝一(仮名)
年齢:50歳
勤務先:公立小学校
教壇からは、児童のPC画面も表情も見えない
「ウェブ上で遊べるゲーム(ヘビゲーム、ピンボールなど)を授業中にやりまくる子、卑猥な言葉を音声入力で検索して騒ぐ子、色の反転や画面回転、拡大縮小といった障害者向けの支援機能で遊び続ける子、デジタルドリルの1番やさしい問題を繰り返してポイントを稼ぐ子、『充電切れた』『パスワード忘れた』で授業が終わってしまう子。これらはすべて最近の授業で起きたことです」
これは、「教員のリアル」体験談募集フォームに寄せられた秋山さんのメッセージを一部編集したものだ。話を聞くと、秋山さんは「自己コントロールの未熟な子が、PCに翻弄されている」と表現した。
「実は、特別支援学級じゃない通常学級でも同様の事例が起きています。目の前に、ゲームができるPCがあるわけですから、ゲーム機を渡しておいて『ドリルを解きなさい』と言っているようなものです。ましてや、目の前のものを我慢しにくいADHDなどの子が学習に取り組むのは困難です」
実際、ブラウザでゲームを開いて、秋山さんが近づくとサッと教材のタブに切り替える児童もいるという。また、本来YouTubeの視聴は制限されているが、文部科学省のサイトから教員向けの指導資料を見つけ出してアクセスした児童もいるという。
「『(課題が)終わった!』と嘘をついてPCを閉じてしまう子も多く、本当に終わったか確認するだけで時間がかかります。これが紙のドリルなら一目瞭然なのですが……。長期休みの宿題も家でPCにログインして進めるので、親も確認しづらく、教員が進捗を促すコメントを送っても、児童がPCを開かない限り届きません」
情報主任としても10年以上のキャリアを持つ秋山さんは、PCを使わなければここまでの混乱は起きないと話す。なぜ、PCを使うとこうなるのか。秋山さんは「PC画面」に着目する。
「教員は、教壇からは児童のPC画面を見ることはできません。つまり、何をしているのかわからないのです。これは『1人1台端末』以前にはなかったことです。画面を見るには、児童の背後に回らなければならず、すると子どもたちの表情がわかりません。また、全員がPC画面を見ていると、教員と児童はもちろん、児童同士の目も合いません。人と人の関わりを学びにくいのでは、と危惧しています」
ICT教育の成功事例は、多くの学校にとって現実味がない
情報社会で適性に活動するために必要な「情報モラル」の欠如も顕著だと秋山さんは語る。
「TikTok中毒で不登校になってしまった子や、オンラインゲームの影響で暴言を連発する子、YouTubeで知った卑猥な言葉やあおりダンスを教室で披露してしまう子、年齢制限のあるゲームについてまくしたてて友だちと会話が成り立たなくなってしまう子など、多くの事例を見てきました。LINEなどのSNSトラブルや課金トラブルも少なくありません」
問題は、こうした事例がほとんど共有されないことだ。公立学校の教員には守秘義務があるため、児童個人が特定される情報は表に出せない。ニュースになるような事件ならともかく、実際は「ヒヤリハット」レベルの事例がほとんど。教員20年以上のキャリアがある秋山さんだが、「他校でも起きているとは思いますが、実際はわかりません」と話すにとどまる。
「情報モラルの事例は、トラブルが起きてから児童に『自分ならどうすべきか』を考えさせるケースが多いです。しかし、通常学級であってもじっくり議論する余裕はありませんから、特別支援学級はなおさらです。失敗事例を参考に研究したいのですが、文部科学省が紹介するのは成功事例ばかり。いずれも、児童がスムーズにPCを立ち上げて真剣に課題に取り組むことが大前提なので、国立付属小学校には参考になるでしょうが、一般の公立小学校にとってはあまりリアリティがないのです」
実際、ログインできない、パスワードが入力できない、といった初歩的なトラブルも後を絶たない。個々に状況が異なり、全員が対象のページにたどり着くのに20分かかったこともあるそうだ。これが紙の教科書なら、「何ページ開いて」で済んだだろう、と秋山さんは語る。
「子どもたちはデジタルネイティブとはいえ、実はアカウントやクラウドの仕組みは理解していません。パスワードを思い出せなくなった友だちに、親切心で自分のパスワードを教え、データを上書きされそうになった子もいました。自撮り写真や、ふざけて盗撮した先生や友だちの写真が、すべてドライブにアップロードされ、条件次第で誰からもアクセスできてしまうリスクがあることも理解していないでしょう。国や自治体、学校、メディアなどには、失敗事例や対処方法なども共有してほしいです」
“半わかり”のままICT教育を進めてしまう危険性
長年情報主任を務めてきたこともあり、秋山さんはICT教育自体には前向きだが、「負の部分も大きいのではないか」とも語る。
「例えば、音声入力。筆記が苦手な子や視覚障害のある子には重要な機能ですが、少し頑張れば書けたような子は、音声入力に頼ることでその機会を失ってしまうとも考えられます。早々に支援してしまってよいものか、少し難しいところです。日々の連絡帳も、Classroomを使えば簡単に作れてしまいますが、日々の手書きの習慣がなくなることで、筋力などに影響はないのだろうか、などと考えることもあります。もちろん、これは誰にもわからないことですが……。また、デジタルドリルで漢字をなぞるときは、付属のペンや人差し指が想定されていると思いますが、実際は、画面を両手でつかんで親指でなぞる子が多くなっています」
特別支援学級と通常学級の「交流及び共同学習」でも、タイピング操作が追いつかず授業についていけないケースがあるという。ICTよって多様な子どもたちを誰一人取り残さない教育を目指したはずが、むしろ格差が生まれている実態にも目を向けなければならない。
「設備や人が足りない、というのが実感です。テレビや電子黒板もだいぶ古くなっていますが、ICT関連はほぼ情報主任1人に委ねられています。専門家でもないのにICT機器やデジタル教材の導入を任され、失敗すれば責任を負わされるのはあまりに酷です。導入をライトに検討する段階や、クラウドの操作や共有範囲を確かめる際、学校の代表アドレスを使うわけにはいかず、個人のアドレスでテストすることも正直あります。しかし、一歩間違えればトラブルになりかねないと、不安は絶えません。多くの教員が“半わかり”のまま綱渡り状態で運用していると思うのです」
長年培ってきた特別支援学級のノウハウが通用しない焦り
採用された教材は、ルビが振られていなかったり、回答時に問題が隠れてしまったりと、不具合も多かったそうだ。秋山さんは、「せめてアプリやソフトに長けた教員や支援員の配置を」と訴えるが、ほとんどの業界で人手不足が起きている今、簡単に実現できる話ではない。その結果、アナログに戻している部分もあると明かす。
「授業前にPCを触って興奮状態に陥ってしまうよりは、読書で気持ちを落ち着けてもらったほうが、スムーズに授業を始められます。また、紙のドリルのほうが、教壇からも進み具合やつまづいている箇所がわかり、すぐに対応することができます。プログラミング学習ソフトも、同級生と関わらず黙々と進めるタイプのものについては、学校に来ている意味がないのではないかと思ってしまいます。世界でも一部『アナログ回帰』が進んでいると聞きますが、それも理解できます」

秋山さんの言うとおり、教育・IT先進国であったスウェーデンやフィンランドでさえ、学力低下や集中力低下を理由に、紙の教科書に戻す「脱デジタル化」を進める地域が出ている。ICT教育に課題を抱え、再検討を行う国があるのは事実だ。しかし他方で、社会全体ではAIの実装が進むなど、デジタルシフトが完全に見直されるとは到底考えにくい。今後は、アナログとデジタル、それぞれの良さをいかに生かすかが肝となるだろう。
「以前まで、授業前は机の上を鉛筆だけにして、手をひざの上に置いてもらい、気分高揚や注意散漫な状態を抑えてから授業を始めていました。特別支援学級で長年培ってきたノウハウが、一瞬にして使い物にならなくなってしまった感覚です。ICT教育を進めるのであれば、優秀な先進事例を集めて眺めるのでなく、いろいろな失敗事例を共有しあって新たなノウハウを生み出していく体制があるとよいのではと思います」
秋山さんが指摘したように、学校や自治体を明かして失敗事例を共有する場合、児童個人が特定されてしまうリスクもある。しかし、失敗と対策の情報は、足元の課題を解決するために何より有用なはずだ。一部を抽象化やマスキングすることで、貴重な教育資産として蓄積できないのか。このままでは、ICT教育が尻すぼみになる学校と、ICT活用が進む学校との格差が広がるばかりである。ICT教育の適切な普及のために、価値ある提言ではないだろうか。
(文:高橋秀和、注記のない写真:Graphs / PIXTA)