先日、Twitterで少し話題になっていたのは、大分市が市立小中学校の学級担任らに公用携帯を支給して、夜間などの時間外であっても保護者からの電話に対応可能な体制にしているという話だ。「教員は24時間対応ではない」「こんなことをしていたら、教員志願者が減る」といったコメントが寄せられていた。
一方で、修学旅行をはじめ校外学習などのときに、公用携帯があったほうが便利なのは、よく理解できる。おそらくほかの自治体の先生は、私用携帯で業務上の連絡をしているところが多いのではないか。公用携帯があっても各校に1台だけといった例もある。
たかが携帯の話。されど、である。日本の学校にとって、「公」と「私」のすみ分けがそう簡単ではないことを象徴しているように私には思えた。言い換えれば、学校、教職員は、勤務時間外のことや学校管理外のことに、どこまで世話をするのか、責任を持つのかという問題でもある。今日はこのテーマについて少し掘り下げてみたい。
学校の電話対応は何時までOK?
さて、冒頭の公用携帯の夜間などの対応について、大分市教育委員会に確認したところ、通常は時間外に自宅などに携帯を持ち帰っていなかったが(学校に置いておく)、新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染拡大により、コロナ関連の緊急連絡用に持ち帰りをお願いしているとのこと。
検査で陽性となったり、濃厚接触者になったときの連絡用だという。それ以外の緊急性のない用件では保護者は携帯に連絡しないようにお願いしているそうだ。併せて、大分市ではすべての市立小学校で18時30分から、中学校では19時から、校内の電話は音声メッセージ対応になっている。教職員の負担に一定の配慮はあるようだ。
だが、コロナ対応がメインとはいえ、いつ電話がくるかもわからないとなると、学級担任などにとってはストレスであろうことは想像に難くない。また、保護者とトラブルになり、執拗な電話で夜遅くまで拘束される例もあるかもしれない。
数年前までは、多少夜遅くだろうと、学校の固定電話に連絡すれば教職員に対応してもらえるのが当たり前だった。
「忘れ物をしたので、これから取りに行っていいですか?」
「明日の時間割を教えてください(時間割がわからないとランドセルに何を入れるのか困ります)」
「部活動の後、なかなか家に帰ってこないんですけど、知りませんか?」
といった問い合わせも少なくなかった。こうした連絡に対応する過剰サービスともいえる状況が学校、また社会の働き方改革の中で、だいぶ変わりつつある。
文部科学省の調査によると、「勤務時間外における保護者や外部からの問い合わせ等に備えた留守番電話の設置やメールによる連絡対応の体制を整備している」自治体は、政令市の95.0%、市区町村の48.8%に上る(21年9月1日時点、「令和3年度 教育委員会における学校の働き方改革のための取組状況調査」)。
児童生徒の命が危ないといった本当の緊急時以外は、電話対応は受け付けないという学校が増えてきたのだ。留守番電話や音声メッセージ対応など(以下、留守電)を導入している学校に聞くと、保護者からの反応も悪くないし(困ることはほとんどない)、教職員の心理的なストレスはずいぶん軽減されたという。
緊急連絡用には、大分市のように教員の公用携帯へというのは、私が知る限り、まれな例であり、多くは教育委員会か警備会社につなぎ、必要に応じて校長などに連絡が届く仕組みとなっている。
このような留守電などによる対応でも、まだまだ手厚いほうだと思う。少なくとも次の4点について考える必要がある。
第1に、大分市の例のように、18時(または19時)以降から留守電としている学校は全国的にも多い。だが、勤務時間は17時前後までだから、留守電になる18時や19時までの対応は勤務時間外にもかかわらず容認されてしまっている(勤務時間終了時にバッサリ留守電に切り替わる学校も出始めたが、おそらくまだ少ない)。
第2に、当たり前の話なのだが、命の危険のある本当の緊急時でも、保護者や児童生徒が頼るべきは110番(警察)か119番(救急)であり、学校ではないはずだ。
第3に、コロナ対応で必要性があるからといっても、学校は保健行政の機関ではないのだし、時間外対応が前提でいいのだろうか。医療機関から保健所に連絡はいくし、学校や教育委員会が当日中に知る必要はあるのか。学校、教育委員会としては、学級閉鎖や休校の判断をするためということもあるかもしれないが、判断に迷うほど感染者が増えてきた時期ならば、しばらく学級閉鎖にすればよいのではないか。
第4に、仮に学校への連絡が必要だとしても、電話以外の方法もたくさんある。例えば、保護者のスマホなどからアクセスできる入力フォームを作っておけばよい。
上記の4点を検討すると、時間外の電話対応は「原則ナシ」としてよいし、公用携帯を持ち帰らせるほどではないと思う。なお、修学旅行中などのための公用携帯の支給または公費による貸し出しなどはあって然るべきだ。
管理外なのに、なぜ学校に頼るのか、なぜ学校は世話を焼くのか?
こうした時間外の電話対応という例のほかにも、学校がどこまで対応するべきか、グレーゾーンはいくつかある。例えば次のシーンはどうだろうか。
②児童が自宅のゲーム機で遊んでいて友達とトラブルになった。担任の先生に仲裁に入ってもらいたい。
③初めは子どものちょっとしたトラブルだったが、だんだん、保護者同士のけんかになってきた。当人同士ではらちが明かないので、学校に間を取り持ってほしい。
④GIGAスクール構想の下で学校(教育委員会)が貸与しているタブレットを持ち帰った小学生が、自宅で娯楽動画ばかり見て勉強しない。「学校が与えたものなのだから、先生どうにかしてください」という保護者からの申し出があった。
いかがだろうか。これは何人かの教職員から実際に聞いた話を基に作成したが、おそらくかなりの学校が①~④のいずれにも、何かしらの対応をしていることが多いのではないだろうか。
①の場合では、担任や生徒指導担当が謝罪に出かけたりすることは多々あるし、②または③のケースでも、放置しておくと学校での児童生徒の関係にマイナスだからと、カウンセラーでもない教員が話を聞いたりしている。④では保護者のその言い分は変だなと思いつつも、下手に反論して面倒なことになってもいけないので、「学校でタブレットの適切な使い方について指導します」と言っている学校は少なくないと思う。
だが、上記はいずれも学校の管理外で起きていることだ。例えば、修学旅行中に生徒が住民に迷惑行為を働いたり、生徒同士でけんかしていたりすれば、学校の管理責任、監督責任は問われうる。だが、①~④は学校の管理責任の外の出来事だ。どうして学校が対応する必要があるのか。
①~④はいずれも、家庭の責任で対処していくことではないか。本来家庭がやるべきことにお世話をするほど、教職員には時間的なゆとりはないし、給料も払われていないし、勤務時間のシフト制なども敷かれていない。学校は24時間営業のコンビニではないし、救急医療のような体制もないのだ。
前述の夜間などの電話対応についても、学校の管理責任外のことまで、首を突っ込もうとしている、あるいは、そうせざるをえない状態になっている様子を示している。
学校教育以外でも、誰の責任であるかをあいまいにしていることは、日本では少なくないのかもしれない。そのほうがギスギスしないし、できる人が助けましょうという精神は悪いことばかりではない。だが、今回例示したように、本来は家庭の領域であることに、学校が過剰なまでにお世話をするのでは、教職員は疲弊していくし、保護者の側にも「ああ、そんなものか」「学校は対応してくれるものだ」という甘えが生まれてしまう。
駐車場には「ここで発生したトラブルには、当方は一切責任を負いません」というお知らせが貼ってあることが多い。学校も「学校の管理外で起きたことには、責任を負いません」という看板を立ててはどうか。少なくとも、入学説明などでもっと踏み込むべきだ。いじめ問題など、学校の役割と家庭の役割が交錯する領域もあるので難しいところもあるが、見直していくべきことは多い。
(注記のない写真:kouta / PIXTA)