管理外なのに、なぜ学校に頼るのか、なぜ学校は世話を焼くのか?
こうした時間外の電話対応という例のほかにも、学校がどこまで対応するべきか、グレーゾーンはいくつかある。例えば次のシーンはどうだろうか。
②児童が自宅のゲーム機で遊んでいて友達とトラブルになった。担任の先生に仲裁に入ってもらいたい。
③初めは子どものちょっとしたトラブルだったが、だんだん、保護者同士のけんかになってきた。当人同士ではらちが明かないので、学校に間を取り持ってほしい。
④GIGAスクール構想の下で学校(教育委員会)が貸与しているタブレットを持ち帰った小学生が、自宅で娯楽動画ばかり見て勉強しない。「学校が与えたものなのだから、先生どうにかしてください」という保護者からの申し出があった。
いかがだろうか。これは何人かの教職員から実際に聞いた話を基に作成したが、おそらくかなりの学校が①~④のいずれにも、何かしらの対応をしていることが多いのではないだろうか。
①の場合では、担任や生徒指導担当が謝罪に出かけたりすることは多々あるし、②または③のケースでも、放置しておくと学校での児童生徒の関係にマイナスだからと、カウンセラーでもない教員が話を聞いたりしている。④では保護者のその言い分は変だなと思いつつも、下手に反論して面倒なことになってもいけないので、「学校でタブレットの適切な使い方について指導します」と言っている学校は少なくないと思う。
だが、上記はいずれも学校の管理外で起きていることだ。例えば、修学旅行中に生徒が住民に迷惑行為を働いたり、生徒同士でけんかしていたりすれば、学校の管理責任、監督責任は問われうる。だが、①~④は学校の管理責任の外の出来事だ。どうして学校が対応する必要があるのか。
①~④はいずれも、家庭の責任で対処していくことではないか。本来家庭がやるべきことにお世話をするほど、教職員には時間的なゆとりはないし、給料も払われていないし、勤務時間のシフト制なども敷かれていない。学校は24時間営業のコンビニではないし、救急医療のような体制もないのだ。
前述の夜間などの電話対応についても、学校の管理責任外のことまで、首を突っ込もうとしている、あるいは、そうせざるをえない状態になっている様子を示している。
学校教育以外でも、誰の責任であるかをあいまいにしていることは、日本では少なくないのかもしれない。そのほうがギスギスしないし、できる人が助けましょうという精神は悪いことばかりではない。だが、今回例示したように、本来は家庭の領域であることに、学校が過剰なまでにお世話をするのでは、教職員は疲弊していくし、保護者の側にも「ああ、そんなものか」「学校は対応してくれるものだ」という甘えが生まれてしまう。
駐車場には「ここで発生したトラブルには、当方は一切責任を負いません」というお知らせが貼ってあることが多い。学校も「学校の管理外で起きたことには、責任を負いません」という看板を立ててはどうか。少なくとも、入学説明などでもっと踏み込むべきだ。いじめ問題など、学校の役割と家庭の役割が交錯する領域もあるので難しいところもあるが、見直していくべきことは多い。
(注記のない写真:kouta / PIXTA)
執筆:教育研究家 妹尾昌俊
東洋経済education × ICT編集部
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