11月14日に開催された財務大臣の諮問機関、財政制度等審議会で教員の量と質をどうするのかが話題となった。現時点では議事録は公開されていないため、ここでは財務省が提出した資料をもとに、財務省の考えを紹介するとともに、いささか単純すぎる現状認識とロジックであり、問題が大きいことを論じたい。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー、教育新聞特任解説委員。主な著書に『教師と学校の失敗学 なぜ変化に対応できないのか』(PHP新書)、『教師崩壊』(PHP新書)、『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』(教育開発研究所)、『学校をおもしろくする思考法 卓越した企業の失敗と成功に学ぶ』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)

財務省の主張は?

聞き慣れない方もいると思うが、財政制度等審議会というのは、来年度予算案の編成に影響する会議だ。過去にもたびたび、教員定数のあり方などについては議論となり、財務省vs文部科学省の攻防が繰り広げられた(2016年、20年など)。公立小中学校などの教員給与に充てられる義務教育国庫負担金だけでも約1.5兆円ある(22年度予算)。高齢化して社会保障費に毎年莫大な費用がかかる中、少子化しているのだから、財務省としては教員数を削減・抑制したいのだ。

さて、今回の審議会での財務省の主張をざっくりまとめると、以下のとおりとなろう。

「教員数は少子化の割には減っておらず、加配人員などは合理化、削減するべきである。教員の量的拡大路線(教員定数の増)は取らず、質の担保こそ、急務である」

もう少し詳しく見ていこう。図1の左のグラフのとおり、子どもの数はものすごく減っている。教職員定数(国が定める標準的な教員数)も減ってはいるが、少子化の程度と比較すると減少幅は小さい。教員1人当たりの児童生徒数で比較すると、ほかの先進国と遜色ない水準だ。財務省の言葉を引用すれば、「教員の『量』的充実度は既に先進国の中でも高い水準である」。

(図1)

出所:財務省「財政制度等審議会 財政制度分科会 歳出改革部会(2022年11月14日開催)」資料

そして、教員採用試験の倍率が低迷していることから、「質の高い教員の確保が困難になりつつある」としたうえで、加配定数などは合理化(つまり削減・抑制)できるのではないかという見解を示している(図2)。加配定数というのは、少人数指導やいじめ・不登校対策のために、基礎定数よりも余分に配置されている教員数を指す。

(図2)

出所:財務省「財政制度等審議会 財政制度分科会 歳出改革部会(2022年11月14日開催)」資料

こうした財務省の主張を、読者の皆さんはどう感じるだろうか。

私は、もっともなところもあると感じた。教員の質の確保は重要であり、「若者を中心とした優秀ななり手を増やす施策が必要」との財務省の見立ては、大いに賛同する。学校を魅力ある職場にしていかなくては、採用増を行ったところで、いい人は来てくれないのは当たり前の話だ。また、財務省が提案する(図3)ように、民間出身者など、多様な人材が採用、活用しやすい仕組みを検討する必要もあると思う。

(図3)

出所:財務省「財政制度等審議会 財政制度分科会 歳出改革部会(2022年11月14日開催)」資料

日本の教員数は、ほかの先進国と比べて充実などしていない

だが、ここまでに紹介した財務省の現状認識と今後の対策には、問題も多く含まれている。

まず、日本の小中学校などの教員の量的配置は高い水準である、と評価できるだろうか。いくつかの疑問点があり、批判的に考える必要がある。

第1に、日本の小中学校の教員定数の決め方は、基本的には「学級数×係数」となっている(これは基礎定数の話であり、加配定数は別)。つまり、「児童生徒数×係数」ではない。例えば、ある小学校で、去年までの1年生は68人いたとすると、34人と34人の2クラス編成(1クラス35人以下が標準なので)。教員数として2人分は積算される(ほかの学年の学級数も勘案して教員定数は算定されることになるが、ここでは話を単純化している)。

では、今年の1年生が36人だった場合はどうか。18人と18人の2クラス編成となり、教員数も2人分は見込まれる。つまり、この例は極端だが、児童数はおよそ半減しているのに、教員数は減らないということも起こりうる。同様に、地方で起きていることだが、去年までは1学年に30人だったものの、少子化がさらに進み今年は15人になった。この例でも、教員定数は去年も今年も1人積算されることになる。

これは言われるまでもなく、財務省も十分承知していることだ。だが、少子化している割には教員数は減っていないと論じるとき、「そこは制度、算定式の影響があるでしょう」というところを飛ばして説明しているならば不適切だ(参考資料には関連情報は載っているので、きちんと委員に説明しているのかもしれないが、議事録がない現時点では不明)。

第2に、日本の場合、特別支援のニーズが急拡大しており、特別支援学級の増加による教員数の増加の影響は大きい。通常学級については、自然減しているところも多い。つまり、大きく少子化していても、支援学級が増えれば、教員配置は増やさないといけない小学校も少なくない。

第3に、教員1人当たりの児童生徒数で国際比較しているが、あくまでもデータは平均であり、日本の場合、中学校は1クラス最大40人もいる。ギュウギュウ詰めの教室で授業している教員(これは平均値では見えてこない)にとっては、負担は他国よりかなり重い。

第4に、ほかの先進国と比較する場合、教員の仕事内容や役割が違うということを無視してはいけない。図4は一つの目安だが、日本の教員は他国よりも〇や△が多く、教員が実に多様な役割を担っていることがわかる。そのためもあって、日本の小中学校の先生は世界一多忙だ。

財務省に言葉を返すようだが、教員1人当たりの児童生徒数の平均値が他国と同じくらいだとしても、ほとんどの教員が大量の仕事を、残業代なしでこなしているのだから「それは、国・自治体にとっては安上がりでいいですね」と、嫌みを言いたくなる。

(図4)

出所:国立教育政策研究所「学校組織全体の総合力を高める教職員配置とマネジメントに関する調査研究報告書」

しかも、日本だけでなく、ほかの先進国でも似たトレンドにあるが、個別最適な学びや探究の重要性が叫ばれている中で、1クラス最大35人とか40人の児童生徒を相手にしなければならない日本の実情は、先進国といえるのだろうか。

以上4点を踏まえるなら、財務省が主張する「教員の『量』的充実度は既に先進国の中でも高い水準である」というのは、正確さを欠く。そう話は単純ではない。

質の問題を言うなら、教員不足こそ大問題

次に、教員の質の問題だが、これは量の議論以上に、ややこしい。というのも、財務省はもちろん、文科省も、教員の質についての情報をほとんど持ち合わせていないであろうからだ。水掛け論になりかねない。

そもそも「優秀な教員とはどんな人か」という定義や要素分解は難しいし、測定にも困難を伴う。しかも、個人で勝負するだけではないから、学校、教職員が組織、チームとしてうまくいっていないといけない。特定の指標で評価して「この人は教員として優秀な人材だ」となったとしても、そういう人ばかりが集まって、多様性の低い組織になっては、問題が大きい。合わない児童生徒もいるだろうし、画一的な見方が支配すれば、不確実性の高い学校運営や子どもへのケアで不適切なことが起きかねない。

前置きの理屈が長くなったが、こういう事情もあってか、財務省の資料では、教員採用試験の倍率低下という非常に限られた情報を基に、教員の質が危ないと言っている。これはテレビ、新聞などのメディアでもよく言われることだ。だが、本当にそうなのか?

私はこれまでも何度か本や記事で書いてきたが、倍率がたとえ低くても、適切な人材が集まるならば、質の低下という問題は起きない(拙著『教師崩壊』などを参照)。ロジカルに考えると、そうだ。

だが、現実問題としては、倍率低下により講師不足、教員不足となりやすく、欠員状態の学校も多い(「公立学校教員採用選考試験『小学校で過去最低の2.5倍』、低倍率のカラクリ」参照)。本来は誰でもいいわけではないが、講師をしてくれる人が見つかれば、即採用となっている。これでは講師の質の低下が起こりやすいと考えるのが自然だろうし、欠員が出て忙しさが増す学校現場では、正規の教員だって学習できる余力がなく、質は低下しやすいと考えられる。

さらに、この後が大事なのだが、こうした教員不足、欠員が容易に生じやすい原因は何なのか。

第1に、非正規の講師に都合よく頼ってきた仕組みの問題。第2に、講師をしてでも教員になりたいと思える人が減ってきた問題(学校の過酷な労働実態などが関連)。第3に、学級担任外などの遊軍的な人材配置がもともと少なく、すぐに欠員になりやすいギリギリの配置状況である制度と予算の問題などがある(ほかの背景要因もあるが、長くなるので割愛)。つまり、教育現場に多少なりとも余力のある人的配置があればよかったのだが、量的な拡大政策を取ってこなかったがために、教員(とりわけ講師)の質の低下を招いている可能性があるのだ。

もちろん、急に教員(正規)の採用数を増やすと、質の低下を伴うリスクはあるが、数年かけて徐々に学校現場に余力を取り戻していく、つまり教員定数を今の制度よりも充実させていく政策を取るべきではないか。実際には、少子化による学級減による必要な教員数の自然減もあるので、教員総数(それに伴う財政負担)がそう増えるわけではない。

財務省の思惑どおりになると教員の質はいっそう下がりかねない

仮に財務省が言うとおりの政策を進めると、おそらく、加配定数すら削減された学校現場はさらに苦しくなり、いっそうの教員不足、欠員が起きる。今でも、少人数指導を本当はしたかったが、加配されていた人を引っこ抜いて、学級担任の欠員補充に回している小学校などは実に多いからだ(私も参画している「#教員不足をなくそう緊急アクション」の調査からも示唆される)。

そして、欠員状態で多忙を極める学校では、病休や離職が増える。そんなところに講師登録してくれる人も少なくなるので、教員不足はさらに深刻になるという悪循環が待っている。

これはフィクションではない。今もすでに起きていることだ。この状況をガン無視するのが「優秀」といわれる財務官僚なのか?

今回批判的に検討した財務省の資料には「教員に過度な負担を負わせない取組を導入・展開することにより、教員を保護する環境を作っていくべき」との一節があり、大いに共感する。

スクールロイヤーのことなどが言及されていて、それも大切だと思うが、もっと根本的には、これまでの教職員の配置状況と業務の負わせ方が、決して先生たちにやさしくなかった、という事実に注目してもらいたい。教員を保護することは、子どもたちを保護すること、言い換えれば、子どもたちにちゃんとした教育・学習の場を用意することにつながる。これは、ぜひ財務省の理解・協力も得つつ、進めていきたいことだ。

(注記のない写真: IYO / PIXTA)