全国の小中学校、高校などの学習内容や教科書の記述に大きく関わる、学習指導要領の改訂をめぐって、準備作業が始まった。12月25日には中央教育審議会に諮問がなされ、本格議論が進む。おおむね10年に1度改訂される学習指導要領だが、現行は2017年改訂版である(高校は2018年)。

前回の記事で、働き方改革や教員給与をめぐる文科省と財務省との攻防について扱ったが、そことも密接に関わる話だ。なぜなら、授業とその準備時間は、当然ながら教員にとって一番多くを占める時間だし、やりがいにも大きく関わるのだから。

また、日本の小中学校などの教員は授業以外の仕事も多いため、世界で突出して長時間勤務になっている。ここ数年、文科省と教育委員会等は教員の業務を仕分けて減らそうとしてきたわけだが、うまくいっているだろうか。不十分だとすれば、もっと何が必要なのだろうか。

ここでは、こうした動きをにらみつつ、少し視点を広げて、「日本の学校はどこに向かおうとしているのか」「学校の先生の役割ってなんだろう」ということについて考えてみたい。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー。主な著書に『校長先生、教頭先生、そのお悩み解決できます!』『先生を、死なせない。』(ともに教育開発研究所)、『教師崩壊』『教師と学校の失敗学』(ともにPHP)、『学校をおもしろくする思考法』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)

日本の教員は世界一マルチタスク

TALIS(OECD国際教員指導環境調査)によれば、日本の小中学校の教員は、ほかの先進国と比べても突出して長時間勤務だ。授業とその準備の負担も重いが、それ以外の仕事もたくさんある。

次の表は、主要先進国と日本の教員の業務を比較したものだ。教員の仕事かどうかをはっきりと判定することは難しいところもあるので、多少大雑把な目安として捉えたい(例えば、日本でも教材の発注や会計は学校事務職員が行っている場合もあるし、何を購入するかは各教科や学年の担当が検討するので、フルに教員の仕事であるとは言い難い)。

とはいえ、日本の教員は、他国ではやらないような仕事もたくさんしていることは明白だ。図中の薄い黄色と濃い黄色でハイライトした業務は、ほかの多くの国ではすでに学校や教員以外が担っている。日本の先生は、世界一マルチタスクなのだ。

出所:文科省「質の高い教師の確保のための教職の魅力向上に向けた環境の在り方等に関する調査研究会」での国立教育政策研究所初等中等教育研究部長 藤原文雄氏提出資料(2022年12月22日)

例えば、掃除の時間(清掃指導)がある国は珍しく、掃除を含む日本の特別活動(“TOKKATSU”で海外の研究者にも通じる)は、エジプトなどから称賛されて「輸出」されている。

たしかに教育的意義はあるが、裏腹に教職員と子どもたちの「無償労働」に支えられ、馬鹿にならない時間がかかっている。毎日15分掃除すると、年間指導時間は約50時間となり、小学校なら図工(または音楽)より多い。

なのに、掃除はほぼ毎日なことに疑問を感じないだろうか? 本来、教育委員会は清掃の外注予算を取っていくべきなのに、サボっている。県庁や市役所で、職員がトイレ掃除までしているところはごく稀だ。

問題は掃除だけでない。先ほどの国際比較表以外にも実にさまざまな仕事が学校にはある。端末の保守や管理もやっているし、保護者のカウンセリング的なことまで。

そこで文科省も、ここ数年、学校ないし教員がやらなくてもいい仕事は、なるべく切り離してほしい、教育委員会などが担ったり、ほかの人とワークシェアしたりしてほしいと呼びかけてきた。ただ、それでも、まだまだ学校・教員の業務はたくさん残っている。そこに業を煮やした財務省からダメ出しをくらい、もっと強力に進めよと言われている状況だ。

授業時間や教科書の内容も増えている

そのうえ、近年、学習指導要領が改訂されるたびに、教える内容(学習内容)は増え、教科書はどんどん分厚くなっている。

1998年改訂のときには、学校も週休2日(学校週5日制)になったので、学習内容の大きな精選が進んだ。だが、これがいわゆる「ゆとり教育」批判、学力低下論争につながり、それ以降は学習内容が増え続けている。

現行の学習指導要領は、土曜も含めて週6日でやっていた同じ授業時間数を週5日で詰め込もうとしているのだから、子どもも教員も忙しくなるのは当然だ。図の変遷からも、平成の終わり・令和のはじめに平成のはじめと同じ授業時間数に戻ったことがおわかりいただけると思う。

これから検討される次期の学習指導要領では、現行以上に総授業時間を「増やさない」方針だという(文科省「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会 論点整理」令和6年9月18日)。だが、おそらく大勢の教員の気持ちを代弁するなら「増やさない」ではなく、「減らしてほしい」だ。それは教員向けアンケート調査をいくつか見ればわかることである。

「子ども目線」でも考える

教員目線だけではなく、子どもたち目線、あるいは子どもの意見表明も大事だ。もちろん、いろいろな子がいるので一概には言えないが、小学生から毎日のように6時間も授業があるのは、疲れる子も少なくない。

一方で、教育(学習)での学校の役割を縮小しすぎると、家庭の教育力による格差をさらに広げることにもなりかねない。経済力があり教育熱心な家庭の子ほど、もともと学力が高い傾向があり、そのうえに塾や体験活動も豊富なのでさらに差が広がるからだ。こうした難題に、学習指導要領のあり方や学校の役割の議論は関わっている。

さらには、AIの活用や情報リテラシーなどをはじめ、社会の変化に応じて、教育内容は増やしたい圧力が強まる。一方で、何かを減らすとなると、その教科の専門家や業界団体、あるいはメディアなどから猛反対が来る。いったい何を減らす(減らせる)のか、減らさないのか、あるいは増やすのか、各論を丁寧に議論していく必要がある。

また、これだけネット上でも動画などで学べる時代に、個々の先生が授業をやる必要があるのか、という疑問も評論家などからたびたび出ている。全国2万校近くある個々の小学校の個々の教室で、分数の割り算の仕方や基礎的な英語を教えるのではなく、うまい先生の動画やAIによる支援から学んだほうがよいのではないか、教員不足ならそうした工夫ももっとするべきだ、という意見だ。

これはもっともなところもあるし、ICTやコンテンツはもっと活用されてもいいと思うが、そう極端には振り切れないのも事実だ。動画やAI教材などでセルフペーストラーニングができる子はやっていけばよいが、それが難しい子……例えば、学ぶ意欲に乏しい子やどこにつまずいているのか自分ではよくわからない子への支援など、教員の役割は残る。

また、子ども同士の相互作用による学びの深まりや、教科横断的な学び、探究なども重要なので、やはり個々の教室でやっていくことは残る(各地で共通して活用できる教材などはあったほうがよいし、教室という枠を飛び越えた学びがもっと充実したほうがいいとは思うが)。

いずれにせよ、何をどこまで個々の教員がやって、どこは機械や別の専門家、あるいは地域などの手を借りるのかについても、今後とも模索、試行錯誤が続いていくだろう。学校丸抱え体制では教育効果上も、あるいは教員の負担上も限界がある。

教員の仕事を抜本的に仕分ける

以上は、ほんの一部の例だ。次の学習指導要領を待たなくても、今現在も進行中で、「日本の学校はどこに向かおうとしているのか」「学校の先生の役割ってなんだろう」というところについて、さまざまな見方、考え方がありうる。

言い換えれば、学校の役割や教員のコア業務は何なのかについて、揺れている。そこで、ここでは2つの視点、軸から考えてみたい。

1つは、学校の役割として、現在の水準・範囲を維持・拡大するのか、それとも縮小するのか。もう1つは、教員の役割を維持・拡大するのか、縮小するのかだ。学校の役割・業務=教員の役割・業務とは限らない。学校の役割は維持しつつも、教員以外のスタッフを充実させるなどして、教員の仕事は減らすという選択肢などもある。

例示すると、次の図のように4象限考えられる。

Ⅰは、学校の役割も教員の役割も、維持または拡大していくものだ。例えば、「個別最適な学び」などと呼ばれているが、個々の児童生徒の特性や習熟度、関心などに応じて、学びをカスタマイズしていく方向は、今後いっそう重要となるだろう。併せて、探究や協働的な学びを教員が企画して、実施していくことも引き続き重要だ(企画でも実施でも企業や地域などと連携・協働することは多々あろうが)。

また、おそらく日本の学校で弱いのは、子どもの意見表明や子どもの学校運営への参画だ。例えば、修学旅行や運動会・体育祭を児童生徒が企画していくといった活動も、もっと増えていくとよいのではないだろうか。

これら以外もあるだろうが、働き方改革だと言っても、カット、カットばかりではなく、よりリソース(人手や予算、時間)をかけていくことも考えるべきだ。

Ⅱは、学校の役割は縮小しつつも、教員の役割は維持する方向のもので、あまり該当例はない。1つ思い浮かぶのは、部活動の地域移行(地域展開)したあとで、引き続き学校の先生が兼職して従事するような場合は、教員の業務は大して減らないので、Ⅱに該当する。

Ⅲは学校の役割も、教員の役割も縮小していく「撤退戦」をやる領域である。前述のとおり、授業時間の一部を、個々の先生が手作りでやっていくのではなく、ネット上のコンテンツやAIによる支援などを活用していく。近い例としては、すでに高校の一部では、教員による放課後の補習を減らし、学校は自習室や図書室を開放するなどしたうえで、生徒はアプリなどで自習している。

ほかにも、このⅢの領域には、たくさんの業務が思いつく。例えば、教職員の勤務時間の前に子どもが登校していて、実質的に見守りを先生たちがやっているわけだが、これは保育園でいうと延長保育に近い。自治体負担で朝の学童保育などをしていくべきではないだろうか。

関連して、財務省も英国の例を参考に、もっと学校や教員から仕事を切り離せと提案しているのは、このⅢの業務でいま教員がやっていることはたくさんあるからだ。前述した掃除なども、賛否はあるが、私はアウトソーシングでよいと思うのでⅢに入れた。

Ⅳは、学校の役割は維持・拡大しつつも、教員がやることは減らしていく方向のもの。これもいろいろある。例えば、給食指導というのは、小学校の先生に聞くと、もっとも難易度が高い仕事の1つだ。誤飲リスクやアレルギー対応もあって、命にかかわりかねない。やけどなどの事故もある。美味しい給食は楽しい時間である一方で、児童同士でトラブルのもとにもなりやすい。

小学校教員から見れば、給食をボランティアなどに任せるのは考えにくいことだ。だが、これは教員免許が必要な業務ではないし、上記のとおり難易度は高いとはいえ、教員以外でもできないことではない。

私は、こうした給食時の支援なども含めて、教科学習ではないところは、生活支援、生徒指導専門スタッフを日本でも設置・配置していくべきではないかと思っている。学習の評価に関わらないところで支援する大人がいたほうが(「ななめの関係」と言われる)、子どもも話しやすい場合もある。

また、中学校と、とりわけ高校で重たいのが進路指導だ。だが、高校教員が就職などの相談にのるなどしても、必ずしもさまざまな仕事に詳しいわけではないし、キャリアコンサルの専門性が高いわけでもない(学校の先生しかやっていない人も少なくないし、多少民間経験などがある人もいたとしても、その程度の経験で生徒の就職支援がうまくいくとも限らない)。

似た話として、精神的につらい保護者に寄り添って話を聞くといったことも、今は事実上、学校の先生が一部やっているが、教員はカウンセラーではない。こうした相談支援業務の多くも、もっと専門職と分業していくべきだ。

ここでは書き切れないが、この2軸で分類しにくい業務もある。一例をあげれば、いじめ対策がある。私は、家庭の管理下のいじめ問題も学校に持ち込まれている現状は変えたほうがよいと思っている。つまり、学校と教員の役割の縮小だ。同時に、学校が認知したいじめ問題の対応が遅かったり、重大事態として認定しなかったりする問題には改善が必要だ。これは学校と教員の役割を拡大、もしくは生徒指導の専門職を入れることなどが考えられる。

実現可能か?という批判はまっとうだが、絵を描く意味もある

ここで述べたことは、各論、具体論になればなるほど、賛否両論あると思う。また、「絵を描くのはいいが、本当にできるのか?」「分業しろと言われても、そんな人はいないよ」という疑問、反論が学校現場からも聞こえてきそうだ。

とはいえ、ここ数年の文科省などの政策をみても、「働き方改革は一丁目一番地」「残業時間(時間外勤務時間)を削減する」などとは言いつつも、ビジョンと具体方針(戦略)が十分に描けていない部分があったのでは、と思う。

「学校は何をするところなのか」「教員のコア業務は何なのか」などの将来像について、具体的な業務まで落とし込んで再設計して、必要な人材の育成や予算獲得のためのロードマップを描く必要がある。

そこには官僚だけでなく、政治家の役割も大きいと思うし、学界などももっと提言したほうがよいと思う。次期の学習指導要領の検討でも、各教科の細かな部分の改訂や学習評価の方法などに終始せず、そもそも「学校はどこまで何をするの?」というところから深めてほしい。

(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)