毎年8月になると、多くの日本人がアジア・太平洋戦争のことを思い出す。とりわけ、今年は大人気のNHK朝ドラ「虎に翼」でも描かれているので、あの戦争は何だったのかと、改めて考えた方も多いのではないだろうか。

そこで今回は、太平洋戦争を扱った1冊の書籍から教育行政や学校教育の実情を考えたい。戸部良一ほか(1991)『失敗の本質:日本軍の組織論的研究』(中央公論新社)だ。とても有名なロングセラー本で、政治家や経営者にはこの本を「座右の1冊」とする人も多くいる。初版は1984年で、40年前のものだが、こんにちにもとても参考になる。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年に独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー。主な著書に『校長先生、教頭先生、そのお悩み解決できます!』『先生を、死なせない。』(ともに教育開発研究所)、『教師崩壊』『教師と学校の失敗学』(ともにPHP)、『学校をおもしろくする思考法』『変わる学校、変わらない学校』(ともに学事出版)など多数。5人の子育て中
(写真は本人提供)

われわれは何を目指しているのか…あいまいな戦略目的

『失敗の本質』で、日本軍の失敗の要因として最初に指摘されているのは「あいまいな戦略目的」についてだ。戦略ないし作戦の明確な目的がなければ、軍隊という大規模組織をバラバラに行動させることになりかねず、それは致命的な欠陥になる。

読者の皆さんにとっては、「何をそんな当たり前のことを」と思われるかもしれないが、この問題を日本軍はあちこちで起こしている。太平洋戦争のターニング・ポイントとなったミッドウェーの戦いでもだ。

ミッドウェー作戦の主眼とするところは、ハワイ奇襲で撃ちもらした米太平洋艦隊の空母群を補捉撃滅することであった。(中略)つまり、この作戦の真のねらいは、ミッドウェーの占領そのものではなく、同島の攻略によって米空母群を誘い出し、これに対し主動的に航空決戦を強要し、一挙に捕捉撃滅しようとすることにあった。ところが、この米空母の誘出撃滅作戦の目的と構想を、山本(引用者注:山本五十六連合艦隊司令長官)は第一機動部隊の南雲に十分に理解・認識させる努力をしなかった。
(中略)一方ニミッツ(引用者注:チェスター・ニミッツ米太平洋艦隊司令長官)は、場合によってはミッドウェーの一時的占領を日本軍に許すようなことがあっても、米機動部隊(空母)の保全のほうがより重要であると考えていた。そして、「空母以外のものに攻撃を繰り返すな」と繰り返し注意していたのである。
出所:『失敗の本質』pp.100-101

 

詳細は割愛するが、陸戦のターニング・ポイントであるガダルカナルの戦いでも、戦略デザインのなさと現状認識不足の問題が露呈した。日本軍は、米軍の反攻を想定も研究もできておらず、陸・海・空統合作戦がなされなかったのはもちろんのこと、戦力の逐次投入が行われた結果、敗戦を重ねていった。

さて、皆さんの学校や教育行政ではどうだろうか。約80年前の古臭い話と、笑って済ませられるだろうか。

学校は何のためにあるのか。個々の教育改革や取り組みの先には何があるのか。目の前の仕事は何のためなのか。たくさん重要なことがある中で、何を優先する必要があるのか。こうしたことが十分に共有されている、と胸を張って言える学校、行政は少ないのではないかと思う。

現に、学校のビジョンや経営計画については、ほとんどの校長が4月の職員会議などで説明しているはずだ。だが、覚えている教職員はおそらく少ない。美辞麗句や多少のキャッチフレーズを並べて、それっぽいことは書いているのだが、何を重視するのか、行動指針になっていないからだ。

「あれもこれも大事」と並べるだけでは仕事になっていない

文部科学省や中央教育審議会(中教審)にも申し上げたい。「学校はあれもこれも頑張れ」といった文書が多すぎないか。

「個別最適な学びと協働的な学びを充実させよ」、「不登校も急増していて、丁寧な支援やケアが不可欠だ」、「働き方改革も頑張れ」、「人は増やせないし、欠員(教員不足)状態な場合もあるが……」というのでは、最前線にある学校ではとても苦しい状態が続いている。

ろくな補給や援軍も送らず、ただただ精神論を振りかざしていた戦時中の大本営の時代と比べて、進化しているだろうか。

以上が、私の思い付きだけで申し上げているわけではないという証拠は、文科省や中教審の文書を検索してもらえれば、すぐに見つかると思う。例えば、次の文書をご覧いただきたい。

学校を取り巻く状況については、いじめ・不登校などの生徒指導上の課題への対応や貧困・虐待などの課題を抱えた家庭の児童生徒等への対応、インクルーシブ教育システムの理念を踏まえた発達障害のある児童生徒等を含む特別な支援を必要とする児童生徒等への対応、外国人児童生徒等への対応、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実と主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善、道徳教育の充実、小学校における外国語教育、一人一台端末環境を前提としたICT・教育データの利活用、STEAM 教育等の教科等横断的な学習の推進、進路指導及びキャリア教育への対応、学校安全への対応、幼児教育と小学校教育の接続、小中一貫教育及び中高一貫教育等の学校段階間接続等への対応、保護者や地域との連携・協働体制の構築などが今日的に求められている。
出所:文科省「公立の小学校等の校長及び教員としての資質の向上に関する指標の策定に関する指針」(令和4年8月31日改正)

 

まず、一文が長すぎる。文章のわかりやすさは横に置いておくとしても、ここから見えてくるのは、これほど日本の学校が扱っているもの、直面している事態は多種多様で多岐にわたるということ。そして、こんな大変な状況にある学校現場に対して、文科省や教育委員会からの支援も戦略も十分なものとは言えないということだ。

たしかに、いつの時代も、学校や教育をめぐってはさまざまな問題指摘がある。Aという問題も、Bも、Cも、Dも……たくさんの問題があるよね、とリストアップすることは比較的容易だろう。

しかし、これでは、すべて並列で列挙されていて、重要度の高いものから低いものも混ざりがちだし、相互の関係性も捨象されている。列挙されているものの時間的な順序関係あるいは要因間の因果関係がわからなくなっている。以前の記事で「要因列挙法」ではダメな理由は言及した。

リーダーがやるべきことは、「私たちの周りにはAもBもCも……大事なことは多いが、Eという背景・要因が多くのものに共通している根本がありそうだから、まずはEを何とかしよう」などと、方針と戦略を立てることではないだろうか。

簡単なことではない。「空母以外のものに攻撃を繰り返すな」と繰り返したニミッツ司令長官のようにはなかなかいかない。だが、美辞麗句や状況を並べ立てるだけでは事態は好転しない。

抽象的で「空文虚字の作文」、プランBもない

これに関連する指摘が『失敗の本質』にもある。

日本軍のエリートには、概念の創造とその操作ができた者はほとんどいなかった。個々の戦闘における「戦機まさに熟せり」、「決死任務を遂行し、聖旨に添うべし」、「天祐神助」、「神明の加護」、「能否を超越し国運を賭して断行すべし」などの抽象的かつ空文虚字の作文には、それらの言葉を具体的方法にまで詰めるという方法論がまったく見られない。
出所:『失敗の本質』pp. 287-288

 

自戒を込めて申し上げるが、学校や教育の話で言えば「働き方改革」、「DX」、「個別最適な学び」、「教師の資質・能力の向上」、「校長のリーダーシップ」などと抽象的に述べるだけで、具体に落とし込めていない組織、人は少なくない。お化粧を落とせば、「先生方、頑張ってくださいね」と言っているだけの施策や文書もかなり多いのではないだろうか。

日本軍が事実あるいは論理をもとにして戦略、戦術を十分に考えられていなかったことは、既定のプランでうまくいかないときの備えにも表れている。

インパールで日本軍と戦ったスリム英第十四軍司令官は、「日本軍の欠陥は、作戦計画がかりに誤っていた場合に、これをただちに立て直す心構えがまったくなかったことである」と指摘したといわれる。
日本軍の戦略策定が状況変化に適応できなかったのは、組織のなかに論理的な議論ができる制度と風土がなかったことに大きな原因がある。(中略)戦略策定を誤った場合でも、その修正行動は作戦中止・撤退が決定的局面を迎えるまではできなかった。ノモンハン、ガダルカナル、インパールの作戦はその典型的な例であった。
出所:『失敗の本質』p. 289

 

この箇所を私は、例えば、最近の大学入試改革の混乱にも似たことが言えるかもしれない、という思いで読んだ。記述式を増やしてセンター試験を大きく変革するぞというプランAの威勢は当初はよかったのかもしれない。

だが、改革の必要性はどこまであったのか。確かな事実認識に立脚したものだったのか。また、改革案のマイナス面や副作用、リスクをどこまで考えたか。そして、思い描いていたプランAが立ち行かないときの代替案、プランBはどこまで真剣に検討されていたのか。

最近の教員採用試験をめぐる動向にも、似た不安を抱く。採用試験の前倒しという手段がいつの間にか目的化されてはいないか。併願も可能な中、各自治体がバラバラに採用試験を実施する状況は変わっておらず、内定辞退が続出する自治体も出てきている。

議会などで追及されるため教育委員会、また文科省としても、何らかの対策を打っているとポーズは取りたいわけだし、一度始めたことを検証したり、やめるべきか再検討したりしようとはしない。

以上は『失敗の本質』から読み解ける教訓をこんにちの教育行政や学校教育の実情に「意訳」したことの一部で、ほかにもさまざまな気づきがある。夏休みはあとわずかだが、子どもに課す以前に、教育に関わる大人の課題図書として、いかがだろうか。

(注記のない写真:Graphs / PIXTA)