今年8月28日に文部科学相の諮問機関、中央教育審議会(以下、中教審)の特別部会は、学校の働き方改革などについて、緊急提言を出した。これを受けて、文部科学省は8月29日に大臣メッセージを発表するとともに、9月8日に取り組みの徹底を求める通知を全国の教育委員会等に発出している。
中教審が主張する取り組みはどんな内容なのか。そもそも、なぜそうした呼びかけをしているのか。はたして、意味のある取り組みなのだろうか。
私自身、中教審のこの部会の委員の一人として関わっているし、ここ数年、学校の働き方改革について数百件の講演や研修を担当してきた当事者でもある。以下では、私なりの視点からなるべくわかりやすく解説したい。とはいえ、妹尾は中教審を代表する立場ではまったくないし、文科省の役人でもないので、個人的な見立て、見解になることはご了承いただきたい。
大臣が直ちに取り組む
まず、文科大臣が出したメッセージを下記に掲載した(内閣改造で大臣は代わったが、基本的に内容は引き継がれるはずだ)。
「国が先頭に立って改革を進めます」「これまで以上に力強く教育予算を確保します」「国・地方自治体・各学校が行う業務の精選・見直しを国が率先して示します」など、かなり威勢のよい言葉が並んでいる。
「この言葉どおりになればいいな」と思うのと同時に、「だったら、なぜこの4~5年の間はできなかったのか」とも感じる。これまでの取り組みを真摯に反省することは重要だと思うが、とはいえ、文科省が学校の働き方改革について優先度を上げて取り組むという姿勢を見せていることは、いいことだと思う。
学校の先生たちからたまに聞くのは、一教職員が何か改善したくても、校長や教育委員会が消極的で進まない、という声だ。そういうケースには、この文科大臣メッセージを見せてみよう(それでも、できない言い訳ばかりが得意な人もいるが……)。
なぜ、緊急の提言、メッセージなのか
さて、どうしてこのようなメッセージ、また緊急提言という形になっているのだろうか。
さまざまな背景があるが、一つ大きいのは、深刻化する教員不足、講師不足である。教員志望をやめた大学生等も少なくないし、教員採用試験でも中学校・高等学校教員については、新卒の受験者数は減少傾向である(全国計)。また、どの校種でも、非正規雇用で不安定な職である講師を務めてでも、正規の教員を目指そうという人が少なくなってきている可能性が高い。
こうした教員志望者、講師志望者の減少の背景・要因もさまざまだが、大学生等への調査では、やはり、学校の過重労働、過重負担が問題視されているのは明らかだ。しかも、忙しすぎて、同僚などへ支援・ケアする余裕のない職場では、休職や離職も増えていく。残された人はさらに多忙になる。悪循環である。
先般公表された昨年実施の教員勤務実態調査でも、前回調査(2016年実施)よりも多少マシになっているとはいえ、依然として、民間などと比べても過重労働の教員はたいへん多いことが確認された。データが示すのは、教員人気の低下に歯止めをかけられるような現実ではなく、むしろ今後さらに人気が下がっていく可能性のほうが高く、見通しも不透明だ。
定年退職者数が多い時期は過ぎたという首都圏などの自治体では、これからの教員採用数は少なく済むかもしれない。しかも、少子化に伴い、学級数も減るので、必要な教員数は減っていく、というのが基本だ。
だが、特別支援教育に対するニーズが増えている。この傾向がいつまで、どの程度まで続くのかはわからないが、ここ10年余り教員需要を押し上げてきた。教職員の若返りが進む自治体では、産・育休を取る人も多いので、講師需要は高い。加えて、必要な教員数は、定年延長や再任用を受けてくれる人がどのくらいかによっても変わってくる。休職・離職者も、教育委員会の予想以上に増えている自治体もあると聞く。
学校の働き方改革が強く言われるようになってから、約4年経つ。出退勤の管理、部活動改革、留守番電話、行事の精選など、前進したことも少なくないが、まだまだというところも多い。教員人気を上げていくことができるかどうか、今はラストチャンスとも言える。
なぜ働き方を見直す必要があるのか?
次に、中教審の緊急提言、ならびにその取り組みを強く進めてほしいという文科省の通知について、見ていく。下の図は概要だ。
まず、具体策にいく前に注目してほしいのは、目的・理念のところだ。報道などでも、教育委員会が学校などへ説明するときでも、理念を飛ばしがちなのは大問題だ。目的への理解、納得度が高くないと、推進力は生まれない。
中教審の緊急提言ではこう書いている。
文章が長くてわかりづらいかもしれないが、要するに、なぜ働き方を見直す必要があるのかというと、1つは健康のためだ。逆に言えば、教職員の健康を犠牲にするような取り組みにはストップをかけていく必要がある。例えば、研究授業(授業を公開して、協議する活動)や学校行事等での過度な負担は、すぐにでも考え直してほしい。部活動で、大会などで勝ちたいからといって、休日返上で練習試合などを組みまくることは、教員の健康上でも、また生徒の健康や自由時間の確保のうえでも問題だ。
上記を引用した中で、「創造性を高め」とか「学び続け」とあるのも重要だ。先生たちが疲れて眠いままでは、仕事で創造性は発揮できないし、新しいことから学ぼうという気力もなくなっていく。家と学校との往復だけの毎日では視野が狭くなりがちだ。また、私の調査でもわかっているが、先生たちは子どもたちには「勉強しなさい、読書しなさい」と言っておきながら、自分たちの学習はたいへん「弱い」人も多い(拙著『教師崩壊』などを参照)。教員自身が探究できていなくて、どうして生徒の探究的な学びをサポートしていけるのか。
逆に言えば、現役の先生たちが、心身ともに健康で、ゆとりを持って子どもたちと接している。教育委員会や校長からの指揮命令や、やらされ仕事は少なくなり、自身やチームの創造・工夫が生きる、面白い仕事ができている。「今度はこんなことも学びながら、授業に生かしたい」と言う先生も多い。こういう状況になれば、教員人気も上がってくると思う(処遇の問題などを軽視してよいわけではないが)。
以上は、かなりかみ砕いた私なりの意味づけ、ストーリーだが、ぜひ各地の教育長や校長は、ご自身なりに理念を語り、教職員と共有してほしい。そこが第一歩だと思う。
肝心の中身は
今回の緊急提言ならびに文科省通知では、教育委員会がより積極的に取り組むべきことを強調している。例えば「学校給食費の徴収・管理に係る公会計化等を進めること」「警察においては、児童生徒の補導時等の一義的な責任は保護者にあることを踏まえた対応を図ること」「過剰な苦情や不当な要求等の学校だけでは解決が難しい事案については、教育委員会等の行政の責任において対応することができる体制の構築」「民間企業向けクラウドツールの転用による校務処理の負担軽減を図る」ことなどだ。
これらは、教員の時間的な負担だけでなく、精神的なストレス軽減にも寄与する。現状では、進めている自治体とそうではない自治体との差がどんどん広がっている。
また、報道などでも注目されていたが、国が定める標準授業時数(年間この授業時間は確保してねという基準)を大幅に上回っている学校は、今年度途中からでも見直してほしいことを明記している。これは、校長の権限で変更可能だが、教育委員会の中には、学力テストなどの順位を気にするあまり、学校に授業時間を増やすように「指導」しているところもある。教育委員会の施策と姿勢を変えるべきことでもある。
もちろん、各学校が進めることも多い。例えば、提言ではこう書いている。
ややキツイ言い方だとは思うが、コロナが5類になったのだからということで、保護者や地域からの要望はあるかもしれないが、過度な準備や派手なパフォーマンスを競うような学校行事はやめましょう、ということだ。
「提言」あるいは「通知」という意味
ところで、中教審の「提言」や文科省から教育委員会への「通知」というのは、やったほうがよいですよというお勧め案であって、法的な強制力は何もない。意地の悪い言い方をすれば、「紙切れ一枚で何が変わるというのか」という見方もできる。
実際に2019年に中教審で働き方改革の答申が出て、その後、文科省は教育委員会に何度も働き方改革を進めるように通知を出しているが(今回の緊急提言や通知でも過去に呼びかけてきたことの焼き直しのものもかなりある)、前進したものもあれば、ほとんど無視されているものもある(「答申」というのはそれなりに重みはあるが、やはり強制力はないのは同じ)。
じゃあ、意味がないのか、と言われれば、どうだろうか。評価、見方が分かれるところかと思うが、今回の「紙切れ」を使うも使わないも、その人、その組織次第なところはある。
学校での働き方を正常化していくためには、学校や個々の教員の努力や意識改革だけでは限界があるし、文科省の施策だけでも無理がある。例えば、「教員数を2倍にすれば解決するじゃないか」と言う現役教員や評論家がたまにいるが、どこに財源と人があるのだろうか。教職員定数の改善もとても重要だが、それだけで解決するものではない。
文科省はよく「総力戦」という言葉を使っている。国民に多大な犠牲を強いたあの戦争中の言葉を、政治家や官僚が気軽に使うのはいかがなものか、と私は感じるが、国、自治体(教育委員会)、学校それぞれができることをやっていくしかない、ということは真実だと思う。
また、ラストチャンスかもと述べたが、家庭や社会も理解を示し、賛同できることは応援してほしい。例えば、下校途中に公園で小中学生が騒いでいる。うるさいという苦情がなぜか学校に来て、教頭や生徒指導の先生が謝ったりする。しかし、これは学校管理外のことなので、家庭責任の領域だ。学校が対応する問題ではない。
学校行事の一部や日頃のコメント、通知表などは今後もっと簡素になっていくかもしれない。部活動も一部は閉めざるをえないかもしれない。学校と教員の業務を一部は減らしていかないと、本当に必要なところに時間も頭も使えない。
これまで保護者などの反対が出てくる可能性のあることには、多くの校長らは遠慮がちだった。だが、昨今の情勢を見ると、もはやそういう段階ではないと思う。今回の大臣メッセージや緊急提言などで、いいと思ったところは、多くの人で共通認識を持って、進めてもらいたい。
(注記のない写真:東洋経済撮影)