投稿者:宮野亜香里(仮名)
年齢:30代前半
居住地:首都圏
勤務先:公立小学校(退職済み)

「前任者を何人も病院送りにしている先生」と組むことに

宮野さんが教員を辞めた理由は、表向きには「家庭の都合」だ。だが「やはり息切れ気味だったのだと思います。退職を決意したときにはホッとした気持ちになりました」と当時を振り返る。東京都内で約10年、小学校教員として勤めた。やりがいもあったが、とくに若手の頃は負担が大きかったと語る。

「授業以外の雑務、時間外勤務は若手がやるのが当たり前のこと。翌朝の出勤がどれだけ早くても、0時前に寝たことは教員生活の中で一度もありませんでした」

若手の頃の理不尽な思い出を挙げればキリがない。例えば、運動会の前日に雨が降ったことがあった。「開会前に、校庭の水たまりをスポンジで吸わなければいけない」という話の後、ベテラン教員は若手教員を集めて「わかってるよね?」と言った。そして学校の鍵のありかを告げた。つまり早朝に来て自分たちで開錠し、校庭の作業をしろということだ。鍵を持ち帰ることは禁止されているが、この伝え方なら、万が一鍵の持ち出しが問題になっても、若手教員が勝手にやったことだと言い訳できる――とみるのは、うがちすぎだろうか。ともかく、集められた教員の一人が鍵を持ち帰り、翌朝は5時前に学校に集合した。始発電車では間に合わないので、宮野さんもタクシーで向かったという。もちろんタクシー代は自腹だ。

またその学校では、20代の若手教員が子育て中の教員の補佐をすることが常態化していた。

「若手教員が2人分の仕事をしてフォローするのが当たり前。『ごめんなさい』と言いながら先に帰っていく先生も肩身が狭そうで気の毒でした。でも一方で、自分のようにいくらでも働かせられる教員と組まないと仕事が成立しないのはおかしいんじゃないか、もっと多くの教員が子育てをしていたら回らないなと、当時から疑問を抱いていました」

女性教員はとくに、働き方が強く制限されると宮野さんは感じていた。

「私生活をなげうつような働き方は20代でしかできませんが、そうしなければ経験が積めない。30代になって仕事がわかってきたところで、若手の助けを借りる形で子育てに入る。こうした流れに自分を当てはめることでしか、女性教員が仕事を続ける道はないのかなと」

(写真:Graphs / PIXTA)

宮野さんは在職中、数カ月の休職を経験している。原因は主に先輩教員のパワハラだった。

「前任者を何人も病院送りにしている悪名高い先生とペアを組むことになったのです。事前にほかの先生にも相談しましたが、『こういうことは断るものではない』と言われました。でも実は、ほかのベテラン教員たちはこっそりと管理職に嫌だと伝えていた。結局、私が組むしかなかったのです」

先輩教員は、宮野さんのことをほかの教員の前で頻繁に叱責した。「向いてないよ」「辞めたほうがいいんじゃないの?」など、もっとひどい暴言もあった。一緒に取り組んでいたはずの仕事でのささいなミスを「お前の責任」「段取りが悪いからだ」と言われ、教室にやって来ては「汚い」「ガサツ」などあら探しをされた。初任校には一定期間在籍すべしという暗黙のルールの下、宮野さんは逃げ場のない状態で働かざるをえなかった。

診断書をもみ消し「もっとスルースキルを」と言う管理職

文部科学省によると、2021年度の教育職員の精神疾患による病気休職者数は5897人と過去最多だった。当時の宮野さんの周囲にも休職する教員は多く、そのほとんどが同僚など職場の人間関係に悩んでいたという。

「子どもや保護者のことで悩んでも、それを理解し、手助けしてくれる同僚がいれば乗り越えられると思うのです。実際に、学級崩壊に近い状況に陥っても、ほかの教員が『この時間は見てあげるよ』『大変だね』と寄り添ってくれたから、何とか1年間やり切ったという先生を知っています。でも私の職場では、何かあれば先輩教員にも責められ、人格否定をされるのが当たり前でした。暴言を吐かれているとき、周囲の教員が何も言ってくれないことも非常にこたえました」

やがて体調に異常が出始めた宮野さんは病院へ行き、適応障害の診断を受ける。診断書には原因として「パワハラ」という記載があったが、それを見ても管理職は動こうとしなかった。

「好きなだけ休んでいい、と言われただけでした。『もっとスルースキルをつけたほうがいい』とも。診断書ももみ消され、どうなったのかわからないままです」

宮野さんは自分のためだけに診断書を出したのではなかった。このままでは必ず同じ目に遭う人が出るし、とくに若い教員が辞めてしまっては取り返しがつかない。「パワハラ」という文言のある公的書類は、具体的な対策のきっかけになるのではないかと思ったのだ。だが宮野さんが復帰したとき、管理職は得意げに「あの問題のある先生は、ほかの学校に飛ばしておいたから」と言った。その教員はほかの学校で同じことを繰り返しているだろう、と宮野さんは推測する。

「教員同士のいじめやパワハラが起こらない学校は、管理職が強い傾向にあると思います。よくない行動を取る教員を、管理職がきちんと注意することができるからです。そうした意味で、その人は問題をなあなあにしてしまう弱い管理職でした。また、雰囲気が悪い学校には『ダメ出しの文化』が根付いているように思います」

宮野さんの学校では、若手教員が先輩の話を聞いて学ぶ研修が定期的に行われていた。あるとき先輩教員が出席できず、若手教員だけで話し合ったことがあった。すると「わずか1、2歳差の教員たち」が、いちばん若い教員の不足をあげつらい始めたという。

「自分たちがされてきたことをしてしまうので、相手に寄り添って共感することができないのだと思います。それぞれにストレスがあったのだと思いますが、結局、そのときダメ出しをしていた先生たちも、みんな教員を辞めてしまいました」

余裕があるはずのベテラン教員たちも、同僚を褒めたり支え合ったりすることはないように見えた。保護者や子どもにも好かれており、宮野さんがとても優秀だと思っていた教員がいた。その人に「名前をもじっておとしめる幼稚なあだ名」をつけて聞こえよがしに悪口を言い、その人が話せば嘲笑し、徒党を組んで退職に追い込んだのは、主幹や主任クラスの教員たちだったという。

「教員をいじめる教員は、子どもとの向き合い方も決していいとは言えませんでした。子どもを容姿で判断したり、保護者の陰口を言ったり。『あの子、前から気に食わなかったんだよね』なんて笑いながら話しているのも聞きました」

自分もあの教員たちのようになっていくのかという恐怖

若手ゆえの激務に追われていた宮野さんの悩みは、教員になって3年ほど経った頃からベクトルが変わり始める。仕事に慣れてくると同時に、異常だと思っていた「当たり前」を、自分が徐々に受け入れていることに気がついたのだ。

例えば宮野さんの後輩教員が、「これって違法じゃないですか?」などと言ってくることがあった。ベテラン教員の理不尽を訴えてくることもあった。宮野さんは「後輩の言っていることが正しいのはわかっているし、自分もそう思っていたはず」なのに、「そうなんだけどやるんだよ、そういうものなの」と説得する側に回ってしまう。また、できることが増えてくると、自信がつく反面、できない若手への共感が薄れていくのも感じていた。

「最初はできなくて当然なのに、『なんでできないの?』『声かけが足りないんじゃないの?』など、自分が言われてきた言葉が脳裏をよぎってしまうのです。もちろん言わないようにはしていましたが、自分もあの教員たちのようになっていくのかと思うと怖くなりました」

懸命に若手教員に寄り添うことを心がけていたが、彼らに「話を聞こうか?」と言えば、出てくるのは授業や子どもたちの話ではなく、先輩教員への不満ばかりだった。宮野さんは、なぜ若手が育たないのかを突きつけられる思いだったという。

それでも今、退職から数年が経ち、宮野さんは再び学校に戻る日を夢見ている。退職する少し前には、職場の環境がかなりよくなっているのを感じていたからだ。働き方改革の効果で、自分の時間が増えていた。教員の若返りや新陳代謝も進み、仕事の効率化も進みつつあった。何より、学校に配置されたSSS(スクール・サポート・スタッフ)が宮野さんの仕事を一変させたという。

「印刷や採点などを補助してもらうだけで、こんなに肩の荷が下りるんだと感動しました。教員になってから初めて、本当にやりたかった授業を実践する余裕ができた。『ああ、教員って楽しいな』と思えたのです」

その気持ちをぜひ、多忙に苦しんでいる教員にも味わってほしい。そのために、自らもSSSとしての学校復帰も視野に考えているそうだ。宮野さんは、今も変わらず教員という仕事が大好きなのだろう。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:mits / PIXTA)

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