余裕があるはずのベテラン教員たちも、同僚を褒めたり支え合ったりすることはないように見えた。保護者や子どもにも好かれており、宮野さんがとても優秀だと思っていた教員がいた。その人に「名前をもじっておとしめる幼稚なあだ名」をつけて聞こえよがしに悪口を言い、その人が話せば嘲笑し、徒党を組んで退職に追い込んだのは、主幹や主任クラスの教員たちだったという。
「教員をいじめる教員は、子どもとの向き合い方も決していいとは言えませんでした。子どもを容姿で判断したり、保護者の陰口を言ったり。『あの子、前から気に食わなかったんだよね』なんて笑いながら話しているのも聞きました」
自分もあの教員たちのようになっていくのかという恐怖
若手ゆえの激務に追われていた宮野さんの悩みは、教員になって3年ほど経った頃からベクトルが変わり始める。仕事に慣れてくると同時に、異常だと思っていた「当たり前」を、自分が徐々に受け入れていることに気がついたのだ。
例えば宮野さんの後輩教員が、「これって違法じゃないですか?」などと言ってくることがあった。ベテラン教員の理不尽を訴えてくることもあった。宮野さんは「後輩の言っていることが正しいのはわかっているし、自分もそう思っていたはず」なのに、「そうなんだけどやるんだよ、そういうものなの」と説得する側に回ってしまう。また、できることが増えてくると、自信がつく反面、できない若手への共感が薄れていくのも感じていた。
「最初はできなくて当然なのに、『なんでできないの?』『声かけが足りないんじゃないの?』など、自分が言われてきた言葉が脳裏をよぎってしまうのです。もちろん言わないようにはしていましたが、自分もあの教員たちのようになっていくのかと思うと怖くなりました」
懸命に若手教員に寄り添うことを心がけていたが、彼らに「話を聞こうか?」と言えば、出てくるのは授業や子どもたちの話ではなく、先輩教員への不満ばかりだった。宮野さんは、なぜ若手が育たないのかを突きつけられる思いだったという。
それでも今、退職から数年が経ち、宮野さんは再び学校に戻る日を夢見ている。退職する少し前には、職場の環境がかなりよくなっているのを感じていたからだ。働き方改革の効果で、自分の時間が増えていた。教員の若返りや新陳代謝も進み、仕事の効率化も進みつつあった。何より、学校に配置されたSSS(スクール・サポート・スタッフ)が宮野さんの仕事を一変させたという。
「印刷や採点などを補助してもらうだけで、こんなに肩の荷が下りるんだと感動しました。教員になってから初めて、本当にやりたかった授業を実践する余裕ができた。『ああ、教員って楽しいな』と思えたのです」
その気持ちをぜひ、多忙に苦しんでいる教員にも味わってほしい。そのために、自らもSSSとしての学校復帰も視野に考えているそうだ。宮野さんは、今も変わらず教員という仕事が大好きなのだろう。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:mits / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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