若村和裕(仮名)
年齢:40代前半
勤務先:公立小学校
「子どもにしか忖度しない」、最高の校長との出会い
中学・高校の6年間は「あまり楽しく過ごせなかった」と語る若村さん。教員を志したのは、大学で気心知れた友人たちと充実した学生生活を過ごしたことがきっかけだったが、そのベースには小学校時代の思い出があったという。
「小学校時代の楽しい記憶があったからこそ、大学で『また友達を作りたい』と思えました。自分も、今の子どもたちの心の拠り所となるような小学校生活を送らせてあげたいと感じました」
就職活動での自己分析も踏まえて、本格的に教員を目指すことを決意。教職をとっていなかったため、一度は民間企業に就職したものの、働きながら教員免許の取得に挑戦した。
同時に、とにかく学校で働きたい一心で学校用務員などの求人にもエントリーしていたという。その執念が実り、まずは特別支援学級の介助員として働くことになった若村さん。「先生」としての日々をスタートさせながら、教員免許の勉強も両立し、無事に小学校の教員免許を取得。ほどなくして正規の教員となった。
それからの日々は「充実したものだった」と若村さんは振り返る。とくにICT教育が流行し始めたころに勤めた学校では、「師」とも呼べる校長との出会いがあった。
「当時はタブレット端末を活用した学習を推進する機運が高まっていましたが、まだ『端末活用のために無理やり使っている』ような状況で、正直うまく進んでいませんでした。そこで、校長から『とにかくどんどん使ってみてほしい』と、ICT担当のような役割を与えられました」
校長のスタンスのおかげで気兼ねなくトライアンドエラーを繰り返せたことで、学習にどのように組み込めばよいか、失敗例から学びを得ながら活用促進に取り組み、一定の成果を上げることもできた。
「ほかにも、印象的だった取り組みはたくさんあります。例えば、担任を一定期間ごとに入れ替える『担任シャッフル』や、『同じ学年は2度と担任しない』というルール。子どもたちにとっては知っている先生が増えるため、学校での心理的安全性が高まるというメリットがあります。
もちろん、担任にとってはものすごく負担のかかる施策です。ただ、校長は普段からよく『子どもにしか忖度しない』と口にしていました。 “すべての児童をすべての教員で育てる”という考えのもと、裏を返せば『人間同士なのだから相性があるのも当然』という考えでいてくれたことは、教員にとってもありがたかったと思います。
実際、教員も他のクラス運営に触れることで新しい発見があり、学び続けるきっかけになりました。年度の終わりになると、教員たちからの反発も減り、プラスな反応が増えていましたね。数年間で学校全体の様子もだいぶ落ち着き、楽しそうに登校する児童も増えました。有言実行で、子どものためになることをしっかりとやりきる校長の姿には、胸を打たれました」
次なる赴任校で感じた違和感と、不遇な“担任外し”
次の赴任校が決まったとき、若村さんの頭をよぎったのは「次の校長も、こんな人だろうか?」ということだった。ICT活用の後押しや、児童の学校生活の質向上など、校長の存在が学校運営に大きく影響することを身をもって感じていただけに、大きな不安があった。
そして、その不安は的中することになる。次の学校に着任した時期は新型コロナウイルスが猛威をふるっており、感染状況を鑑みて一斉休校や行事の中止・変更など手探りで学校やクラスを運営しなければならなかった。
「コロナ禍は各学校で少しずつ方針の違いが出ていました。そこで私は、運動会を実施した学校の事例を参考に資料を作成し、『こうすればうちも運動会を開催できるのでは』と校長に提案したのです。結果、その年は2学年のみの運動会を実施。競技種目の選定は、下の学年を考慮しながら上の学年が決めるなど、子どもたち主体の体制も工夫して、無事にやりとげることができました」
しかし、そんな児童主体の運動会も、コロナ禍が収束するとあっさり従来の運営に戻ってしまった。そして若村さんは校長から、「算数少人数(※)」担当への変更を言い渡される。「担任を持つこと」に何よりやりがいを感じていると公言してきたにもかかわらず、いわゆる「担任外し」にあったのだ。
(※)少人数での指導が効果的とされる算数の授業時のみ、児童を通常のクラスよりも少ない人数に分けて個別に指導する
「当時の校長はICTの導入にも消極的でした。私の資料やプレゼンが及ばなかった点もあったのでしょうが、とくに運動会の事例など、保護者の期待に忖度しすぎるあまり、前任校に比べて子どものためになりそうな変化も起こしにくい環境でした。その中で、私がある意味“干された”のは当然だったのかもしれません」
若村さんはその日に退職の意向を固め、家族にも理解を得たうえで臨任教員の道を選んだ。
校長への「逆質問」で、自分の教育観とのギャップを測る
若村さんの勤務エリアには、臨任教員としての勤務を望む人が募集のある学校を検索して、学校とコンタクトをとれるシステムがある。若村さんもこれを活用し、産休代替として勤務できる小学校を探してきた。校務分掌は通常の教員と変わらず、担任はもちろん、希望して学年主任を任された学校もあったという。待遇面で正規に及ばない部分はあるものの、業務内容で差がつくことはなかったようだ。
面接では「担任を持ちたい」という希望を伝えるだけでなく、若村さんはこれまでの「学校は校長次第で変わる」という経験を踏まえて、あることを実施しているそうだ。
「校長先生に、『どのような学校にしていきたいか』というビジョンや考えを直接聞くようにしています。とくに『校内研究』の内容は学校の方針を推察しやすいので、自分と学校の教育観が合っているかどうかのいい判断材料になります」
ほかにも、学校が現代化されているかの指標の1つとして「タブレットの活用状況」を確認したり、学校側が「こういうことができますか」「この実践をしてくれますか」と既存のやり方に過度にはめようとしてこないかなどを確認しており、若村さんは「こちらも学校を面接しているような感覚です」と話す。
面接の内容によっては採用を辞退することもあり、自分とマッチする学校に出会うのはなかなか難しいそうだ。
「例えば、ひとくちに『楽しい学校』といっても描く絵はいろいろです。鉄道の線路のように、教員がしっかりとレールを敷いて、その上を子どもたちが安心して歩いてゴールできることを『子どもにとって楽しい』と考える人もいれば、船の航路のように、ゴールまでの道のりを状況によって変えながら、そこに安心できるサポートがあることを『子どもにとって楽しい』とする人もいます。
何校か経験してみて、お互いが思い描く絵を知らなければ、自分の教育観と合う学校を見つけることも、学校を変えようとすることもできないのだと実感しました。校内で教員同士の対話時間が増えれば、同僚や校長もまじえて深いコミュニケーションができそうなのに、やるべきことが詰まりすぎてそうした時間が取れないのも問題だと感じます」
自分で勤務先を選択する、という働き方
若村さんは、勤務先や働き方を「自分で選べる」という理由で、あえて臨任教員としての勤務を選択している。プライベートとのバランスも考えて、通いやすい地域から学校を選べることもメリットだ。
「腰を据えて働きたい人や、長年同じ学校で働くことが苦にならない人にとっては、あえて臨任教員になる必要はないかもしれません。しかし、1年でリセットできるのがよい切り替えになるケースもあるでしょうし、いろいろな事情で働き方に制約がある人もいるでしょう。そうした教員にとってもいい選択肢だと思うのです。『担任がやりたい』『専科がやりたい』などの要求はしてみることをおすすめします。たしかに待遇面は正規の教員より下がりますが、それもこうした要求や“選択の自由”を得ているからだと、私は捉えています」
もちろん、若村さんの教育に対する熱意や心構えは正規教員のときと変わらず、真正面から子どもたちと向き合っている。
「自分の人生、何を大事にするか考えることが大切です。今になって感じるのは、正規教員の頃は無意識に『いろいろなものを背負っていた』ということ。知らぬ間に校風やしきたりに縛られて、自分の信じる教育を実践できていませんでした。ほかにも、通勤時間の長さや育児との両立に疲弊して学校を去らざるを得ない教員がいることにはもどかしさを感じます。選択肢は『辞める』か『しがみつくか』の2択ではありません。まずは教員自身が元気であることが大切ですから、臨任教員になるという選択肢がもっとポジティブに広まればいいなと思っています」
正規教員から臨任教員へーー。若村さんは、より自分を活かせる働き方を求めてこの道を選んだ。臨任教員は決して消極的な選択ではなく、自分の理想や教育理念と合致した職場で働くことができる、そんな魅力的な選択肢として捉え直すこともできそうだ。
(文:藤堂真衣、注記のない写真:SoutaBank / PIXTA)