年齢:40代
勤務先:公立高校(退職済み)
テストもまともに受けない…荒れた工業高校での“洗礼”
大学で研究を深めた後、通信制高校の非常勤講師として教育現場に飛び込んだ片桐さん。数年前、全日制の工業高校に赴任した。
「もともと、通信より対面のほうが教えやすいとは感じていました。また、生徒たちの進路選択のサポートをしたいという気持ちもあったため、資格取得の指導などでより貢献できそうな工業高校で働くことにしました」
赴任した工業高校は、地元でも知られた困難校。片桐さんを待ち受けていたのは、向学心が全くない、いわゆる「不良」といわれる生徒たちだった。
「たとえば重要なテストであっても、試験中に教室を出て行ったまま戻らず、トイレでスマホをいじり続けてしまう生徒や、『考えても意味ないから』と早々に居眠りをする生徒が当然のようにいました。学ぶためではなく友達に会いに登校している生徒が多いと感じました」
はなから学ぶ気がない生徒に加え、片桐さんが胸を痛めたのは“この学校にしか来られなかった生徒“の存在だった。
「現行の制度では、中学校で不登校を経験すると内申点が極度に低くなってしまいます。そのため、学力があっても進路選択の幅が狭まり、この学校に来ざるをえなかった生徒もいました。また、家庭環境があまりよくなく、就職を見据えた選択しか許されなかった生徒もいます。その生徒はかなり頭の良い子でしたが、親から経済的に搾取されており、すぐ就職するように言われたそうです」
犯罪行為に手を染める生徒、対応に追われ疲弊する現場
この高校では、学園ドラマもかくやという出来事が数多く起こった。学校周辺での喫煙や近隣店舗での迷惑行為に始まり、ときには万引きなどの犯罪で警察沙汰になる生徒もいて、対応に追われる担任教員を見かける日も少なくなかったという。
「校内には、素行の悪い生徒たちのたまり場があり、反社会的勢力とのつながりを匂わせる生徒もいました。あるときを境に見かけなくなった生徒が気づいたら退学していたなんてこともしょっちゅうで、卒業時の人数が、入学時と比べて半数弱にまで減った学年もありました」
アルバイト感覚で、詐欺や強盗の片棒をかついだり、売春などの犯罪行為に手をそめている生徒もいたのではないか、と片桐さんは語る。臨時的任用教員として赴任した年、片桐さんが例の「たまり場」を通りかかると、そこにいた女子生徒から“お散歩”に誘われたのだという。
一時期世間を騒がせた「JKビジネス」。隠語として、女子高校生との疑似デートを「お散歩」と表現する事業者もあったが、今思えば、あの女子生徒は自分を客にしようとしていたのではないか、と片桐さんは振り返る。

学校として、これらの問題行動に手を打つことはなかったのか。片桐さんによると、当時の勤務校は教員間での情報共有ネットワークがほぼないに等しく、生徒の素行や校内での事件が伝わりにくい環境だったという。
「教員のグループが学年ごとや科目ごとにあり、とにかく縦割りが強固でした。グループごとに仲が悪く、例えば教室の窓の開閉ひとつとっても、『勝手に開けるな』とたしなめられるほどです。でも、もしここが初めての勤務校だったら、私も『そんなものか』と受け入れていたかもしれません」
こうした教員間の“溝”あるいは“対立”が浮き彫りになったのが、ある年に校内で起きた窃盗事件と、生徒の“いたずら”行為だ。
「実習のために教室を空けていたクラスで、机に放置された財布が盗まれたり、置いてある飲み物のボトルにゴミが入れられるなどの事件がありました。そこでやり玉にあがったのは、なぜか実習を担当していた工業科の教員でした」
工業科の教員にとってみれば、青天の霹靂ともいうべき事態だろう。自分のあずかり知らぬところで事件が起こり、その責任が自分に降りかかってくる――。
「もし、担任間で『近頃、校内で窃盗が起こっている』と共有があれば、管理徹底を呼びかけられますし、工業科の先生に伝えることもできたはずです。情報共有がされず、授業を持つ生徒たちがどのような素行かも知らされることなく、突然陥れられる……。教職の道を志して教員になったのに、教え導くこと以外に課せられる責任や、教務以外の業務が多すぎると感じました」
こうした空気を変えたくて、片桐さんも行動を起こそうとしたそうだ。だが、校内の雰囲気は想像以上に「これ以上手間を増やしたくない」「管理職に目をつけられるだけ」と後ろ向きで、諦めのムードが漂っていた。ほどなくして片桐さんも体調を崩し、現在では別の教育現場に籍を移している。
学校が、「学びたい子」のための場所であり続けるために
こうした環境で疲弊する同僚たちを目の当たりにし、自身も精神的に追い込まれていった片桐さん。生徒のケアとともに、同じレベルで教員のケアにも取り組んでほしいと強く願っている。
「異様ともいうべき環境で、メンタルが弱って退職した先生を何人も見てきました。形骸化したストレスチェックやカウンセリングだけでなく、必要な医療につながれる制度もあるべきだと感じます。また他の学校と比較して素行の悪い生徒が多く、犯罪に巻き込まれたり何らかのサインを見落としてしまうのを防ぐ意味でも、少年犯罪に詳しいプロのアドバイスを受けたり、その視点を養う機会があれば、教員の身を守ることにもつながるはずです」
学校側には、「情報共有の重要さを改めて認識してほしい」と片桐さん。生徒の個人情報が含まれるので難しい面もあるが……としつつも、最低限「校内で何が起きているか」「どのような対応をしたか」は、担当の科や学年にかかわらず全教員間で共有しなければならないと強調する。
こうした高校は、他に行き場のない子どもたちの「受け皿」として見られることも多い。だが、片桐さんはそうではなく、高校はあくまで「学びたい子のためのものであってほしい」と語る。
「不登校を経験したが、もう一度チャレンジしたい」「親の意見で工業高校に入学したが、就職より進学を目指したい」――。そんな思いをもった生徒が自分たちのもとで学び、生徒自身の力で立ち上がってゆく姿を、少ないながらも見てきたからだ。
「自治体の取り組みによって、小中学校でつまずいた子が学び直せる体制を整えている学校も増えています。無理に全日制にこだわる必要もないし、働きながら通える学校もあります。家庭環境によってはそうした選択が難しい場合もあると思いますが、子どもが学びたいと思ったときに学べる場を提供する、工業高校もそのサポートができる場であるのが理想です」
学校とは生徒の学びの場であり、未来へと歩んでいくための力をつける場だ。学びたい生徒と、それを助け導く教員。学校のあるべき姿を考えれば、教員間の派閥争いや足の引っ張り合いによって、生徒の学びや挑戦が損なわれることは決してあってはならないはずだ。
(文:藤堂真衣、注記のない写真:Graphs / PIXTA)