学校が、「学びたい子」のための場所であり続けるために
こうした環境で疲弊する同僚たちを目の当たりにし、自身も精神的に追い込まれていった片桐さん。生徒のケアとともに、同じレベルで教員のケアにも取り組んでほしいと強く願っている。
「異様ともいうべき環境で、メンタルが弱って退職した先生を何人も見てきました。形骸化したストレスチェックやカウンセリングだけでなく、必要な医療につながれる制度もあるべきだと感じます。また他の学校と比較して素行の悪い生徒が多く、犯罪に巻き込まれたり何らかのサインを見落としてしまうのを防ぐ意味でも、少年犯罪に詳しいプロのアドバイスを受けたり、その視点を養う機会があれば、教員の身を守ることにもつながるはずです」
学校側には、「情報共有の重要さを改めて認識してほしい」と片桐さん。生徒の個人情報が含まれるので難しい面もあるが……としつつも、最低限「校内で何が起きているか」「どのような対応をしたか」は、担当の科や学年にかかわらず全教員間で共有しなければならないと強調する。
こうした高校は、他に行き場のない子どもたちの「受け皿」として見られることも多い。だが、片桐さんはそうではなく、高校はあくまで「学びたい子のためのものであってほしい」と語る。
「不登校を経験したが、もう一度チャレンジしたい」「親の意見で工業高校に入学したが、就職より進学を目指したい」――。そんな思いをもった生徒が自分たちのもとで学び、生徒自身の力で立ち上がってゆく姿を、少ないながらも見てきたからだ。
「自治体の取り組みによって、小中学校でつまずいた子が学び直せる体制を整えている学校も増えています。無理に全日制にこだわる必要もないし、働きながら通える学校もあります。家庭環境によってはそうした選択が難しい場合もあると思いますが、子どもが学びたいと思ったときに学べる場を提供する、工業高校もそのサポートができる場であるのが理想です」
学校とは生徒の学びの場であり、未来へと歩んでいくための力をつける場だ。学びたい生徒と、それを助け導く教員。学校のあるべき姿を考えれば、教員間の派閥争いや足の引っ張り合いによって、生徒の学びや挑戦が損なわれることは決してあってはならないはずだ。
(文:藤堂真衣、注記のない写真:Graphs / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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