文部科学省は身体や知的、発達に障害を抱える子どもへの特別支援教育に力を入れているが、前編では教員不足のしわ寄せが特別支援教育の現場に偏っており崩壊している現場もあることを伝えた。

こうした特別支援教育を中学校まで受けていた生徒は、卒業後どう過ごしているのか。義務教育課程ではない高校には基本的に特別支援学級は存在しない。

しかし、近年は支援級にいた子や、本来は高校に入学できる学力や心身状態ではない生徒までが高校へ進学し、定時制高校を中心に高等教育の現場が“特別支援学校化”しているという。

公立の定時制高校で校長を務める大塚健太郎さん(仮名)は「かつては勤労青年が働きながら学ぶイメージがあった定時制高校ですが、現在は7〜8割が不登校経験のある10代の生徒です。そのほとんどが発達障害や知的障害、家庭に問題があってヤングケアラー状態になっているなど、何らかの困りごとを抱えています」と明かす。

“高卒”扱いにならない特別支援学校を避け、定員割れ高校へ進学

障害を抱える学齢期を過ぎた子どもの受け皿として、サポート体制が整った特別支援学校の高等部が存在するのに、なぜ特別支援学校ではなく高校へ進学しようとするのか。

「特別支援学校の高等部を卒業しても“高卒”扱いにならないからです。世の中のほとんどの求人が高卒以上を条件にしているので、子どもの意思や状態にかかわらず、高卒資格にこだわる保護者が少なからずいるのです」(大塚さん、以下同じ)

現在、定時制高校の数は606校、7万3331人の生徒が通う(文科省「令和7年度学校基本調査〈速報値〉」)。前年から生徒数は増加したものの、近年は学校数も生徒数も減少している。

「少子化の影響もあって定時制高校の多くが定員割れを起こしていますが、その場合は学力が著しく劣っていても、家から一歩も出られない状態でも、すべての入学希望者を受け入れなければなりません」

公立高校の入試で志願者が定員に満たなくても不合格となる、いわゆる定員内不合格が問題視されるようになり、原則として定員内不合格は行わないとする自治体は多い。それが、こうした傾向に拍車をかけているという。定員割れした他校では、目の動きでしか意思表示ができない重度の肢体不自由の生徒の入学を認めた例もある。

「エレベーターがない学校の場合は、教員が人力で対応しなければなりません。また、生徒本人や保護者が『修学旅行に行かせたい』と望めば、車いすやストレッチャーで運びながら連れていかなければなりません。対応できる設備も余力もない中で、教員が疲弊している例は全国各地で起きています」

意欲のある子に学びの場を確保するというと聞こえはいいが、設備が整っていなかったり教員の数が十分でなければ現場は苦しいだけだろう。

教員を追い込む“呪いの言葉”

こうした事例は一部だが、文科省の打ち出す“合理的配慮”によって、現在は高校でも生徒や保護者から要望があれば、試験問題を含むすべてのプリントの漢字にルビを振ることは当たり前だ。

さらに文科省が2024年、不登校の高校生がオンライン授業で単位取得できる制度を導入したことも、教員をますます苦しめているという。

「そういう生徒のために通信制高校という選択肢もあるはずなのにまったくの愚策です。ただでさえ教員は通常の授業や学校行事などで多忙です。それに加えてオンライン授業の準備にも追われ、パンク寸前です。文科省は『誰一人取り残さない学び』だと胸を張っていますが、呪いの言葉ですよ。たった一人の生徒を取り残さないために、残りすべての生徒を犠牲にしている。その結果、『誰一人救えない学び』に陥っているのが現状です」

大塚さんは、ほかにも教員が好んで使い、自らの首を絞めている呪いの言葉があると訴える。

「『生徒に寄り添う』という言葉も呪いです。確かに業務は多忙ですが、ずるずると長時間勤務している教員は少なくない。『時給換算したら200円を切った』と自虐的に笑いながら“生徒に寄り添う”ことに自己満足している教員もいます。お金や時間に対するコスト意識がなさすぎます。教員のエネルギーも時間も有限なのに、自分が頑張ればいいと無理を重ねて身体を壊してしまう。

しかも、明らかに負担が減る提案をしても、なぜか多くの教員が嫌がる。変化を極端に嫌うことに加え、根が真面目なので楽をすることに罪悪感があるのです。完全に思考停止しています」

高校で教えることは「アルバイトをしよう」

生徒のほとんどが何らかの問題を抱え、教員は呪いの言葉に縛られた高校では、いったいどんな教育を行っているのだろうか。

大塚さんは「『アルバイトをしよう』です」と単純明快に言い切る。高等教育の場で、勉強ではなく、働けというのは職務放棄に思えるが、大塚さんはそうではないと反論する。

「正直言って、まったく学習意欲がない生徒は少なくありません。中には家族に働いている人が一人もいない生徒もいます。保護者が病気で生活保護を受けている場合もありますが、単に働く気がないだけのことも多い。周囲に社会人のロールモデルがいないので、生徒はちょっとでも嫌なことがあれば、すぐに投げ出してしまう。だから、どんな仕事でもいいので、自分ができることを続けられる力を身につけさせることが重要です。それにはアルバイトを経験するのが一番です。極論を言えば、勉強なんかできなくてもいい」

一方で、生徒が生きる力を身につけられない責任は、教員にもあると指摘する。

「世の中的な風潮もありますが、生徒に寄り添っているつもりで『そのままの自分でいいよ』と言う教員があまりにも多すぎる。困りごとを抱えて、厳しいメンタルにある生徒の命を一時的に守らなければならない場面であれば仕方ありません。でも『やりたいことだけやればいい』みたいな状況がずっと続けば、そこから抜け出せません。子どもがチャレンジする機会を奪っているも同然です。そのままでいいわけがない」

高校までは“合理的な配慮”や“特別な支援”が受けられても、その後に配慮も支援も一切ない社会に飛び込んでいく子どもたちに対して、どんなケアができるのか。“特別支援学校化”した高校で、大塚さんが教員として模索し続けた答えが「アルバイト」だったという。

「保護者は『子どもが高校に入れてラッキー』と思うかもしれないが、学力も意欲もないのに3年間も高校に通うのは相当しんどいと思います。それよりも『社会に出てからどうするのか』という、その先の視点が欠けていませんか」

さらに、社会に対してもこう訴える。

「世の中も高卒資格やコミュニケーション能力を過度に重視していませんか。生徒の中にはコミュニケーションを取るのが苦手でも、一つの作業に根気強く打ち込める強みを持っている子はたくさんいます。『多様性』と言いながら、どんどん社会が画一化しているように感じます。これだけ出口が絞られると、もはや社会全体の問題だと思います。学校にできることには限界があります」

(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)

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