中学校の支援級の担任、臨任の割合は23.95%で多いが…

教員不足が問題になって久しいが、そのしわ寄せは特別支援教育の現場に大きく偏っているという。

2022年に文科省が初めて全都道府県・指定都市教育委員会に行った「『教師不足』に関する実態調査」によると、小学校の4.2%、中学校の6.0%、高校の3.5%で欠員が生じているのに対し、特別支援学校は11.0%と、ずば抜けて高い比率に達している(2021年5月1日時点)。

だが、特別支援学校から中学校の特別支援学級(以下、支援級)に異動し、現在は休職している教員の北沢幸雄さん(仮名)は「特別支援学校よりも支援級のほうがひどいありさまになっている」と悲鳴の声を上げる。

「特別支援学校でも4月のスタート時から欠員があるのは常態化していますが、それでも何とか回せています。しかし、支援級は想像以上の惨状です。私の中学校の支援級は、前年度途中から勤務している教員経験がなかった臨時的任用教員(以下、臨任)が学級主任を務め、数日前に大学を卒業したばかりの初任教員、そして異動してきたばかりの私の3人態勢でした。新学期を迎えるにあたって、生徒の座席の準備すらできておらず、ぐちゃぐちゃな状態でした」(北沢さん)

文科省によると、中学校の学級担任全体における臨任の割合は9.27%であるのに対し、特別支援学級の臨任の割合は23.95%と多い(文科省「令和4年3月 特別支援教育を担う教師の養成の在り方等に関する検討会議報告」)。

そのため臨任が担任を務めることや、ベテランの臨任の場合は学級主任を任されるケースもあるが、教員経験が1年に満たない臨任が主任を務めるのは明らかに異常事態だ。

支援級に異動したばかりの北沢さんは「おかしいな」と感じつつ、共に力を尽くしていこうと考えていた。しかし、あまりにも劣悪な支援級の実態と主任の無責任な言動に、わずか2カ月で身も心も打ち砕かれてしまったという。

3クラスなのに教室は2つだけ、実態は知的も情緒も混合

支援級は、軽度の知的障害、ADHD(注意欠陥多動症)やASD(自閉スペクトラム症)などの発達障害(情緒障害)を抱えた児童・生徒を対象に、個別の支援計画を組んで少人数指導に当たる。そのため1クラスの上限は8人と定められている。

北沢さんが異動した中学校の支援級は、新1年生が急増して24人が在籍することになったため、教育委員会への届出上は3クラス編成で、知的障害のクラスが1つ、情緒障害のクラスが2つという内訳になっていた。しかし、実態はまるで違っていた。

「そもそも支援級が使える教室が2つしかなかったので、実際は2クラス編成でした。本来は指導の狙いが異なる知的障害と情緒障害の生徒を分けるべきなのに、一緒くたに入り交じっている状況でした」(北沢さん)

北沢さんは着任早々、教室を整備し、小学校からの申し送りを基に新入生全員の個別支援計画を作成するなど業務に追われることになった。さらに彼を愕然とさせたのが、前年度まで使っていたプリントなどが整理されておらず、授業で使える教材が何一つ用意されていなかったことだ。

「支援級では中学校の教科書は実態に合わない生徒もいます。でも、学校には何の教材もない。仕方なく、小学校1年生から6年生までの国語と算数の教材をすべて自費で購入しました。あまりにも大量なので、安く抑えるためにメルカリで購入したのですが、それでも1万円くらいかかりました」(北沢さん)

新学期の授業が始まると、北沢さんが1クラスを受け持ったが、当然、彼に空きコマはなく、さらに多忙な状態に陥った。

残業時間は120時間超、ついに心が折れて休職

本来の勤務時間は午前8時20分出勤、午後4時50分退勤だったが、「毎朝7時には出勤し、帰るのは早くても夜9時頃。終電間際まで残業することも休日出勤もざらでした。記録上の4月の残業時間は120時間を超えました。残業代は出ませんから、きちんと記録しなかった日もあったので、実際は150時間を超えていたはずです」(北沢さん)。

そもそも給特法により、公立の教員が超過勤務を命じられるのは校外実習、学校行事、職員会議、非常災害などの4項目のみ。給料月額4%の教職調整額が支給される代わりに時間外手当はなく、いくら働いても残業代が出ないことから「定額働かせ放題」などと揶揄されている。

そんな中、2019年に文科省は超勤4項目以外の自主的・自発的な勤務も含めた在校等時間、つまり超過勤務を月45時間以内にするようガイドラインを出している。これは労働基準法の時間外労働の上限で、超えた場合は校長など管理職が口頭注意などで是正させなければならない。

月に120〜150時間となると、一般的に月80時間といわれる過労死ラインもゆうに超えているが、北沢さんは管理職から残業については何も言われなかったという。それでも生徒のためを思って、目の前の業務を一つずつこなしていたが、次第に臨任の主任にペースをかき乱されるようになった。

「主任から深夜や休日にLINEで重要事項の伝達が来るようになり、次の日にやろうとしている計画がことごとく潰れていきました。主任のやり方は場当たり的な自転車操業で、私とはまったく合わなかった」(北沢さん)

5月に入っても状況は悪くなる一方だった。

「ゴールデンウィーク(GW)明けに生徒の家庭訪問があったのですが、主任はGWと合わせて数日間の有給休暇を取っており、結局すべての家庭を私と初任教員の2人で訪問しました。また、生徒に文章を書く力を身に付けてほしいと思い、週1回の作文を提案したのですが、主任から『仕事が増える』と言われ、強い不信感を持つようになりました」(北沢さん)

そして、ついに心が折れた。

「主任が1日出張に行く日の当日に『明日、生徒に配布する書類が終わっていないのでお願いします。管理職に確認も取ってください』と私に押し付けて出発してしまったのです。主任は前々から予定していた私用で、その前日も有休を取っていたのに、何一つ準備していなかったのです。学校に残された私は、過呼吸を起こして倒れてしまいました」

その日を境に、北沢さんは出勤途中のバス停や職員室で涙が止まらなくなり、休職することになった。「早期復帰を目指していたのですが、日中に街で主任に似た人を見かけてパニック症状を起こしてしまい、完全な休職を余儀なくされました」(北沢さん)。

臨任や初任ばかりの支援級、通常学級優先としか思えない

それから1年余りが過ぎたが、現在も北沢さんは休職中だ。

「休職してから管理職に『あなたが帰れない状況を知っていたので、“早く帰りなさい”とは言えなかった』と謝罪されました。でも、ここまで支援級をぐちゃぐちゃなまま放置するのはやっぱりおかしい。臨任や初任ばかりを配属して、支援計画なんてないに等しいんですから。別の学校の支援級に勤務する友人に話を聞いても『ただの託児所状態になっている』と愚痴をこぼしていました。どこの学校でも通常学級を優先して、支援級は後回しにしているとしか思えない」(北村さん)

休職直後は教員以外の道を選択することも考えたが、現在は復帰して特別支援教育に関わり続けるつもりだという。

「世の中に仕事はたくさんありますし、このまま辞めてしまおうとも思いました。でも、特別支援学校で子どもが障害と向き合いながら成長していく姿を見守っていた時の幸せは、やっぱり教員じゃないと感じられないと考え直しました。支援級でも生徒たちが嫌だったわけじゃないですし、支援方法を工夫していれば、できることはいっぱいあったはず。でも、支援級の態勢ではそこまでの余力がなかった。申し訳なかったと思っています」(北沢さん)

最後に全国各地で支援級が崩壊している現状をどう思うか聞いてみた。

「すでにあるものが崩れていくのが崩壊ですよね。そもそも、きちんとした教育が受けられる下地がまったくないので、崩壊ですらないと思います」(北沢さん)

少子化で子どもの数は減ってはいるものの、特別支援教育を受ける児童生徒は直近10年で倍増している。文科省も2022年に「今後採用するすべての教員に特別支援教育の担任を2年以上経験させる」よう通知を出し、特別支援教育に本腰を入れる姿勢をみせている。

だが実態は、現場の教員に丸投げの状態になってはいないだろうか。後編では、いまや小学校、中学校の支援級で過ごした子どもたちが進学することが多くなっている定時制高校の校長に話を聞いた。続きを読む……

(注記のない写真:Graphs / PIXTA)

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