「社会モデル」に基づいたインクルーシブ教育とは?

インクルーシブ教育とは、同じ学校内で、性別、人種、障害、または家庭の社会経済的・文化的背景にかかわらず、すべての子どもに平等な教育機会が提供されることと広く定義されています。日本は2014年に、フィンランドは2016年に障害者権利条約を批准し、両国ともインクルーシブ教育を教育政策として推進していくこととなりました。

矢田明恵(やだ・あきえ)
公認心理師、臨床心理士
青山学院大学博士前期課程修了。フィンランド・ユヴァスキュラ大学博士課程修了、Ph.D. (Education)。日本で臨床心理士として療育センター、小児精神科クリニック、小学校等にて6年間勤務。主に特別な支援を要する子どもとその保護者および先生のカウンセリングやコンサルテーションに従事。夫と2013年にフィンランドに渡航。現在、ユヴァスキュラ大学およびトゥルク大学Centre of Excellence for Learning Dynamics and Intervention Research (InterLearn) ポスドク研究員、東洋大学国際共生社会研究センター客員研究員。インクルーシブ教育のほか、フィンランドでの出産・育児経験から、フィンランドのネウボラや幼児教育、社会福祉制度など幅広く研究

両国に限らず多くの国がインクルーシブ教育の推進を目標としていますが、その概念的な定義やアプローチは、文化的・歴史的背景、宗教、経済的条件、法的枠組みなど、各国の状況に大きく影響されます。

フィンランドの場合、「社会モデル」に基づいてインクルーシブ教育が進められています。社会モデルとは、障害(身体的な機能障害の意味の障害に限らず、社会参加するうえでの障壁)は、個人の問題ではなく、その個人に障害を負わせている社会あるいは環境の問題だとする考え方です。

社会モデルが登場する以前は、「医学モデル」が一般的でした。これは、障害は個人の身体的・機能的問題であり、それを治療や訓練によって、個人が社会に適応できるようにするという考え方です。

もちろん、医学モデルを批判するわけではなく、治療や訓練でその人が生きやすくなるのであれば、医学の力を借りることはとても大切です。一方で、障害を「個人が克服しなければならないもの」「本人(あるいはその家族)の問題」とするのは違うのではないかという考えから、社会モデルが生まれました。

日本では、まだ医学モデルの考え方が教育や福祉現場で根付いているように感じます。

私が臨床心理士として日本の小学校や療育センターで働いていたのは10年前ですが、その頃は、特別なサポートを学校などで受けるためには、「障害がある」という医師の診断や心理士の意見書が必要で、私も医師が診断書を書くための心理検査や知能検査に携わってきました。医師や心理士の予約を取るのに数カ月待ちで、「『今』困っているのにすぐに支援を受けることができない」などの話を度々耳にし、心苦しい思いをしていました。

フィンランドに来てからも、日本の特別支援に関わる研究者や行政の方と情報交換をする機会が度々ありますが、まだ日本は医学モデルに基づいて支援が提供されることが多いようです。

医学モデルが染みついていた私にとって、フィンランドに来ていちばん驚いたことは、特別なサポートを受けるに当たって、医師の診断や心理士からの意見書は必須ではないということでした。

フィンランドの通常学校では、クラス担任を持たない「特別支援教員」が常駐しており、子どもに困り事やつまずきが見られた場合、その特別支援教員や担任、保護者、当事者の子どもが一緒に話し合い、必要となれば翌日にでも支援が開始されるのです。

もちろん、より詳細なアセスメントや適切な支援の提供を行うため、必要に応じて心理士や医師の意見を聞く場合もあります。しかし、社会モデルを軸に考えると、医学的に障害があると診断されるかどうかはサポートの絶対条件ではなく、「困り事がある」という状態がすでに社会参加への障壁の表れなので、そこにできるだけ早く介入することがフィンランドでは重要視されているのです。

専門家がチームを組み「3段階支援」を展開

前述のように、フィンランドが障害者権利条約を批准したのは、日本より後の2016年です。「そこから急ピッチで現在の体制を整えてきたのか」と、疑問に思われる方もいるかもしれませんが、そうではありません。

フィンランドでは、そもそもインクルーシブ教育を進めるに当たっての素地が、歴史的な背景からあったと言えます。

1950年代にデンマークで発祥したノーマライゼーション(※1)という考え方は北欧を中心に世界中へと広がっていきました。さらに1970年代にフィンランドは、一定の学年で能力に応じて学術コースと職業訓練コースに分岐する学校制度から、すべての子どもが9年間同じ学校で学ぶ制度へと大きな教育改革を行いました。

※1 社会的支援を必要とする人もそうでない人も同等に生活できる社会を目指すこと

こうした動きがあった時期に、フィンランドでは多様な能力を持つ子どもたちに対応するため、先に述べた「すべての通常学校に特別支援教員を配置する」という措置が取られたのです。

特別支援教員は、特別支援学級を担当する、あるいは、クラス担任は持たずに学校全体の子どものサポートに当たります。例えば、クラス担任や子ども、保護者の要望に応じて、子どもの様子をアセスメントしたり、その子の苦手な分野だけ取り出して個別または小グループで指導する「パートタイム特別支援」を行ったり、授業に入ってクラス担任と一緒にコ・ティーチング(※2)をしたりします。

※2 2人の教員が共に責任をシェアし、リードしていく指導法

また、この特別支援教員とは別に、スクールナース、スクールサイコロジスト、スクールソーシャルワーカーが各学校に配置されており、こうした専門家がチームを組んで必要な支援を提供しています。定期的に支援会議が行われ、そこで支援が必要な子どもの情報共有や連携が行われているそうです。

さらに2011年には、「3段階支援」という支援の枠組みが導入されました。第1段階は「一般支援(general support)」と呼ばれ、すべての子どもを対象とし、支援の必要性が感じられた時点ですぐに開始されます。支援内容としては、補習授業や特別支援教員による授業中のサポート、先に述べたパートタイム特別支援などが含まれます。

第2段階は「強化支援(intensified support)」で、一般支援では不十分と考えられた場合に提供されます。まず、クラス担任や特別支援教員、保護者などによる教育的アセスメントが行われ、算数や国語など領域に特化した学習計画を立てることになります。この支援は数週間から数カ月の期間で目標が立てられ、その期間を終えたら再度アセスメントを行い、このまま継続するのか、次の段階の支援が必要なのかが話し合われます。

そして第3段階は「特別支援(special support)」となります。広範なアセスメントに基づく教育的書面の作成と、学校長を含むリーダーシップチームからの承認が必要になります。この段階では、より詳細な個別教育計画が立てられ、それに沿ってより長期的な支援を行うことになります。

必要な「意識転換」、強みは「特別支援学校のノウハウ」

このように、フィンランドではインクルーシブ教育を進めるための学校制度の改革が行われ、複数の専門家が学校内で働いているという点で日本よりもリソースが充実していると思います。また、社会モデルに基づき、早期発見・早期介入に努めている点も強みだと思います。

インクルーシブ教育に力を入れるフィンランドのクラスルーム

一方で、さまざまな課題もあります。例えば、3段階支援の導入により、第2段階での学習計画の作成や専門家同士の連携など、教員の仕事量が増えたという指摘があります。軽度のケースにも対応することにより、本当に支援を必要とする子どもへ十分な支援が行き渡らないという声もあります。

また、3段階支援においては、いつ第2段階に進むのかといった明確なガイドラインがなく、地域や学校によって取り組みが異なるとともに、よい実践やうまくいかなかった事例などを共有する場所がなく、教員の知識や経験が蓄積されないという課題もあります。

今までフィンランドであまり見られなかった不登校の増加も、原因の一端をインクルーシブ教育が担っていると言われます。インクルーシブ教育の推進により、クラスの多様性が増し、教員が対応しきれていないことや適切な支援が行われていないことが一因です。さらに、特別支援学校の数は減らされてきていますが、まだ特別支援学級で分離教育を受ける子どもが一定数いることも問題視されています。

これらの課題を解決するためには、特別支援教員やアシスタントの数を増やすなど、リソースを充実させていくことやインクルーシブ教育に関する研修を行い、教員のスキルを向上していくことが不可欠だと専門家は話しています。

とくに、フィンランドでは問題行動のある子どもへの対応が難しい、苦手であると感じている教員が多いと研究で示されており、そうした子どもに対応するため、アメリカのポジティブ行動支援「School-wide Positive Behavioral Interventions and Supports (SWPBIS)」の考えを取り入れた教員研修のプログラムを行う研究プロジェクトなどが、私が勤務する大学でも進められています。

冒頭で述べたように、その国のインクルーシブ教育はさまざまな背景に影響を受けるため、フィンランドの取り組みを日本にそのまま輸入することは現実的ではありません。しかし、日本のインクルーシブ教育を進めるうえでのヒントは得られるのではと考えています。

例えば、医学モデルから社会モデルへの意識転換です。その子の障害を見つけ、その子自身をどう変えるかではなく、どうして困り事が出てきているのか、それを少しでもなくすために環境から変えられるものはないか、という視点への転換です。時には、これまで当たり前としてきた学校の校則や行事なども「本当に必要だろうか?」と柔軟に考える必要があると思います。

また、特別支援学校がセンター的な役割を担い、特別支援教員が地域の通常学校に入ってコンサルテーションする、という形も有効かもしれません。日本の特別支援学校には日本ならではのきめ細かな支援の経験と知識が蓄積されています。それを、地域の通常学校にいる特別な支援を必要とする子どもたちにも生かされるような仕組みづくりが進められるとよいのではないかと思います。

(注記のない写真:矢田明恵氏提供)