投稿者:長澤隆之(仮名)
年齢:50歳
勤務先:公立小学校教頭

営業職から転身、前例踏襲の教育現場に危機感を覚えた

長澤さんは、もともと教員志望ではなかった。大学でも教職課程を履修せず、卒業後は大手IT企業に就職。営業職として順調なキャリアを歩んでいた。

「仕事にも収入にも特に不満はありませんでした。ただ、役職がついて数年経つと地方に転勤するのが慣例だったので、転勤を前に、このまま働いていきたいか、ほかにやりたいことがないか見つめ直してみたのです」

その頃、教育界では大きな変化が起きていた。いわゆる「ゆとり教育」の始まりだ。いじめや校内暴力、不登校の増加や価値観の多様化などが背景にあるが、長澤さんの心を揺り動かしたのは、1998年に改訂された学習指導要領に盛り込まれた『生きる力の育成』という言葉だった。

「子どもたちと一緒に夢を育む人生も面白いんじゃないかと思いました。全国を転々とするよりも、地元に戻って地域のために働きたいという気持ちもありました」

30歳を目前にしての思い切った転身。毎月「数字」を求められる営業職と違い、長期間にわたって子どもの成長を見守ることができるのは、長澤さんに新鮮な喜びをもたらした。

他方で、「子どもたちの未来のために、できるだけのことをしたい」という思いが強くなるにつれ、教員の置かれている環境に危機感を抱くようになる。

「毎日遅くまで残業して、土曜も当たり前のように出勤する。やるべきことをやるためならいいのですが、実はそうでもないんですね。効率化しようと思えばできるのに、前例踏襲を優先して過重労働になっている部分が多いんです」

例えば、通知表の作成。通知表には法的根拠がなく、様式や内容の規定もない。しかし、一人ひとりの所見を記すのが一般的だ。

「この所見が意外と大変なんです。表現に配慮しながら書いていると、1人30分以上はかかります。それを30人以上ですから、チェックの時間も含めるとかなりの時間を要します」

30人でも15時間。それだけの時間をかける意義があるならともかく、所見を基に個別の対策を立てるわけでもない。「少なくとも、毎学期必要なものとは思えない」と長澤さんは話す。

「通知表は校長の判断だけで『出す』『出さない』を決められますし、内容も変えられます。実際、必要ないと感じている先生も多いんです。でも、前例を踏襲するほうが楽だから校長は変えない。こうした非合理が積み重なると不満もたまるので、職員室全体がギスギスしていきます」

校長や教頭の態度が原因で、10人超が異動した学校も

業務量の多さに対応しきれない若手教員への、校長や教頭など管理職の態度も問題だと長澤さんは話す。

「『自分たちは対応できた』という成功体験があるからか、できない先生を下に見る傾向があります。ダメな部分にばかり目を向けて『使えない』と突き放したり、あれこれうるさく指導する校長は少なくありません。

特に最近は、教員不足で臨時的任用教員を採用する機会も増えていますが、経験がない先生が苦労するのは当然なのに、『優秀じゃない先生ばかり来るせいでうまくいかない』と愚痴をこぼしたりもします」

その影響は、若手教員の離職という形で表れている。文部科学省の学校教員統計調査「年齢区分別 離職教員数」によれば、2022年度の25歳未満の離職教員数は552名。2019年度の前回調査482名から70名も増えた。2022年度の25歳未満の採用教員数が3360名であることを踏まえると、割合も高い。

「離職まで至らなくても、こういう校長や教頭がいる学校は異動が多いんです。一斉に異動希望が出されるので、教員間でもすぐ話題にのぼります」

長澤さんの勤務校がある自治体では、1回に10人以上が異動した小学校もあるという。そこまで入れ替わると、すぐに体制を立て直すのも難しい。子どもたちにとってよいことかも疑問だ。

「あくまで私の経験ですが、先生同士が連携し合い楽しく仕事をしているほうが、子どもたちのために動きやすいものです。校長や教頭などの管理職になる先生は、それぞれ理想の学校像や教育のあり方を描いています。しかしそれ以前に、先生が働きやすい環境を整えることが重要だと感じます」

管理職が「心理的安全性」を確保することが必要

長澤さんの言葉のように、管理職になる教員は教育に理念や情熱を持っている人が多いはずだ。なぜ、若手教員にはきつく当たってしまうのか。

「今の校長や教頭は、40代後半から50代前半が中心です。教員採用試験の倍率がどんどん高くなり、10倍を超えた時代に採用試験に合格した優秀な人たちです。学校を嫌って反発していた人は恐らく少なくて、言われたことに従順な人が多いと思います。できない人の苦しみや、仕事をうまく回せない人の気持ちが理解できないのではないでしょうか」

高い倍率をくぐり抜けただけでなく、今ほど人材の流動性が高くない時代を生き抜いてきただけに、転職の選択肢もなかっただろう。そうして培われた「打たれ強さ」を若手教員にも求めてしまうのは無理もない話だ。

「不幸なのは、この問題に校長や教頭が気づきにくいことです。現在の学校の評価制度は、上から下しかないんですね。現場が困っていても突き上げられませんし、管理職はよほど誤ったことをしていなければとがめられることもありません。個人的には、垂直的な評価だけでなく、複数が多面的に評価する360度評価を取り入れるべきだと考えています」

加えて、管理職の教員は、職場の心理的安全性を高めようとする意識を持つことが重要だと長澤さんは語る。

「ただでさえ教員のイメージが低下している今、教員の道を選んでくれたことに感謝するくらいの気持ちを持つことが求められていると思います。笑顔を絶やさず、ニコニコと話しかけてのびのびと力を発揮できる環境を整えることが必要ではないでしょうか。雰囲気を盛り上げると、新たな目標にも意欲的に取り組んでくれますし、そうやって先生たちが楽しそうに取り組んでいれば子どもたちも安心するものです」

長澤さん自身、教頭となってからは「一緒に取り組もう」という姿勢を前面に出し、相手を否定せず、かつ自律的な行動を促すよう心がけているという。結果、通知表の廃止を含むさまざまな改革を実現し、勤務校は教員のみならず地域住民からも高い評価を受けているそうだ。

「学校は前例踏襲のクセがついているので、なかなか変えようという方向に進まないと思います。でも、実は校長や教頭の裁量でいろいろなことが変えられるのです。子どもたちのためにも、前例にとらわれず、先生同士がチームワークを高めて課題解決に取り組んでいくことが重要だと思います」

できない人材を「使えない」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、その結果学校運営が成り立たなくなっては元も子もない。能力が低く見える教員をもどかしく感じることもあるかもしれないが、画一的な教員像に当てはめるのではなく、個々の持ち味を引き出すことが大切だと長澤さんは話す。児童・生徒はもちろん、教員の多様性を尊重し、ウェルビーイングを高めることが、職員室の運営にも求められているのではないか。

(文:高橋秀和、注記のない写真:Fast&Slow/PIXTA)

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