GIGAスクール構想で小・中学校に整備された「1人1台端末」が、今年の4月からいよいよ高等学校でも全面実施となりました。完全無償だった小・中学校と比べると、高校においては端末の整備費用は自治体によって扱いがまちまちのようです。ちなみに都立高校の新入生は、3万円の保護者負担だとか。

小・中学校では「1人1台端末」の完全実施から丸1年経ったことになりますが、皆さんの学校や自治体ではどのような活用状況でしょうか。私も昨年度、多くの小・中学校に年間講師などで入らせていただきましたが、インターネット環境が当初の計画を前倒しして整備されたこともあって意義やスタンスが浸透しておらず、挑戦できている学校と混乱の中で耳をふさいでしまっている学校とで格差が開いている印象があります。

蓑手章吾(みのて・しょうご)
HILLOCK(ヒロック)初等部 校長
公立小学校で14年勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設、22年4月に開校。専門教科は国語。特別支援学校でのインクルーシブ教育や発達の系統性、学習心理学に関心を持ち、教鞭を執る傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士号を取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な東京・小金井の前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任するなどICTを活用した教育にも高い関心と経験を持つ。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)、共著に『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)などがある
(写真:蓑手氏提供)

「ICTはサンマの枠組みを解放するトリガーだ」の真意

ただ、ここに関しては今の段階では仕方ない現象かなと思っています。というのも、現場教員の情報リテラシーや社会の変化に対するアンテナの感度には大きな差があります。必要性を十二分に理解して授業を設計できる教師もいれば、ICTを使う理由もわからず、どう使えばよいか指示してくれないと授業ができない教師もいるのが今の日本の教育現場です。

研修制度を整えようにも、日々の現場の繁忙さにままならない状態です。であるならば、挑戦できる学校や教師が率先して実践し、そのメソッドを広めていくこと。緩やかにつながり合い、学び合う中で徐々に浸透させていくことがいちばん早く、無理なく広がっていく最良の方法じゃないかと思っています。

積極的なICT実践が難しければ、ゆっくりでもいい。しかし、それを許してくれないのがこの国の公教育でもあります。そうなると、思うようにICT実践が進められない学校や教師は、進んでいる学校や教師を批判し始めます。比べられ、先に行かれてしまうと、あたかも自分が手を抜いているように感じてしまうからです。

挑戦している学校の足を引っ張っていては、この国の教育は変わることも、多様性を保障することもできません。ゆとり教育も、総合的な学習の時間も、理念はすばらしかったのに、結局似たような理由でなかなかうまくいきませんでした。比べない、邪魔をしない。このあたりが、今後の日本のICT教育の成否を分ける分岐点になると思っています。

さて、ここからは私事で恐縮ですが、筆者が公立小学校教員時代に「1人1台端末」環境で積み重ねてきた実践を紹介させていただければと思います。というのも、私はGIGAスクール構想の3年も前から、総務省の研究指定校であった公立小学校で、ICTを推進するポジションに就いていました。

教師になりたての頃から、学校外の人たちとつながりながら学ぶ場に足しげく通っていたこともあり、当時からICTの可能性や重要性をよく理解できていました。すべてが順風満帆だったわけではありませんが、挑戦を許された環境下で多くの気づきを得ることができました。

「ICTはサンマの枠組みを解放するトリガーだ」と私なりに表現するようにしています。

サンマというのは秋においしい魚でもなければ、お笑い界のレジェンドでもありません。「学びには三間(サンマ)が必要だ」と教育界では昔からいわれてきました。3つの間、すなわち「時間・空間・仲間」のことです。この三間こそが学びの可能性を広げてくれる要素であり、逆に言えば学校が「学びの前提」としてきた枠組みでもあるわけです。

ICTをトリガーとして子どもの学ぶ権利を取り戻す

学校では全員、決められた時間に同じ内容を学ばなければなりません。さらには同じ教室、同じ仲間と学ぶことが「学ぶ条件」にすらなっているのです。もちろん、これは「アナログ環境で集団を一斉に教育する」という従来の学校としては、致し方ない面もあったと思います。その環境下で、学びに苦しんだり、学ぶ権利を奪われている子たちが現に存在している。私たちはそのことから目を背けてはいけないと思います。

この枠組みを解放してくれる可能性をICTは持っています。昨年まで勤務していた公立学校の私の教室では、子どもたちは同じ時間でも違う内容を学んでいたし、家からリモートで出席している子もいました。クラスをまたいで隣のクラスの子と学び合う子もいたし、学習によっては学年混合で学んでさえいました。

それが可能だった理由は、ICTがあったからです。登校できなくても、周りよりペースが遅くても、安心して学べる授業をつくる。そのためには、ICTをいかにして子どもたちが自由に使える環境を整えられるか。

これが、ICTをトリガーとして子どもの学ぶ権利を取り戻す重要な要素だと思うのです。具体的な取り組みについては拙著『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(学陽書房)にて余すところなく書きましたが、こちらの連載でもその実践をどこかで紹介できたらと思っています。

(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)