留学経験ゼロ、塾にも通わずハーバード大学合格
小学校から高等学校まで、地元大分県の公立学校に通うというドメスティックな環境から、独学、かつ現役でハーバード大学に合格、さらには首席で卒業した廣津留すみれさん。ハーバード大学に入学するまで、海外留学はもちろん、塾に通った経験もなかったという。そんな廣津留さんは、どのようにして、ハーバード大学に導かれたのだろうか。
「日本の大学を受験するのと、基本的には変わらないかもしれません。通っていた高校の三者面談で、突然ハーバード大学に行きたいと言い出した私に、先生が『前例がなさすぎてこちらではサポートできません』と言われたのを今でも覚えています。先生も突然すぎて驚かれたのだと思います(笑)。ですので、出願に当たって必要な書類や方法はネットで調べて、ToDoリストを作り、一つひとつ準備をしました。先生に推薦状をお願いしたり、インタビューに備えた面接の練習をしたり、英作文を何度も書き直したり、やるべきことはたくさんありました」
でも、それはアメリカの高校生が、ハーバード大学に出願するときにやっている作業と同じことをしただけだと、事もなげに語る廣津留さん。
無事入学したハーバード大学での学生生活は、新鮮なものだった。
「ハーバード大学では、学生は、全寮制で学びます。1年生が所属する寮は大学の中心部にあって、約1600人ほどの新入生全員が『アネンバーグ』と呼ばれる食堂に集結し、朝・昼・夜の食事を共にする。このダイニングホールは天井の高いゴシック様式の重厚な建物で、天井から大きなシャンデリアが下がり、大テーブルがずらりと並んでいる。まるで『ハリー・ポッター』の世界ですね。そこで、『ここ空いてる?』って隣に座った人が、友達になり、そのまま生涯続く絆になっていくんです」
大学生活の1年目は、とにかく授業をこなすだけで精いっぱい。睡眠時間はほとんど取れず、あっという間の1年だったが、教授たちは、授業中に自己表現をするのに慣れていない海外からの生徒たちには、質問の仕方まで、細かく指導してくれたという。さらに寮に帰れば、寮付きのアドバイザーが困っていることはないかと頻繁にチェックしてくれるので、不安なく勉強に打ち込めた。寮生活で得たものは考えていたより大きいものだったという。
気づけば、ハーバード大学を首席で卒業していた
「ハーバード大学には12個の寮があり、学生たちは2年生になるとそのうちの1つに振り分けられて、自分の所属する寮が決まります。1つの寮には400人くらいの学生が住んでおり、寮対抗の試合があったり、ハロウィーンなどの季節イベントがあったりするので、絆が深まっていきます。それぞれ違う専門分野の勉強をし、マインドセットも上手な彼らと寝食を共にして、身近で学びながら刺激を得られたというのは大きなメリットでした。
卒業した今でも、毎日テキストメッセージをしたり、節目に現況をキャッチアップし合う友人もいます。さまざまな分野の第一線で活躍する友人が世界中にいるということは、とても心強いですね。例えば、テレビ番組でコメンテーターのお仕事をするときにリサーチとして、電話をつないで元ホワイトハウス勤務の友人に話を聞いたり、テック系の仕事をする友人にサンフランシスコの最新情報を聞いたり。ベネズエラにいる南米事情を聞くこともありますね。そういう人脈が、大学時代に築けたのは大きな財産だなと思います」
ハーバード大学では、よく「社交」と「睡眠」と「成績」のうち2つしか手に入れることができないといわれるという。
「そうなると、まず睡眠時間を削りますね(笑)。さらにハーバード大学の学生は学業と何かを両立している人が多く、時間が足りないので、優先順位のつけ方が上手な人たちが多かった印象です。優先順位のつけ方は人それぞれ。例えば、首席で卒業することにはこだわらないけれど演劇を頑張りたい、スポーツに打ち込みたいとか。逆に、大学院で医学部に入りたいからどうしても首席で卒業したいなど。自分に必要なものを決めたら、必要ないものは潔く捨てる。私は、一度目標を立てたら、貫きたいタイプ。与えられた課題を一つひとつ丁寧にこなしていたら、いつの間にかハーバード大学を首席で卒業していました」
バイオリンと勉強、どちらも諦めないという選択
そんな廣津留さんがバイオリンを始めたのは、3歳の頃。音楽好きな両親にバイオリンを与えられたのがきっかけで、気がついた時には日々の練習は生活の一部だった。転機は、小学校3年生の時。初めて出場したコンクールで、ライバルの存在を知り、この中で誰よりもうまく弾きトップになりたいと強く意識し始めたという。
「もともと負けず嫌いな性格ということもあって、バイオリンと勉強のどちらかを諦めるという選択肢はなかったですね。100ある時間を、バイオリンと勉強で50ずつに分けるのではなく、両方100と100で詰め込んで、200にしちゃえばいい、そう考えていました。どちらかを諦めるのではなく、どちらも全力で取り組むために、時間をどう有効に使うか、つねに工夫していました」
小学生の頃は、勉強は、学校の授業で集中して内容を吸収、家に帰ってからは一切しないでバイオリンの練習時間を確保するという日々が当たり前だった。
「家で勉強する時間が取れないからこそ、逆に授業に集中し、勉強を頑張れたのかもしれません。時間は使い方次第で、どうにでもなる。むしろ、音楽と勉強、両立すべきことがあったからこそ、効率的になれた。やることが多いほうが、人は効率的に動けるのかもしれません」
2009年にイタリアで行われたIBLA国際コンクールでグランプリ優勝を果たし、翌年、受賞者とのカーネギーホールで行われたリサイタルを含め、全米4州でのアメリカ演奏ツアーを行った廣津留さん。そのツアーの帰りに参加したハーバード大学のキャンパスツアーが、ハーバード大学受験へとつながった。
「ハーバード大学の受験でも、バイオリンと勉強を両立してきた経験が役立ちました。それは目標を細分化して、ToDoリストを作ることです。確かにハーバード大学を受験する、とぼんやり捉えれば、ものすごく大変なことをしているようで気が遠くなります。ですが、細かく砕いていけば、今やるべきことが見えて、目標が近づいてくる。日本の大学を受験するときのように、自分で願書を書く。それを英語かつオンラインで淡々とやるだけ。パソコンが使えれば、きっと誰でも挑戦できると思います。
目標を細分化して、ToDoリストを作ることはとても有効です。
バイオリンの練習も同じです。漠然とした目標ではやる気が出ない。例えば仕上げなくてはいけない曲があったら、今日の練習ではここにフォーカスして練習するというToDoリストを作る。筋トレにしても同じでしょう。漠然と何かをやるのではなくて、大きな目標を細分化し、ToDoリストを作成して、今日は何をすべきかを考える。後はこつこつと今日やるべきことを積み上げていくだけです」
論理的思考を育む教育の重要性を伝えたい
廣津留さんは、そんな自身の経験を生かし、7歳から18歳までを対象にした英語のサマースクール「Summer in JAPAN」を実施している。ハーバード大学在学中に持っていたリソースと、英語教師であったお母さんの廣津留真理さんの知見を組み合わせて、母娘共同で開発、プログラム化したもので、今年で9年目を迎える。講師となるのは選び抜かれた現役ハーバード大学生。午前中はライティング、午後はプログラミングやプレゼンテーションといった4つのワークショップの中から、生徒が自ら好きなものを選んで参加する。ユニークな点は、どのクラスも無学年制であるというところだ。
「子どもは無限大のチャンスや可能性を秘めています。ですので、年齢でクラスを分けるということはしません。高校生は、小学生のユニークな発想に刺激を受けるし、小学生は高校生に接することで、このようになりたいというロールモデルができたりするからです。サマーキャンプを通じて、子どもたちがマインドセットする瞬間がいくつもあります。私自身、ハーバード大学のキャンパスツアーに参加した時に、それまで想像のものでしかなかったハーバード大学が身近に感じられ、価値観がひっくり返りました。
そのような感動やインパクトを、子どもたちにたくさん与えてあげたい。子どもたちは、自分の生活圏内にある小さなコミュニティーでしか、なかなか人に出会うことができません。私自身もそうだったのですが、ロールモデルがいなかったため、海外という選択肢があることすら思いつかなかった。そんな環境にいたので、大人がそのような機会をできるだけ多く提供してあげることも大事なことだと考えています。
あとは、ディスカッションなどインタラクションの学びを大切にしています。先生に何かを聞くときも、生徒側が発言するのは自由なんだと、子どもが信じられる環境じゃないと質問もしづらい。プログラムの間、どのタイミングで質問を投げかけても大丈夫ということを示して、子どもたちが発言しやすい環境を整えることを意識しています」
では、廣津留さんが日本の教育で必要だと思うものは、何だろうか。
「日本では、作文の授業があまりないと感じるのですが、作文は論理的思考の基になるものなので、ロジカルな文章の組み立て方や、体系立てて文章の書き方を教える授業が、もっとあるといいのかなと思います」
また、コメンテーターの仕事をする中で、日本では論理的思考よりも情緒的に物事を判断する場面が多いと感じることもあるそうだ。つい、エビデンスやファクトよりも、噂や大多数の意見を信じてしまうことにも、論理的思考と科学的思考は役立つ、と廣津留さんは語る。
「ロジカルシンキングはどんな科目にも通じています。国語もそうですし、数学もプロセスが大事。すべてが論理です。なので、論理的思考は学生のうちにしっかりと学ぶべきだと感じました。プログラミングも、まずはロジックをどうやって組み立てるかが重要になる。プログラミングでアプリが作れるというのは、しょせん後からやってくる結果にすぎません。
私が論理的思考を身に付けられたのは、ハーバード大学での日々でした。米国人があまりにもロジカルなので、どんな議題でも、ロジックで返す必要があったためです。日本では、『私はこう思います』と言いますが、アメリカではそれは認められません。著者がこう書いているからこうです、と引用の出典まで言わなくてはいけない。ファクトをベースに何かを判断するという思考法は、これからますます重要になってくるでしょう」
目標は立てないで、心を柔らかく保つ
長期的な目標を立てるのが苦手だという廣津留さん。1年後の目標ですら、あまり決めることはないという。先の目標を立てても、その時には時代遅れな発想になっている可能性があるからだという。
「何か面白そうなことが降ってきたときに、心に余裕がないと取り組めないですよね。昔、バイオリンの先生に言われた言葉で印象に残っているものが2つあって、『自分がやらないと、誰かがやる』『誰が見ているかはわからないから、つねに120%でやれ』というものです。自分がやらなかったら、それは誰かの手に渡ってしまう。これから花開くかもしれなかったチャンスを逃してしまうかもしれない。私が大学3年生の時、たまたま演奏を聴きに来ていたディレクターの目に留まってヨーヨー・マと共演することができたのも、その言葉が心にあったからなんです」
目標は立てないが、やりたいことはたくさんある。
「自分が恵まれた学習環境にいたので、伝えられることを、次の世代に伝えていきたいんです」と語る瞳はまっすぐだ。
「傍観しているだけでは駄目なんです。こうして公の場で発言する自分の姿を見せることでエンパワーメントして、女性でも積極的に意見することが当たり前だという世界にしたい。子どもたちがやりたいことを思い切りできるようにしたい。それが普通の世界になるように、そう強く願って、これからも私ができることをしていきます」
(注記のない写真は今井康一撮影)