
校長だからこそ、変えられることがある

(写真:國分氏提供)

(写真:東洋経済education×ICT)
ボーク重子(以下、重):お会いしたら真っ先に聞いてみたいことがあったのですが、なぜ校長先生になられたのですか?
國分 一哉(以下、國):ずっと学校を変えたいと思ってきたからです。子どもたちが通う学校を「楽しい学校」にしたいと思っていたけれど、現実には「なんとなく楽しくない学校」がそこにある。学校を変えることは、ヒラの教師では難しくても、校長だと変えられることがあると思ったからです。
重:先生、それ最高! でも「楽しい学校」って、いったいどんな学校でしょうか?

茅ヶ崎市立香川小学校校長。1962年生まれ、60歳。神奈川県出身。横浜国立大学教育学部体育専攻卒。学生時代は、アメリカンフットボールに没頭。85年、茅ヶ崎市立鶴嶺小学校で教員人生をスタート。子どもたちに算数を好きになってほしいという思いから、楽しい算数を追究。5校目在籍中の07年から組合専従として4年間学校現場を離れ、書記長・委員長を歴任、11年から6校目の茅ヶ崎市立松浪小に復帰し、15年教頭、17年校長、18年より現職
(写真:國分氏提供)
國:何か知識を教えて、ただできるようにするのが学校、というのは違うと思っています。将来子どもたちが何かに興味を持ったときに、学ぶ楽しさだったり、自ら興味を持って学ぼうとする力をつけてあげる。子どもたちが、笑顔で前に進むために必要なことを準備してあげる、そういう学校が僕の考える「楽しい学校」で、そんな学校がつくれたらいいなと考えていました。
重:子どもたちの好奇心と主体性、そしてやり抜く力を身に付けさせるということですね! まさにグローバル社会が必要としている非認知能力教育、人間力の育成です! そのために、通知表をやめたのですか?
國:通知表をやめる前に、何段階かステップがありました。まずは、子どもに強制することをやめようという段階があったんですね。例えば、子どもの児童委員の集会のようなものは、参加できる人だけ自主的に参加すればよい、あとは観客でもいいよね、というふうにしました。そういう集まりが「できない子」「苦手な子」に強制するのはやめたのです。もちろん、そういう集まりが好きな子、やりたい子は、思う存分やることができる。強制しない、というのは子どもたちの機会を奪っているのでは、と言われることもあって、なかなか難しい部分もあるのですが、学校って子どもたちにとっては、強制されることばかりなんですよね。少しは強制されないものがあってもいいんじゃないかと思ったのです。