OECD加盟国中「幸福度」が下から6番目の日本
皆さんはウェルビーイング(Well-being)という言葉を聞いたことがありますか? 最近は、割と耳にするようになってきたと思うのですが、いったいそれが何を意味するのかわからないという方も多いかもしれません。
ウェルビーイングとは、世界保健機関憲章前文には「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあること」とあります (日本WHO協会訳)。つまり、「よい状態である」と言い換えてもいいでしょう。
このウェルビーイングが、OECD(経済協力開発機構)の教育の2030年のゴールにもなっているということを、以前の記事で書きましたが、自分自身そして社会のウェルビーイングを実現するために、自ら行動できる意志を持った人を育成することが、世界の教育の目標になっているのです。実は、日本の学習指導要領もこの流れに沿って考えられてはいるのですが、明確にウェルビーイングという表現は入っていません。
しかし、次の教育振興基本計画の策定に向けて議論している中央教育審議会の部会では「一人ひとりの多様な幸せであるとともに、社会全体の幸せでもあるウェルビーイングをどう実現していくか」について議論が行われています。次の学習指導要領には、ウェルビーイングという言葉が入ってくるかもしれません。
ウェルビーイングが注目される一方で、日本人の幸福度や子どもたちの自己肯定感の低さがたびたび話題になっています。下記のグラフは、「World Happiness Report」から、OECD加盟国を抜き出したものです。日本は、レポート全体で54位。OECD加盟38カ国中下から6番目となっています。
この結果に対して、中教審の委員を務める京都大学の内田有希子先生は、質問自体が西洋的価値観に基づいていて、必ずしも日本人の幸福観を反映していないという指摘をされ、日本特有の文化的価値に基づいてウェルビーイングの定義を考えようと提案されています。
私も、この指標だけを見て「だから日本人は幸せではない」と言うつもりはありません。しかし、取材で出会う子どもたちの現状を見るにつけ、やはり日本の子どもたちに問題がないとは言えないなと思うのです。
どのデータを見ても「日本の子どもたちがよい状態」とは言えない
日本の子どもたちの現状を表すデータは、いろいろあります。
例えば、ユニセフの調査「イノチェンティ レポートカード16 子どもたちに影響する世界 先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か」では、子どもの幸福度を、全般的な国の状況→子どものための政策→家庭や地域の資源→保護者の職場・学校・地域とのネットワーク→子ども自身の人間関係→子ども自身の行動の順で、多層的・多面的な新しいモデルを使って分析しています。
その結果、日本の子どもたちは、身体的ウェルビーイングが1位なのに対して、生活満足度と自殺率を指標とする精神的幸福度は38カ国中37位。スキルは27位となっています。
スキルには、学力の指標である、数学・読解力と「すぐに友達ができる」など社会的スキルがあります。基礎的習熟度に達している子どもの割合は、日本はトップ5に入りますが、「すぐに友達ができる」と答えた子どもの割合は、日本はチリに次いで2番目に低く、30%以上の子どもが、そうは思っていないという結果だったのです。精神的幸福度と、社会的スキルのうち人間関係を示す指標の低さが、今の日本の子どもたちの現状をよく表しているのではないでしょうか。
国内の調査でも、子どもたちの心理的ウェルビーイングの低さを表すデータがあります。内閣府の「子供・若者の意識に関する調査(令和元年度)」では、「今の自分が好きだ」と答えた子どもは全体の45.6%。「自分は役に立たないと強く感じる」子どもが49.9%という結果が出ています。また、厚生労働省「令和3年(2021)人口動態統計月報年計(概数)の概況」における10代の死因は「自殺」が1位という悲しい結果になっています。
こうしたデータをどう見るか、捉え方はいろいろだとは思います。しかし、たとえ日本と世界の幸福感が違うとしても、日本の子どもたちがよい状態とは言えないということは、明らかではないでしょうか?
ウェルビーイングが高まると学力も向上する!?
「子どもたちのウェルビーイングを高めるために、私たちに今何ができるのか」が、この連載のテーマでもあるので、今回は世界の学校現場で行われているポジティブ教育を紹介します。
ポジティブ教育とは、ポジティブ心理学の研究結果を使って、子どもたちのウェルビーイングを高めるためのスキルを教育現場で生徒に教えるものです。ポジティブ心理学とは、幸せに生きることを科学的に研究する心理学の分野で、1998年に米ペンシルベニア大学のマーティン・セリグマン博士によって提唱された比較的新しい学問分野です。
下図は、教育現場にその研究成果を導入することで、子どもたちのウェルビーイングが高まるだけではなく、学業成績も上がったということを示すデータです。
これは、ペンシルベニア大学のアルフレッド・アドラーという方が、ブータンの 18 の中等学校(8385人の生徒)、メキシコの 70 の中等学校(6万8762 人の生徒)、ペルーの 694 の中等学校 (69万4153 人の生徒) に対して、ランダムに2つに分けたグループを比較する、大規模な介入研究を行った結果です。これは、最も信頼性の高いランダマライズド・コントロール・トライアル(RCT)という手法です。
オレンジのグループは栄養学・心理学・解剖学などを学び、水色のグループは、マインドフルネスや共感、強み、レジリエンス、コミュニケーションなど、ウェルビーイングを高める10個のスキルを学びました。
どの国の生徒たちも、週2時間、15カ月にわたってプログラムを受けた結果、ウェルビーイングを高めるプログラムを受けた生徒たちは、幸福度が大幅に向上しただけではなく、成績も大幅に向上。しかもプログラムが終了した1年後も幸福度・学業成績ともに持続していたという結果が出ているのです。
「ポジティブ教育」の目的は学業達成ではなく、生徒自身の幸せですが、生徒のウェルビーイングが高まった結果、学力も向上したということです。
まずは「校長や先生など教育者をトレーニング」する理由
論文では、「3カ国の研究すべてで、忍耐力、関与、人間関係の質が、健康増進と学業成績の向上の根底にある最も強力なメカニズムであることが明らかになった」とありますが、なぜそのような結果が出たのでしょうか。
それは、外部の研究者がプログラムを行うのではなく、まず校長や先生など教育者をトレーニングし、現場の先生が直接生徒に対して教えられるようにしたことで、継続性があること。また、プログラムを受けることによって、生徒だけでなく先生自身が自分の強みに気づき、それを生かしていく方法を学ぶことで、生徒の強みに注目するようになる。その結果、生徒に対する接し方も変わったということも考えられます。
それによって生徒との関係もよくなり、先生を信頼するようになる。すると前向きな気持ちが生まれ、行動も変わる。結果が出れば、さらに自分に自信を持つようになる。そんないい循環が生まれていったのかもしれません。
つまり、先生がポジティブ教育を学ぶことで、先生のウェルビーイングが高まり、そういう先生から学ぶことで生徒のウェルビーイングが高まる。よい連鎖が起きていったのではないでしょうか。
子どもたちにとって毎日過ごす場所は家庭と学校です。そこが、安心して過ごせる場所であることが、子どもたちのウェルビーイングには欠かせません。私も個人的な関心から、最新のポジティブ心理学を学び、ポジティブ心理学コンサルタント※になり、実際に子育てに悩む親や受験生にポジティブ心理学の要素を伝えています。
その中で、受験勉強で疲弊しやる気を失っていた子どもが、ありのままの自分でいられて安心して挑戦ができるような環境が整ったことで元気になり、成績も上がって志望校に合格した例があります。これも、親が変わることで親子関係がよくなった結果なのです。
幸せは伝染するといわれています。子どもたちのウェルビーイングを高めるためには、まず子どもを育てる立場にいる大人のウェルビーイングを高めることが重要なのです。
私は、現在PTAの家庭教育学級などで親向けにポジティブ教育の要素をお伝えしていますが、講演を聞いてくださった校長先生から、「これは教員も聞いたほうがいい」と言っていただくことが多いです。子どもたちはもちろんですが、多忙でストレスを抱える先生たちのウェルビーイングを高めるためにも、日本の学校でポジティブ教育が広がってほしいと思っています。詳しいことを知りたい方は、ぜひお問い合わせください。
※ニューヨークライフバランス研究所でポジティブ心理学コンサルタント養成講座を終了したものに認定される
(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)