自然の中で行われる幼児教育、森のようちえん
今、非認知能力を育む時期として、幼児教育の重要性が注目されています。非認知能力とは、意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力といった、数値化できない能力のことで、文部科学省が2018年度に施行した「幼稚園教育要領」でも、その育成の重要性について触れています。
そして、非認知能力を育む場所として再認識されているのが、自然体験です。そこで今回は、自然の中で行われる幼児教育、「森のようちえん」を取り上げたいと思います。
森のようちえんというのは、簡単に言えば、自然の中で、子どもたちを育てる幼児教育です。北欧がその発祥といわれており、子どもたちは四季を通して雨の日も雪の日も森の中で自由に遊びます。
私は13年に、デンマークの森のようちえんを訪れたことがあります。私が訪れたとき、子どもたちは雨の中かっぱを着て、野外でそれぞれがやりたい遊びに熱中していました。印象的だったのは、先生は子どもたちの遊びに干渉することなく、遊び方を提供したりもせず、子どもたち一人ひとりが主体的に活動していたことです。自然の中で、子どもが自分で考え、選び、経験を通してさまざまなことを学んでいく姿に感動したのですが、帰国後、日本にも森のようちえんが多数存在することを知りました。
「森のようちえん全国ネットワーク連盟」によれば、現在の会員数は個人・団体を合わせて約300。日本では自然環境の中で行われる幼児教育や保育を、森のようちえんと呼び、幼稚園だけではなく、保育園、託児所、学童保育、自主保育、自然学校、育児サークル、子育てサロン・ひろばなどが含まれます。
そのスタイルもさまざまで、園舎を持つようちえんも、園舎を持たないようちえんもあります。共通しているのは自然の環境の中での幼児教育と保育です。また、場所も森だけでなく、海や川や野山、里山、畑、都市公園など、広義に捉えた自然体験をするフィールドを指しています。ネットワークに加盟していない団体も含めれば、同様の活動を行っている幼児教育機関はもっとあるでしょう。
今回は、森のようちえん全国ネットワーク連盟の元役員である浅井智子氏が運営する、岐阜県多治見市にある「一般社団法人MORIWARA 自然育児森のわらべ多治見園」(以下、森のわらべ)を取材したので、その様子を紹介します。
岐阜県初の森のようちえん「自然育児森のわらべ多治見園」
森のわらべは、岐阜県初の森のようちえんで09年に開園されました。現在、多治見市内に園舎を持ちつつ、多治見の里山や、緑地公園、キャンプ場、森林などを活用して、週5日、自然の中の散歩を中心に、野外料理・にじみ絵・手仕事・畑活動なども取り入れ、季節感を大事にした本物の体験活動に取り組んでいます。認可外保育施設として、幼児教育・保育無償化の対象園にもなっています。
私が訪れたのは9月の下旬、まだ夏の名残が残る日でした。その日は、多治見市の中でも限界集落といわれる山奥の地域で保育が行われているというので、朝9時過ぎに車で現地に入りました。集合場所の地区の集会所前の広場では、すでにスタッフミーティングが行われていました。
この日のプログラムは、集落の外れにある小川でのシャワークライミング。前々日に台風が通過した影響もあり、いつもより川の水かさが増えているということで、どうすれば安全を保ちながら、子どもたちに貴重な体験をさせることができるか、現場を確認したスタッフの報告を聞きながら、人員の配置やサポートのやり方など入念に打ち合わせをしていました。森のわらべでは、このスタッフミーティングの時間をとても大事にしています。
そうこうするうちに、子どもたちが保護者の運転する車で集まってきました。年少から年長までの子ども約20人。水着を着てやる気満々の子どもたちは、到着するなり、元気いっぱいに走り回っています。やがて時間になると、子どもたちは、縄で作られたサークルの上に集まって静かになり、点呼の後に今日の活動の説明を受けて出発します。
救命胴衣と万が一のための防災グッズを積んだ車が1台、現地で待機しますが、子どもたちは、列を作って徒歩で移動します。途中で何かを見つけて寄り道を始める子どもたちの姿も。でも保育者たちは、そこも無視せず、一緒に楽しみながらゆっくり進みます。
小川でのシャワークライミング
シャワークライミングの現場は、里山の入り口にある小川です。先に先生が2名水に入り、子どもたちが滑ってくるのを待ち、ほかのスタッフは安全を確認しながら、子どもたちを誘導。年長の子どもたちから次々と水の中に入り、天然の滑り台のようになった岩場を滑っていきます。
年中・年少の子どもたちは小川横の道からその様子を見ていたり、道端で何かを見つけてそちらに夢中になっていたりと、さまざまです。そんな中、順番が来てもなかなか水に入れない子どもがいました。水の中に片足を踏み入れたり、引っ込めたり、やっぱり無理!と引き返したり。でも、先生はせかさず、無理強いもせず、水の中でじっと待っていました。
それは、結構長い時間のように感じましたが、しばらくすると、その様子を見ていた周りの子どもたちが、口々に「○○ちゃんがんばれ!」と応援し始めました。みんなの声に勇気づけられたその子は、ついに水に入り、先生が広げた腕に向かって、思い切って飛び込んだのです。その時の誇らしげな顔! それは、自分で「やる」と決めて挑戦したからこそ味わえた達成感だったのでしょう。その後は、何回も挑戦していました。
もし、あそこで無理強いしたり、手を貸して滑らせようとしたり、みんなが待っているからと諦めさせるような声をかけていたら……、あの達成感は味わえなかったでしょう。「先生は、あの子が本当はやりたいと思っていること、やればできることをわかっていたから、じっと待っていたのではないか」「子どもの意欲を引き出せるかどうか、それは周りの大人の関わり方次第だ」と実感した瞬間でした。
滑り終えた子どもたちは、自分で着替えをして、自由に遊び始めます。シャワークライミングが終わると、さらに奥の森の入り口付近に移動してお弁当タイムです。この時にも、子どもの力を感じた瞬間がありました。
水にぬれた衣類は体に張り付いて、小さい子は脱ぐのも一苦労です。先に着替えが終わった子どもたちが移動し始める中で、なかなか着替えが進まない子がいました。ちょっと手助けしてあげれば、早く着替えられるのですが、先生は手伝いません。無視するのでもなく、周りで自分たちの用事をしながら、近くにいるだけ。
多分、ここではそれが当たり前なのでしょう。子どもも助けを求めず、自分なりに試行錯誤しながら、時間をかけて着替え終わり、ぬれた服をリュックに詰めて背負うと、先に移動した子どもたちを追いかけていきました。その時の、その子どもの顔は、水の中に思い切って飛び込めた子どもと同じように自信にあふれていました。
たかが着替えと思うかもしれませんが、ここを待つということは、親はもちろん、保育の現場でもなかなかできないことではないでしょうか。
待っていればできるのに、手を出してしまう……。そこには、待てない大人の事情があるのかもしれないけれど、それによって子どもが自分で考え、選び、経験を通してさまざまなことを学んでいく大切な機会を奪っているのではないか……。今回、森のわらべの子どもたちの様子を見ていて、とくに感じたことでした。
水遊びの後、里山の緑に囲まれ、日の光を浴びながらいただくお弁当タイムは、体を動かした後だけに、子どもたちの食欲も旺盛で、見ているこちらも幸せな気持ちになります。
森のわらべでは、始まりと終わりの会を大事にしているそうで、食後にもサークルタイムがあります。子どもたちはお弁当を食べ終わると、自然に輪になって、当番の子どもが蜜ろうのキャンドルに火を灯すのをじっと待ちます。
そして、順番にその香りを嗅いだ後に黙想をします。私も一緒に目をつぶると、聞こえてきたのは木々を揺らす風の音と虫の声。感じるのは、日の暖かさと草の匂い。静けさの中で、私自身、五感が開いていく感覚が味わえました。自由保育では協調性や自制心が育たないのではという人もいますが、このような時間で子どもたちは内省し、心の整え方も学んでいるのです。
子どもの力を引き出せるか、ふたをするかは大人次第
今回、一日同行する中で、子どもたちのさまざまな表情に出会い実感したのが、子どもたちはすでに力を持っている存在だということ。そして、その力を引き出せるか、ふたをしてしまうかは、大人の関わり方次第だということです。
森のわらべでは、月に何回か親たちもお手伝いに入ります。この日は代表の浅井智子さんと専任スタッフ2名のほか、OBや現役の保護者が5名。計8名の体制で保育が行われていました。これは国の規定よりかなり手厚い体制です。
森のわらべでは、月に数回親も当番として現場に入ります。その理由を「親たち、とくに母親に子育ての楽しさを取り戻してほしい。そう思ってこの場所をつくってきました。出産で野生に目覚めた母親が、子どもと一緒に本来持っている力を発揮していく場所として、自然の力を借りるのがいちばん自然だから、自然の中にいるのです」と浅井さんは言います。
取材日には、お父さんの姿もありました。一人のお父さんは、「自営業なので、平日の休みの日に、お手伝いをしています。保育に入ることで、家以外での子どもの様子を見ることができるのは自分にとっても幸せだ」と話してくれました。また、都会のマンションでワンオペ育児をしていたというお母さんは、「ここに来るようになって、子どもだけではなく、私も解放された」と言います。
親も集団の中で子どもたちがどう育つのかを客観的に見ることで、自分の子育てを振り返ることができるし、何より自然の力が、子どもだけではなく、親自身の生きる力も高めていくようです。
森のようちえんが大切にしているのは、大人も子どもも、一人ひとりが生まれ持ったありのままを受け止めてもらえる安心な場所であること。そして、自ら感じ、自ら考え、自ら行動し、その結果を自ら引き受けつつ、仲間と関わり合いながら主体的に「自分を生きること」に、子どもも大人も一緒に取り組んでいるのです。
そんな様子を見ていて、こういう場づくりは少人数の森のようちえんでしかできないのだろうかと、浅井さんに問いかけてみると、「みんなで手を携えれば子育ては楽しくなるし、そこに保育のプロが入ることで、親も子育てを学んでいくことができます。実際、今回の厚生労働省の保育所保育指針では、保育現場で母親力を高めるという文言が入りました。だから、親がもっと関われたらいいと思う。でも今の国の子育て支援は、逆に親から子どもを引き離し、孤立させ、子育てを楽しめなくさせているのではないか」と指摘します。
確かに、子どもの育ちや、非認知能力の育成には、幼児教育が重要だといわれる一方で、今の子育て支援のシステムは保育の場所を確保することが優先されています。子どもが育つ場所がサービスを提供する場所になった結果、預かる側も余裕がなくなり、子どもの育ちをゆっくりと待てなくなっています。親は忙しく、子どもたちもゆっくりと育つ時間を奪われてしまっているのです。
子どもの幸せのためには大人が豊かな時間を過ごすことが大切
実際、森のわらべも認可外保育施設として、幼児教育・保育無償化の対象園になっていますが、無償化の対象となるためには、市町村から「保育の必要性の認定」を受ける必要があり、助成金を受け取るために仕事を始めると結果的に親は忙しくなり、子育てを楽しむ余裕がなくなるという矛盾を抱えてしまいます。それが今の日本の幼児教育の現場や親子が置かれている現実です。
働いていても、月に1・2回、保育や幼児教育の現場に親がサポーターとして入ることで、得られることはたくさんあるような気がしますが、そんなことを言うと、「そんな余裕はない」という声が聞こえてきそうです。しかし逆にそんな時間も取れない現実を変えるにはどうしたらいいのかを考えてみることはできないでしょうか。今回、自然の中でいい表情を見せる子どもたちの顔を見ていて、そう思いました。
そんな中で、少数派かもしれないけれど、森のようちえんが地域で根を張りつつあることは希望です。しかも、その存在が地域を活性化させる役割も担う可能性もあるのです。
今回の取材に同行してくれた園田智子さんは、自身の子育てで森のわらべに出合い、感銘を受けたことから、研修を経て地元で「森のようちえん自然育児 子どもの庭」を開所しました。空き家になった古民家を借り受け、放置されて荒れる里山を保全する活動をしている団体と協力しています。里山に子どもたちと入ることで、地域のつながりができ、地域を守る役割も担っていけると話してくれました。もしそこで、母親たちが就労できたら、子育てと仕事を両立させながら地域とのつながりも生まれる。地元を活性化させるエコシステムが循環しそうです。
実際、この日も手伝いに入っていた森のわらべOGで、今は小学生になる子どもの母親は、森のようちえんでの時間を振り返って、「親同士がつながり合って一緒に子育てができたし、私自身も子育てを楽しめた。その時間が豊かで楽しかったから、子どもが卒園しても手伝いに来ている」と話してくれました。
そこで頭に浮かんだのが、デンマークの森のようちえんで聞いた園長先生の「よい社会をつくるには、よい子ども時代が必要です」という言葉です。よい子ども時代を過ごした子どもたちは、その時間をくれた社会に恩返しをするようになるということです。
私はこの言葉に感銘を受けて、よい子ども時代をつくるために、大人は何をすればいいかを考えてきましたが、この日新たな気づきがありました。
それは、子どもがよい時間を過ごすには、大人がよい時間を過ごすことが大切だということです。自然の中に入ると、子どもだけでなく大人も解放され、感じる力が研ぎ澄まされます。子どもの非認知能力を育むのは、理屈ではない。「子どもの幸せのためには、大人が豊かな時間を過ごすことが大切だ」という当たり前のことを、森のようちえんが気づかせてくれました。
(写真:すべて中曽根氏提供)