投稿者:高野清(仮名)
年齢:70代
居住地:首都圏
勤務先:県立高校(退職済み)

「空き教室」を使うためだけに総出で職員会議

「これから話す内容はかなり前のことなので、今の現場では改善されているといいなと思いながら……昔語りとして聞いてください」と、高野清さんは語り始めた。高野さんは過去、県立高校の校長として過ごした。校長になる前は民間企業に勤め、東京のほか転勤で地方都市を転々として退職。その後、生まれ育った場所で教育に携わることになった。

きっかけは「民間人校長制度」。民間企業で培った経営感覚やリーダーシップなど、豊富な社会人経験を学校運営に生かしてもらおうという意図で2000年に導入された。高野さんはその先駆け的な存在として、教育の現場に飛び込んだのだ。同じ組織に長年居続けると、その独特の風習ももはや日常となり、違和感に気づけなくなってくる。教育現場の「民間企業では考えられない無駄」も、その1つだろう。「校長就任後にまず驚いたのが、『職員会議』だった」と高野さんは言う。

「例えば、『使わなくなった空き教室を、剣道部の道具置き場にしたい』という話が出たら、『話し合いのため職員会議を開きましょう』となるのです。職員会議には正規の教職員だけでなく、非常勤の方々や学校事務職員の方々も招集されます。数十人もの全職員を集めて検討すべき議題だとは、私には思えませんでした。全職員には後日、『空き教室を剣道部の道具置き場として使います』と一報すればよかっただけではないでしょうか。これは一例で、一事が万事、こんな感じでした」

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高野さんが無駄だと感じた点はほかにもある。「研修会・研究会のあまりの多さ」にも驚いた。物理教育研究大会、歴史教育研究大会、生徒指導研究大会……と、科目や分野ごと、役職ごとに研修会・研究会があり、しかもそれが、地区単位・県単位・地方単位そして全国規模のそれぞれで開催されるというのだ。

「研修会・研究会の多くは、生徒たちの授業を自習にして実施します。研究大会の主催校ともなると、参加する教員のためにホテルの手配まで行わなければなりません。研究大会の前日には歓迎行事もありましたが、そこでの出し物なども主催校の教員が準備します。そして大会後には報告書を作成しなければなりません。報告書には、開会式の『おはようございます。』から一言一句の記録が記載されていました。教員がこういったことに膨大な時間とエネルギーを費やすのは大きな無駄だと思いました」

一部の研修会・研究会は、教員同士の意見交換でイノベーションを起こすという本来の目的を見失い、形骸化しているのかもしれない。

改革進める民間人校長には「早く去ってほしい」という雰囲気

高野さんが違和感を感じたことがもう1つ。それが「鍋ぶた型」の組織形態だ。校長と教頭がちょこんと上に飛び出しているだけで、ほかの教員は主任も新任も横一列で平等。「教員の多くは社会経験に乏しく社会の現実に疎い状態だった」と高野さんは評する。

「例えば、入学式には県教育委員会の方やPTA会長など来賓の方々、保護者の方々など列席者もいらっしゃいます。しかし、司会進行役の教員は『一同起立、一同着席』と号令をかけるんです。翌年からは『皆様、ご起立ください』に変えてもらいましたが、敬語や丁寧語が使えない教員が多く、年上の保護者にもこうした配慮がない点は違和感でしたね」

「鍋ぶた組織」では、新任教員も初日から「先生」と呼ばれ、先輩や上司に当たる人から注意されたり、起案文書を修正されたりすることがほぼないという。また生徒がスポーツ大会などに出場するとなると、OB・OGや保護者、地元商店街の方々などから差し入れをもらうこともある。それに対して「一言、『今回は決勝戦まで勝ち進むことができました。貴重な差し入れをありがとうございました』と電話でも入れるのが社会人の礼儀作法だと思うのですが、そうしたこともいっさいない。1つの例ですが、やってもらって当たり前、と考えているような気がして、問題だと思いました」と高野さんは振り返る。

校長を務めた期間、高野さんはできる限りの改革を行った。会議は極力少人数で行うようにし、「職員会議万能主義」から小集団専門チームでの検討方式に変えた。民間企業でいう部長会や課長会のイメージだ。鍋ぶた組織を緩やかなピラミッド組織に変え、会議資料の簡素化や会議時間の短縮化も進めた。「ただ、個別の学校現場で完結する改革も多いが、それ以上に県全体・国全体から変えなければ難しいことも多かった」と悔しさをにじませる。

前述した研修会・研究会などは、県や全国レベルでの統一的な改革が必要だ。「頭では変えたほうがいいと理解できていても、やはり前例踏襲のほうが楽。変化を避けて現状維持を選ぶ人たちにとって、私のように変革を試みる民間人校長は『早く去ってほしい』というのが本音の多くだったように思います」と高野さんは当時を冷静に思い返す。

教育現場だけが突出して多忙なわけではないはず

「もちろん、民間企業のやり方がすべてよく、学校のやり方がすべて駄目ということではありません」と前置きしたうえで、高野さんは学校運営の問題点を次のように指摘する。

「教員の多忙さが話題になっていますが、世の中全体を見回してみてください。忙しく働いている人は山ほどいます。教育現場だけが突出しているわけではありません。教員の多忙化解消のためとして部活動を学校から切り離すような最近の風潮には、もっと慎重な対応が必要だと感じます。学校が主体性を手放して子どもたちが指導者に恵まれなかった場合、外部の勢力に振り回される悲劇的な状況に陥る可能性もあります」

問題は、環境が変わっても前例を踏襲し続ける仕組みだ。部活動を担当する教員とそうでない教員がほぼ横並びの給料や待遇である状況は「どう考えてもおかしい」と高野さんは話す。得手不得手を加味した評価基準の設定が必要だろう。

「大企業などがない地方ではとくに、正規の教員はある意味で特権階級なんです。極めて恵まれた休暇制度などがあり、その制度を成り立たせるために、劣悪な待遇で働いている非正規教員が存在する。教員にはもっと下積み期間を経験させて社会についてよく知り、こうした現状にも考えが及ぶ人であってほしいものですね」

高野さんが校長の任期を終えるとき、教育委員会から「民間人校長制度」の成果として教育現場の改善に意見を求められることはいっさいなかった。それどころか、後任の校長には教育委員会の幹部が送り込まれていた。いったい改革はどこまで進んでいるのか……高野さんは今でもスッキリしない気持ちを抱えている。

(文:中原美絵子、写真:Fast&Slow / PIXTA)

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