大人と子どもで異なる、勉強に対するイメージ

「勉強」と聞くとどんなイメージを持たれるでしょうか。多くの方が、つらく苦しかった経験を思い出したり、今でも緊張を覚える気持ちを感じたりするのではないでしょうか。

もしかすると、勝ち上がってきた栄光を懐かしむ方もいるかもしれません。どちらにせよ、その多くが「受験勉強」のようなシーンを想起するような気がします。そしてほとんどが「苦行だったけれどやってきてよかった、大切なもの」と思われているのではないでしょうか。

一方、子どもはどう思うかと聞くと、ほとんどが「嫌だけど、やらなきゃいけないもの」と考えているようです。

2020年の12月に文部科学省から、19年に実施された国際数学・理科教育動向調査(以下、TIMSS)の調査結果が公表されました。TIMSSとは、小学校4年生と中学校2年生を対象に、およそ50の国や地域が参加する、算数・数学および理科の到達度調査です。その中の質問紙調査で、「算数・数学の勉強は楽しい」と答えた児童生徒の割合は小・中ともに国際平均を下回り、「理科の勉強は楽しい」と答えた子の割合は、小学生では平均を上回りましたが、中学生ではやはり下回っています。

この調査の興味深いところは、日本の小・中学生の算数・数学や理科の点数が、小・中学校すべての教科で5位以内に入っているという事実です。どうやら「できないから嫌い」なわけではないということです。理解度は高いにもかかわらず、中学生に聞いた質問紙調査では「数学・理科を勉強すると、日常生活に役立つ」「数学・理科を使うことが含まれる職業につきたい」と答えた生徒の割合が、すべての項目で国際平均を大きく下回っています。どうやら日本は世界的に見ても突出して「勉強が苦行」と考えている国といえそうです。

申し遅れました、蓑手章吾です。公立小学校で14年間担任を務め、昨年の3月に職を辞して、現在オルタナティブスクールのHILLOCK(ヒロック)初等部をつくっています。22年4月に東京の世田谷区に開校、私は校長を務めます。

蓑手章吾(みのて・しょうご)
HILLOCK(ヒロック)初等部 校長
公立小学校で14年勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設(22年4月開校予定)。専門教科は国語。特別支援学校でのインクルーシブ教育や発達の系統性、学習心理学に関心を持ち、教鞭を執る傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士号を取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な東京・小金井の前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任するなどICTを活用した教育にも高い関心と経験を持つ。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)、共著に『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)などがある

私にとっても子どもの頃から「勉強が苦行」でしたし、正直ほとんどやってきませんでした。教員になってからは、そんな自分の経験から「勉強の面白さを伝えたい」という思いで、一風変わった授業を模索してきました。昨年2月に出させていただいた『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)でも紹介しましたが、「同じ教室に小2の算数をやっている子もいれば高3の数学をやっている子もいて、それぞれが友達の成長を喜び合える授業」を実践してきました。ほかにも、新型コロナウイルスによる一斉休校中には3カ月間のオンライン学習を展開したり、プログラミング学習を先駆けて発信したりと、自由に楽しく先生をしてきました。

公立学校には踏み入れられない「しがらみ」がある

持ち前の運のよさもあって、かなり自由にやらせてもらってきたのですが、それでも公立学校には踏み入れられないしがらみがありました。評価があること、授業時数が決まっていること、教科書に沿わなければならないこと、足並みをそろえなければならないこと。

これらは単に文科省や教育委員会だけの責任ではなく、各ステークホルダーの事情が複雑に絡み合って生まれている現象でもあり、だからこそ難しい問題でもあります。

何より、公立小学校でいうと「子どもも、親も、学校も、教師も」教育を選べないということ。日本のある家庭に生まれた子は、満7歳の年になる4月に、地域の公立小学校の1年次に半強制的に入学させられるわけです。もちろん、私立や国立など、完全に選択肢がないわけではありません。しかし、現実に小学校の約99%は公立であり、無償ということも手伝って「公立を選んだ」という自覚はほとんどないのではないでしょうか。まだ私が公立の現場にいた頃、保護者の方のこんな言葉を耳にしました。

「私は好きこのんで、この学校に子どもを通わせているわけではない。この学区に家があるから、仕方なくこの学校に通わせているんだ。だから、普通の教育をしてほしい」

私が直接言われた言葉ではありませんが、この言葉を聞いたときに「なるほどなぁ」と感じてしまいました。親としてはそういう気持ちにもなるよな、と。

このシステムの中では、自分が自由に教育実践をすることで、意図せずして誰かを傷つけてしまいかねない。それでも「子どもが学びを楽しめる場」を実現してみたい。小学校に選択肢を生み出すことで「子どもも、親も、学校も、教師も」もっと幸せになれるはず。そんな思いから、安定を捨てて学校をつくる決意をしました。

勉強が苦行なのは「学校システム」の責任

今回の副題は「学びを捉え直す」です。そもそも学びとは、脚色して楽しくするものでも、価値づけをして意味を持たせなければならないものでもなく、単純に、生物的に心地よいものだと信じています。

地球上に住むあらゆる生物は「種の保存」がDNAに組み込まれていて、そうなるためには「成長」を「快」と結び付ける必要があったわけです。例えば、自然界の動物を見ていると、誰が押し付けるでも、意義を説くでもなく、喜々として動きを学び、狩りの仕方を覚え、棲みかの作り方を会得します。

これらは人間もまったく同じです。赤ちゃんを見ているとわかりますが、彼らは誰が押し付けなくても言語を話すようになるし、危険を冒してまで歩こうとするのです。誰一人として、将来のために言語を学習したり、我慢して歩く練習をしたりする赤ちゃんなんていませんよね。成長や学び、勉強は、そもそも楽しくて仕方がないようにDNAに組み込まれているものなのです。

にもかかわらず、「勉強が苦行」で当たり前と考えてしまっているのは、おそらく学校システムの責任だと思うのです。よい大学、よい会社に就職することが幸福の一本道だと信じ込み、不安と競争の災禍に勉強や学びを位置づけてしまったがゆえの、いわば「誤学習」といえるのではないでしょうか。これはあくまで私的な仮説ではありますが、その答え合わせをするためにもヒロック初等部を立ち上げようと思ったのです。

順位づけも競争もない。授業時数や到達度の縛りもない。内容も、子どもの興味関心を出発点にし、子どもたちは互いの年齢さえ気にならない。そんな学びの空間をつくり上げれば、きっと人は誰しも「学びたくて仕方ない」という本来の姿に戻るのではないでしょうか。

そんな学びの場をつくりたくて仕方ない教育オタクが、連載をスタートさせていただきます。読者の皆さんと共に「心地よく」学び合い、成長していきたいと考えています。

(写真:蓑手氏提供)