投稿者:藤田英人(仮名)
年齢:39歳
勤務先:公立小学校

「誰が受け持ってもうまくいかない子ども」を任されて

小学校で教員を務める藤田さんは、対話を重視する民主的なクラス経営をモットーにしている。子どもの話をよく聞き、新しい手法も熱心に研究する姿勢は周囲からも信頼を得ており、校長との関係も良好だった。

その手腕を見込まれてのことだろう。藤田さんはある年、誰が受け持ってもうまくいかない子どもを任されることになった。暴力的なその子どもを力で押さえ込もうとした教員もいたが、あまりいい結果は得られていなかった。

「高学年になった彼を、少しでもいい形で中学校の先生に引き継ぎたい。校長はそう考えて、『子どもの心を耕す』ことを望んだのだと思います」

自分ならやれる、などと思っていたわけではない。ただ、必ず誰かがやらなければならないことだと思い、藤田さんはその担任を引き受けた。ほかの教員たちからも「困ったら助ける」と言われていた。しかし現実は、想像以上に厳しかった。

「その子どもが一日中暴れて手がつけられず、教室にいられないこともよくありました。おとなしく教室にいるかと思えば、今度は教員のすべての発言に口を出してきて、授業をことごとくつぶしてしまう。スライドを用意すれば比較的静かに見ていられることがわかったので、そこからは全授業のスライドを作ることにしました」

ストレスと膨大なスライド作成のために、早くも4月の時点で、藤田さんはほとんど眠ることができなくなった。

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(写真:aijiro / PIXTA)

ある日の教室で、藤田さんはその子どもが炎の強いターボライターを持っているのを見つけた。どこで手に入れたのかと聞くと、子どもは「店から盗んできた」と答えた。

「これは警察にも、君の家族にも知らせなければいけないことだ」

藤田さんがそう言うと、子どもはいつになく必死な様子で「頼むから家には言わないでほしい」と懇願してきた。何かあると思った藤田さんが「本当のことを話すなら、ライターはこちらで預かっておいてもいい」と言ったところ、彼は家庭での虐待を打ち明けた。

「家でどんな目に遭っているかを、子どもはせつせつと語りました。日常的に親からの激しい暴力にさらされており、『このことが知られたら、きっと自分は親に殺されてしまう』と言うんです。普通に生きていると、それほど苛烈な暴力に触れることなんてありませんよね。単純に恐怖を覚えたし、どうしていいかわからなくなりました」

必死で勉強してたどり着いた結論「ああ、無理なんだ」

もちろん虐待のことは校内で共有し、校長やスクールソーシャルワーカーとも連携して、学校は可能な限りの措置を講じた。藤田さんは校長に「自分にはもうできない」と辞意を伝えたが、「あなたが辞めたらこの子どもは終わる。もう少し踏ん張ってほしい」と引き止められた。子どもが暴れたら教室から締め出していいとも言われた。

だが藤田さんは、そうはしないと決めた。「教員を続けるのなら、子どもに対して『君を引き受ける』『こちらはあきらめない』というメッセージを送りたかった」からだ。

「今振り返れば、やるべきことはやったと思うし、一定の評価をしてくれる人もいました。子どもの表情も少しずつ柔らかくなって、最後は彼を中学校の先生に引き渡すところまでやり切りました。でも表面的には教室はずっと荒れ続けていて、当時は本当につらかった。客観的にクラスを見ることなんてできませんでした」

子どもの虐待を知ったとき、藤田さんは専門書を読み漁り、研究者に直接会いに行き、教員がこの問題に立ち向かう方法を探した。その結果、さまざまな知見を得た。例えば、教員の2次受傷についてだ。

「被虐待児の感情を追体験した場合、とても強いストレスを受けるのは大人でも避けようがないことです。さほどの心の準備もない状態で衝撃的な告白をされ、自分がショックを受けたのは仕方ないことなのだと理解しました」

また、教員が加害者になりかねない危険性があることもわかった。暴力的な環境にいる子どもは、さらなる暴力を自ら呼び込んでしまうことがあるという。

「愛着形成に問題がある子どもは、あえて大人の怒りを煽るように振る舞うことも少なくありません。高学年にもなれば、どんな言動が教員の逆鱗に触れるかもわかっている。挑発に耐えかねて手を上げてしまう人がいてもおかしくないと思いました。教員はつねに、自分がこうしたリスクの中にいると認識すべきです」

だが、藤田さんがたどり着いた結論は、あまりにも虚しいものだった。

「必死で勉強して思ったのです――『ああ、これを教員が解決するのは無理なんだ』と。もし誰かが解決法を知っているなら、日々報道される虐待の事件もなくなるはずですよね。これは誰も打つ手を持たない社会的な問題であり、教員や学校だけで扱えるものではないのです」

子ども家庭庁の調査(「令和4年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数(速報値)」)によれば、2022年度中に全国の児童相談所が対応した相談件数は22万件に迫り、過去最高となった。

公立の学校は地域福祉の拠点としての側面もあり、こうした問題を見つけ、防ぐことも求められている。文部科学省でも虐待対応の手引きを用意しているが、藤田さんを精神的に支えるに足るものではなかったようだ。年度が変わって違うクラスを受け持っても、心の傷はなかなか癒えなかったと言う。

真摯な先生ほどダメージ受ける「自分を責めないで」

子どもと向き合う苦しみに苛まれ、力量が足りないのではないかと自分を責め、教員が辞めてしまうところまでが「虐待のメカニズム」だと藤田さんは語る。だからこそ「ここで自分が辞めても、次の先生が辞めるだけだ」と思い、歯を食いしばって耐えたのだ。

「子どもの問題行動の裏には、多くの場合、家庭や社会の根深い問題が隠れています。本来は教員の力だけで解決できないことが、学校の中で、いじめや教室崩壊として溢れ出てくる。そのすべてが学校の責任になってしまうのですから、みんな怯えていると思います。たとえ今年は平和なクラス運営ができたとしても、それはたまたま、自分が受け持っている間には誰の問題も溢れ出ることがなかっただけ。学校ではつねに、紙一重の時間を過ごしているのだと思うようになりました」

打つ手がない問題が教室で生じたとき、最も穏便に済ます方法は、見て見ぬふりすることだと藤田さんは言う。あるいは力で押さえ込むこともできるかもしれない。だが、管理的・威圧的な指導で子どもが変わったとしても、それは「教員の力」によるものだ。「子どもの力」が伸びているわけではないので、教員が変われば問題は再発すると指摘する。

「保護者でも教員でも、『先生さえよければ子どもは変わる』と言う人がいます。それでは属人的すぎるし、『先生次第』という発想は、問題が起きたときにすべてを教員の責任にすることにも通じるものだと思います」

学校と教員の限界を感じてボロボロになったものの、今はこの経験から得たことを伝えたいと思うようになった。そんな自分を、藤田さんは「生還者」と表現する。

「再起不能になって辞めていった先生は、こんなふうに過去を振り返ることもできないと思います。私はどうにか生き残ることができましたが、残念ながら、子どもと真摯に向き合おうとする先生ほど、こうした問題で大きなダメージを受けやすい。退職せざるを得ないほど追い込まれた先生こそ、本当に学校に必要な人たちだったのではないでしょうか」

今も苦しんでいる人に藤田さんが伝えたいのは、「自分を責めないでほしい」ということだ。また、学校の内側を向いて、関係者が互いを責めることもやめるべきだと続ける。

「心ある先生が学校を辞めなくて済むようにするためには、社会全体が変わる必要があります。報道のあり方や受け止められ方だってもっと変わっていい。先生や保護者が目を向ける場所を変えないと、終わりのない泥仕合が続くだけです。学校の問題を社会の問題だと捉えてもらうためにも、内側で責任を押し付け合っている場合ではないはずです。一番大切なのは子どもなのですから」

(文:鈴木絢子、注記のない写真: Peak River / PIXTA)

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