宿題が原因で親子げんかになってしまう…
今回のテーマは宿題です。この記事を書こうと思ったきっかけは、ある小学1年生の保護者の方の話を聞いたことからでした。そのお子さんは、漢字の書き取りがあまり好きではなく、入学当初、家庭で宿題をさせるのも一苦労だったそうです。なぜ嫌なのかを聞いたところ、「きれいに書けていないと昼休みに書き直しをしなくてはならず、お友達と遊べないから」と。
お母さんは、子どもの気持ちに共感しつつ、それでも宿題はさせなくてはならないため「その子の夢である飼育員さんになるためには、字をきれいに書けるとどんないいことがあるか」を一緒に考え、「看板の文字がきれいに書けていないとお客さんが読めない」と子どもが気づいて、書き取りの宿題もするようになってホッとしたと話してくれました。
宿題をする意味から考えさせるこのお母さんのアプローチはすばらしいなと感心していたのですが、2学期になり事情が変わっていました。
毎日同じように出される書き取りや計算の宿題が、家庭の中で結構なストレスの種になっていたのです。そこで、お母さんが先生に相談したところ、「そんなものですよ、宿題って」という回答だったそうです。
でも本来は学ぶって楽しいことのはず。「このままでは子どもが勉強は楽しくないものだと思ってしまう。それでいいのか。宿題の目的は何なのか」を考えて、先生に相談。漢字を覚えて書けるようになるのが目的なら、やり方は工夫させてもらいたいとお願いして、子どもと相談しながらやり繰りしていると話してくれました。宿題は、子どもにとって楽しくないものになっていてやりたくない。でもやらなければならないものだから、親もどうにかしてやらせようとする。
また、「宿題をするかどうかは子どもの問題だ」と割り切ったとしても、やらないまま行かせたら親の責任になってしまいかねない。やらなくてはならないことをやらないというのもよくないから、子どもと話し合いをしたり、ルールを考えたり、宿題が原因で親子げんかになってしまう。こんな光景は、日本全国の家庭で繰り広げられていることでしょう。
こなすだけになっている宿題は、本当に必要なのか
その試行錯誤にも意味がなくはないけれど、「主体的・対話的・深い学び」が重視され新しい学力が求められる中で、一律に出される宿題は効果があるのだろうか、そもそも宿題を出す意味や目的は何なのか考えてみようと思い、まず宿題の実態を取材することにしました。
まず、小学校の先生に話を聞きました。驚いたことに、取材をした先生は口をそろえて「理想は、宿題なしだ」と言います。本来家庭学習は、自分が学びたいことや、授業を受けて興味を持ったことをさらに深めるためにするものだと思いながらも、毎日宿題は出しているのだそう。目的は「学習の定着を図るため」がいちばん多く、定番は書き取り・計算ドリル・音読。大体15分くらいで終わるものを出していると言いますが、かかる時間は子どもによって差があるかもしれません。
中には、自学という宿題を出している先生もいました。これは、自分でやることを決めて何かしらに取り組みノートにまとめるというものです。子どもたちは、いろんなテーマに取り組んだという先生がいる一方で、多くは算数や国語が多くなるという声もありました。
面白いことに、話を聞けた先生は皆さん子育て中の親で、「学校の様子がわかるから子どもの宿題を見るのは楽しみだ」という声もあった一方で、「一親としては、こなすだけになっている宿題が本当に必要かは正直疑問だ」という人が大半でした。
また、ある先生は、自分の子どもには「宿題は 『約束を守る練習』 『締め切りを守る練習』 『信頼を積み重ねる練習』だ」と伝えていると話してくれました。確かに、そういう意味もあるのでしょう。けれど、本来「学び」ってわからないことをわかりたいという欲求から出てくるもののはず。できれば、家庭学習の時間が、子どもが「やりたい!」と思って勉強をする時間になってほしいですよね。
宿題の効果については、さまざまな研究があり、毎日のように出る宿題をやることにより、学習習慣の定着が図れるというメリットがある一方で、宿題の量と学力には、相関関係がないという調査結果もあります。
学校の授業で学んだことを家庭学習で定着を図り、その結果を分析して授業に生かすというループが回って初めて効果があるのでしょうが、先生にとっても毎日の宿題チェックはかなりの負担になっているようです。皆さん、朝や昼休みの時間を削ってこなしているのが実態。朝から晩まで、本当に休憩する間もなく仕事をされている先生の働き方改革という意味でも、宿題が再考される時期にきているのかもしれません。
でも、「宿題を出してほしい」という保護者もいて、先生としてはそういう声は無視できない。「宿題を出さないと、学力の定着が図れない子どももいる」「どんな宿題を出すかは個人の裁量だけれど、学年である程度内容や量をそろえる必要がある」など、さまざまなジレンマを抱えながら、「宿題は出すもの」というのが今の日本の公立小学校のスタンダードになっているようです。
一斉一律に出される宿題について問い直すことが必要では?
では中学校ではどうなっているのか、ある公立中学校の教頭先生に話を聞きました。「新学習指導要領で評価の観点が変わり『学びに向かう姿勢』『主体性』『人間性』を見ていかなくてはならないが、現状は、宿題や提出物など従来の評価の観点から脱しきれていない」と言います。
中学校は高校受験にその評価が使われるので、ペーパーテストの見える学力による評価が重視される傾向にあります。また、全国学力テストの結果を重視する自治体もあり、それが教師の足かせになり、本来行われるべき、教科書で学んだことをどう地域の課題解決につなげていくのかという探究学習がなかなか進まないのが実態のようです。
そんな中で、その教頭先生は、「目指すべきは、子どもたちが自学できるように、学び方を学ぶ教育を行っていくこと。そのために必要なのは宿題ではなく、課題を出すことだ」と言い、そんな授業を工夫されているそうです。まさに、学校で学び方を学べば、社会に出てからも学び続けることができます。
本来、知らなかったことを知ることは人の喜びであり、学校に上がる前の子どもたちは「知りたい!」 という意欲と好奇心の塊です。でも、真新しいランドセルを背負って、ワクワクしながら学校の門をくぐった子どもたちの多くが、「勉強は楽しくないもの」「しなければならないもの」だと思うようになり、どんよりとした顔になって卒業していくとしたら、本当にもったいない。
個別最適化とか、ICTの活用とか言われ、教育を変えようという機運もある一方で、現場は従来のスタイルから抜け出せていないという印象を今回の取材でも持ちました。
宿題を廃止した岐阜市立岐阜小学校の記事にもありましたが、日本の教育現場で今さまざまな課題が噴出している中で、「自ら学ぶ力の育成」と「働き方改革」の両面から、子どもたちにとっても、先生にとっても学びを意味のあるものにしていくために、これまでそうだったからではなく、一斉一律に出される今の宿題について問い直すことが必要な時期にきているのかもしれません。
そのためには、先生だけでなく、保護者も、子どもも一緒になって、「宿題」をテーマに対話し、当たり前を見直す機会をつくれないか。今回の取材を通してそんなことを思いました。このサイトの読者は、先生・保護者などさまざまだと思いますが、この記事が、「宿題」について考えるきっかけになればと思っています。
(注記のない写真:タカス / PIXTA)