ベンチに誰もいない
昨今さまざまな業界で人手不足だが、学校の先生のなり手不足もたいへん深刻だ。全国公立学校教頭会の調査によると、2022年度は約2割の公立小中学校で欠員が発生していた。欠員、あるいは教員不足とは、本来は配置される予定だった教員が配置されていない状況を指す。予算のせいではなく、先生になってくれる人が見つからないためだ。
私が参加している「#教員不足をなくそう緊急アクション」の調査でも2022年度、2023年度ともに、年度はじめよりも後半になるにつれて、教員不足が拡大している傾向を確認している。産育休や病気休職で空きが出ても、講師バンクは底をついており、年度途中から学校で働いてくれませんか?と言われても、都合のつく人はいないためだ。
スポーツチームに例えると、本来バックアップ要員としてベンチに控えておいてもらうはずの選手(非正規の教員)を4月当初からスタメンとして使っていて、ベンチに誰もいない状態、それがいま全国各地で起きていることに近い。
そんなに人がいないなら、ICTを活用すればいい?
どうしていけば、よいだろうか。特効薬があるわけではないが、1つの案は、なるべく人手に依存しない仕組みや仕事にしていくことだろう。企業でも無人レジなどの工夫は増えてきた。
例えば、全国約2万校近くもある小学校の各教室で、個々の教員が「ごんぎつね」の授業をする必要はあるのか? うまい先生の動画を活用してはどうか。そんなアイデアが政治家や評論家の一部から、たまに出てくる。
これは、ICTの活用という点で一理あるが、単純にいく話ではない。動画教材や学習アプリを使って自律的に学習できる子はいいが、そういう子たちばかりではないからだ。大人だって、やってみれば実感するはずだ。いくらコンテンツやツールが身近にあっても、学び続けるのは難しいと。ICT任せだけでは、動機づけとしては弱い場合も多い。
確かに、独学や自分のペースで学びを進めることのよさもあるが、学びには子ども同士や教員と子どもとの間の相互作用も重要なので、リアルに分がある。とりわけ、探究的な学びでは動画教材やアプリだけで済ませるのは難しいだろう。
つまり、もう少し教員依存ではないやり方や学びのあり方を模索していく余地は大いにあるとはいえ、一定の教員数の確保は必要ということだ。では、先生になってくれる人を増やすには、どうすればよいだろうか。
採用試験前倒しはマイナスのほうが大きい?
公立学校の場合、採用を担当しているのは、都道府県と政令市の教育委員会だ(大阪府豊能地区は協議会)。各地の教育委員会は、あの手この手で採用試験の受験者を増やそうと工夫している。そのよさはある一方で、気がかりなところもある。
1つは、文部科学省が旗を振って進める採用試験の早期化の動きだ。といっても、従来よりも1カ月早める程度であり(一次試験が6月という自治体が増える)、民間就職と比べれば内定が出る時期は遅いままなので、効果は薄いのではないか。
しかも、4~6月の試験対策の重要時期は、学校が1年のうち最も忙しい時期とかぶっているので、講師として学校で勤めながら採用試験対策をするのは、いっそう厳しくなるだろう。中途半端な前倒しは「講師泣かせ」なのだ。そうなると、講師になりたいという人はさらに減り、冒頭で述べた教員不足、講師不足がいっそう悪化してしまうマイナス影響のほうが大きいかもしれない。
また、学部3年生から受けられる自治体も出てきた。これは学生から歓迎されているとも聞く。ただし、腕試しに受けて、あとで本命(別の地域の教員採用だったり、民間就職だったり)が受かれば、辞退者が続出する可能性もある。プラス、マイナス両面があるので、今後も注視していく必要があるし、特効薬にはなり得ない。
魅力発信ばかりで大丈夫?
次に考えたいのは、各地の広報、情報発信についてだ。試しにご関心のある方は「〇〇県 教員採用」と検索するか、YouTubeで「先生になろう」などと打ち込んでみてほしい。
美しい景色などの地域のPRとともに、現職の先生たちの声などを紹介しつつ、教員の仕事の魅力、やりがいを強調するリーフレットや動画がたくさん見つかる。各自治体の教育委員会が作ったプロモーションだ。現役の若手の先生らが登場して「先生になってよかったことは何?」「どんなときにやりがいを感じますか?」といった質問に答えていくのが定番だ。
これらが無駄だとは言わないが、かなり一面的ではないだろうか。少々押し付けがましいと感じる人もいるかもしれない。
参考になる本がある。ロレン・ノードグレン、デイヴィッド・ションタル『「変化を嫌う人」を動かす: 魅力的な提案が受け入れられない4つの理由』(2023年、草思社)では、次の一節がある。
イノベーターたちは魅力を高めるための「燃料」ばかりに注意を向け、方程式のもう半分――自分たちが生み出そうとしている変化に逆らう「抵抗」――をなおざりにしている。「抵抗」とは、変化に対抗する心理的な力だ。「抵抗」はイノベーションの妨げになる。そして、考慮されることはめったにないが、変化を起こすにはこの「抵抗」を克服することが不可欠だ。(pp.13-14)
この本は企業のビジネスパーソン向けの話がメインだが、日本の教員採用についても似たことが言えると思う。文科省や県教委等のリーダー・担当者は、燃料ばかりくべようとする「魅力の法則」に囚われているように思えるからだ。
もともと教員志望が強い学生や社会人なら、特段の施策は必要ないが、教員採用試験を受けるかどうか、あるいは試験に受かっても教員になろうかどうか迷っている人にとって、教職の魅力をPRするだけでは、多くの場合、心は動かないだろう。
なぜなら、程度の差はあれ、先生という仕事のよさ、やりがいについて知っている学生などがほとんどだからだ。そうでないなら、必要単位数も多いし、3~4週間の教育実習まで必要だし、試験対策の勉強も必要な教員採用試験を受けようかどうか迷う段階まで来ない。もっと前に、教職課程の履修から脱落(離脱)したり、民間就職に舵を切ったりしている。
つまり、やりがいPRは完全に無駄とまでは言えないものの(再認識するケースや新しい視点を知るケースなどもある)、わかっていることを伝えているに過ぎないので、効果は薄い。
4つの「抵抗」に着目する
文科省や県教委などの職員もとても忙しい。ちなみに教員採用は、各教委の教職員課(あるいは教職員人事課)が担っていることが多いが、この部署は教職員の不祥事対応もしているし、教職員定数も扱っているし、教委の中でトップクラスに忙しい部署だ。
教育行政職員の貴重な時間や労力を、効果があやしい魅力発信などに費やすよりも、別のところにもっと振り向けるべきではないだろうか。先に引用した「抵抗」に注目していく必要がある。
「抵抗」とは「惰性」「労力」「感情」「心理的反発」という4つに分類できるという。それを参考に、私なりに整理してみた。以下のような学生や社会人の不安、本音が「抵抗」に該当しそうだ。
1. 「惰性」:自分がなじみのあるところにとどまろうとする欲求
・なじみのある地域で働きたい。住んだことのないところで就職するのは不安がある。
※実際、浜銀総研が大学4年生向けに行った調査(2022年2月、3月実施)によると、どの地域の教員採用試験を受験するかについて、「実家がある(近い)」という理由が断トツ1位だった。
・先に内定をもらった民間企業では、懇談会などで親しくしてもらったので、教員採用試験はもう受けなくていいと思う。
2.「労力」:変化を実行するために必要な努力やコスト
・教職課程でたくさんの単位を取るのは大変だし、教育実習や介護等体験でさらに忙しくなるのはイヤだ。
・教員採用試験対策は大変だし、面倒くさい。
・民間の就活やほかの公務員試験対策と教員採用試験対策を同時にやるのは、スケジュール的にも厳しいし、疲れる。
3.「感情」:提示された変化に対する否定的感情
・先生になると、4月からいきなり学級担任や部活動顧問をもたされて、うまくやっていけるだろうか。不安しかない。ややこしい保護者にあたったら、どうしよう。
・学校の先生は忙し過ぎて、休日もゆっくり休めないと聞く。私はプライベートも充実させたい。
・働いても働いても残業代が出ないなんて、理解できない。
・教育実習に行って、やはり私にはムリだと思った(ハード過ぎたり、職員室の雰囲気が悪かったりして)。
・親に「学校の先生は大変だから、やめておきなさい」と反対された。
4.「心理的反発」:変化させられるということに対する反発
・大学から「教員採用試験を受けろ」と繰り返し言われて、うんざり。あなた方の評価のために、私の就活があるわけではない。
もちろん人によっても異なるが、こうした「抵抗」がかなり影響している可能性は、いくつかのデータで傍証できる。
愛知県総合教育センターが愛知県内6つの大学の学生向けに実施したアンケート調査(2021年4・5月実施)では、教職を希望していたが、取りやめた理由をたずねている。「ほかにやりたい仕事が見つかった」については仕方がないとしても、とくに「休日出勤や長時間労働のイメージ」と「職務に対して待遇(給与等)が十分でない」が多い。また、「授業ができるか」や「保護者とコミュニケーションが取れるか」「要望や苦情への対応」への不安も大きい。
また、前述の浜銀総研調査によると、「教員免許取得のために1科目以上の単位を取得したが、免許取得には至らない」と回答した学生の理由として、教職以外の志望度合いが高まったことや履修の負担(単位取得が困難等)に加えて、「職場環境や勤務実態に不安を持ったから」という回答が多い。
「抵抗」を少なくする、不安解消を急げ
文科省も各教委も、こうした「抵抗」をなるべく少なくする施策を打っていく必要がある。一言でまとめると、魅力発信よりも不安解消が先決だ。
例えば、山形県教育委員会は、1年目の新採教員をなるべく副担任からスタートできるようにしている(比較的規模の大きな学校に限ったものだが)。他所では、小学校などはこの4月に赴任していきなり担任をするので、かなりたいへんだ。ただし、こうした取り組みを自治体の工夫や裁量とだけ見なすのではなく、国としても、教員定数を改善して、制度的にも財政的にも後押しすることが重要だと思う。
不安の大きい労働環境については、各教委も働き方改革の状況について情報提供している例は少なくないが、「サポートスタッフを置いています」「夏休み中は閉庁日を設けて休みを取りやすくしています」といった内容が多い。そうした取り組みや情報だけで学生らの不安にどこまで応えられているのか、疑問だ。例えば、「夜遅くまで残って仕事をされている先生もいますが、職員のほとんどが18時には退庁している学校も〇割くらいあります」といった情報を出してはどうか。
また、「理不尽なクレームに対しては校長らが対応しますし、それでも難しい事案には教育委員会が弁護士の協力のもと対応し、みなさんを守ります」と言ってはどうか。
残業代をはじめとする給与、処遇については、どのような制度が望ましいか、また実現可能なのか難題だが、民間等で初任給の引き上げなどの動きもある中、公立学校に優秀な人材を引き留める(もしくは呼び込む)うえで、今の制度や水準で十分とは思えない。
ちなみに、次の図は、東京都の公立学校教員の賃金カーブの例だ。40代、50代の給与水準を高いと見るか、安いと見るかは人それぞれだろうし、給与うんぬんだけでなく業務負担の軽減も必須ではあるが、雇用や福利厚生も安定した公務員という職業で、この水準は「大変低く、頑張りがまったく報われない職だ」とは、言えまい。
もっとも、これは正規職のもので、非正規教員や教員以外のスタッフについては別途検討していく必要がある(関連記事)。学生等にこうした情報共有も必要ではないだろうか。
もちろん、学生や社会人が教員を就職先、転職先として考えるうえで、ひっかかっていること、「抵抗」のあることの多くは、一朝一夕で解決、解消するものではない。教育行政は、魅力ややりがいを強調するよりは、こうした課題にあらためて向き合うとともに、確実によくなっているところはあるのだから、その進捗を共有して、今後の方針や取り組みを述べていったほうが、人材獲得に効果があるのではないか。
問題に蓋をしようとしているのか、それともオープンにしてさまざまな人の力を借りながら取り組もうとしているのか、教育行政の誠実さと行動力を、学生たちも見ている。
(注記のない写真:Graphs / PIXTA)