教育は「快適さ」を提供するものではない
土佐兄弟・卓也(以下、卓也):蓑手先生は前編で、教育の発展を妨げる「抵抗勢力」の正体や、それを生み出す日本の社会構造など、学校教育のリアルをさらけ出してくれました。そんな蓑手先生はヒロック初等部でどのような授業を展開しているんでしょうか。
ヒロック初等部 校長・蓑手章吾(以下、蓑手):意外に思われるかもしれませんが、内容の半分は学習指導要領と重なると思います。ただ、取り組む時間や深さは児童によって異なります。例えば、宇宙飛行士になりたい子は天体に力を入れ、歌手になりたい子は音楽に集中する。少し極端かもしれませんが、いずれにしても、子どもたちには自分自身と向き合う時間が必要です。途中で「違うな」と思ったらやめてもいいので、まずは「なりたい姿」や「好きなこと」に没頭する時間をたっぷりつくりたいと思っています。
卓也:なるほど。確かに、自分の夢が明確で能動的な子にはよさそうです。ただ、まだ自分の興味関心が定まらない子や、やりたいことがない子も多いと思うんです。そういう子は、むしろ公立学校のほうが適しているんでしょうか。
蓑手:おっしゃるとおり、自分でやることを決めるのは非常に難しい。その原因は、これまでずっと課題を誰かから与えられてきたからです。では、この先も与え続ければよいのでしょうか――? 教育はその子の快適さにジョインするものではありません。いつかは自分で決める局面が来ますし、結局は自分で決めたほうが幸せですよね。その練習を学校でせずにどこでするのか?ということかと思います。子どもたちには、学校でいっぱい悩んで、たくさん失敗してほしいです。また正直、将来の仕事になるかは考えなくていいと思っています。仕事は時代とともに変わるものですし、むしろ自ら生み出せるものですから、その時代ごとに好きなことをマネタイズする方法を探せばよいと思います。
さらに言えば、「やりたいことがない子」なんて、本当はいないんじゃないでしょうか。子どもは、自分が置かれた状況や大人の考えを敏感に感じ取ります。彼らは小さいながらに、選んでよいものと選ぶべきでないものとを無意識に判別した結果「やりたいことがない」ように見えるだけだと思います。
いま、先生に求められる声かけとは
卓也:これ、たった今思い出したんですけど、僕、小2の時に吉本新喜劇に入りたいと思っていました(笑)。当時はまだ「芸人」という職業を知りませんでしたが、テレビで「よしもと新喜劇」を見た時、「うわ、これやりてえ」と確かに思ったんです。でもパッと周りを見ると、そんなことを言う人は1人もいなくて。とくに僕の学校は開成中や筑駒中など最難関校を目指す子が多かったので、「俺だけ外れることはできない」「これは自分の仕事ではない」と、7歳にして瞬時に夢にふたをしたんでしょうね。
あの時、学校の先生には背中を押してほしかったと思います。たとえ進学校でも、個々の先生が「周りに合わせなくていいぞ」「本当にやりたいことをやれよ」と言ってくれれば、子どもはもっと正直になれるはずです。
蓑手:とてもいい話ですね。昔は近所のおじさんや親戚のおばさんなど、子どもの周りにたくさん大人がいたので、多様な意見を聞くことができました。一方、今はコミュニティーの希薄化と核家族化が進み、子どもに関わる大人は親と教員くらい。身近な大人からこぞって「暇なら勉強しろ」「そんなことをやっても意味がない」と言われれば、子どもはすぐに納得してしまうでしょう。
卓也:僕は、自分の好きなことを大人に堂々と言えなかった感覚があります。だから、先生には子どもが何を言っても恥ずかしくない空気をつくってほしい。学校方針や授業体制は変えられなくとも、これは個々人の先生が簡単にできるのではないでしょうか。
蓑手:過去の取り組みで僕は、「スクールタクト(学校版SNSのような授業支援ソフト)」に児童の好きなものを投稿してもらっていました。ボカロでもアニメでも韓流アイドルでも、まずは安心して「好き」を表現できる場をつくるんです。友達の投稿を批判する子には、その場で話をするようにしました。また、コロナ禍の一斉休校中は、自分の好きなことをとことん追求してもらって、その成果をオンライン上で披露してもらいました。レゴで超大作を完成させた子もいれば、料理の腕を驚くほど上げた子もいます。そこに優劣はありません。友達の成長に刺激を受け、新しい世界を知ることこそ、まさに学校の意義なんですよね。そこで先生や友達に「すごいね!」と言ってもらえれば、子どもにとってはかなりの自信になります。学校はこういう場であればいいのに、と思います。
学校教育と家庭教育は連携できていない?
卓也:先生と親の間でも、「〇〇君はこれが好きなんですね」などと情報を共有できれば、よりスムーズなのではと思います。僕は、学校と家庭である程度コミュニケーションを取りたいと思うのですが、現状はあまり連携できていない印象があります。蓑手先生は、学校教育と家庭教育のすみ分けをどうお考えですか。
蓑手:おっしゃるとおり、公立小学校と家庭はほぼ連携できていません。幼稚園や保育園まではお迎えの時間で会話ができますが、小学校では年に数回の面談しか話す機会がないことも多いです。結果、学校に信頼を置けないという親御さんも増えてしまいましたが、今の公立小学校において、保護者に密にアプローチする余裕がある教員はほとんどいないと思います。
卓也:実際、各ご家庭の教育と学校の教育との間にはギャップを感じますか?
蓑手:かなり感じますね。親の中には「やられたらやり返せ」と言う方もいるし、「絶対に手を出すな」と言う方もいる。ほかにも「うそだけはついてほしくない」とか「何としても成績は下げたくない」などあまりに多様で、正直すべてには対応できないんです。結局、保護者のニーズは置いておいて「去年もやっているので……」と通してしまうのがリアルです。
卓也:僕には娘が2人いますが、蓑手先生にもお子さんがいらっしゃいますよね。
蓑手:はい。小2の長男と2歳の次男です。
卓也:ご自身の教育と息子さんの学校との教育にギャップを感じたら、どう対応されるんでしょうか。
蓑手:僕も学校側の人間でもあるので、「言われても迷惑」「処理できない」という事情はよく理解できます。とはいえ、僕の教育観と学校の教育にかなりのギャップがあるのも事実です。そこで実行していることが2つあって、1つは、登校するかしないかを息子に選ばせています。毎日、「今日は学校行く?」と聞いて、結果として1週間休んだ時期もありました。
もう1つ、宿題のやり方も選ばせています。実は、僕は宿題には反対なんです。家で宿題に時間を費やすくらいなら、家族としゃべったり、好きなことを突き詰めたりすべきだと思っています。実際、「宿題と学力の相関はない」と国際的な研究結果からもいわれているんです。「宿題によって忍耐力が養われる」という声もありますが、個人的には無関係だと思っています。むしろ宿題が生み出すのは、無意味な作業を強制されて勉強が嫌いになる子どもと、生産性のない仕事を持ち帰って家で残業することに慣れた社会人、この2つです。一刻も早くやめたほうがいい。
とはいえ、学校側への配慮は必要だと思います。先生にも立場がありますし、ほかの何十人もの児童を巻き込むのもよくないですから、「宿題を廃止しろ」とか「うちは絶対に提出しません」と言うことはありません。
卓也:な、なるほど。一理あるかもしれないっすね……。親はつい、わが子と先生の1対1の関係で捉えてしまいますが、先生は1クラス40人の生徒を見ていると思うと、ある程度折り合いをつけるべきかもしれませんね。小学校は密にコミュニケーションを取ってくれるものだと、過度に期待しちゃっていました。
先生が忙しすぎると、親の不満が爆発する
蓑手:もちろん、学校と家庭の連携は間違いなく大事です。公立学校ではなかなか手が回りませんが、多くの先進的な学校では親とのコミュニケーションをかなり重視しています。ヒロック初等部も、要望のある家庭には個別にオンライン面談をして「〇〇ちゃんのすてきなところはこういう部分ですよね」といった会話をします。勉強会や座談会も開催しているのですが、保護者会とは違って親にも気づきがありますし、学校側の考え方が変わることもあります。卓也さんのおっしゃるとおり、学校と家庭の連携は本来とても重要です。
卓也:親としてはオンラインで数分話せるだけで安心できますし、僕もLINEでいいからカジュアルに情報共有ができるとありがたいなと思います。
蓑手:そうですよね。まさにヒロック初等部はSNSのようなツールで親御さんとつながり、毎日授業の様子を写真付きで共有していますし、不安や疑問があれば気軽に送ってもらっています。場合によっては、「Zoomで話しましょうか」と誘導することもありますね。そこで気づかされたのが、公立小学校の親御さんには、こうした不安や疑問がずっとたまっていたんだなということです。そこに噂などが入ってさらにネガティブな解釈となり、「もう我慢できない」となってからしか、教員と話す機会がなかったと思います。
卓也:小さな不安や疑問でも、長い間放置されれば、大きな不満として爆発してしまいますよね。
蓑手:面談する頃にはすでに学校や教員に疑心暗鬼になっているケースも多いですから、本当は根本的な対策を練らなければいけませんよね。
世論を変える「1割の道」を目指して…
卓也:公立小学校をはじめ、日本の学校がヒロック初等部のように柔軟になれる日は来るんでしょうか。
蓑手:オルタナティブスクールを全国の学校の1割つくれれば、だいぶ変わると思います。実は、教育先進国と言われるオランダも、9割は普通の学校です。それでも、10人に1人はオルタナティブ教育を受けている。日本も、異なる選択肢を1割提供できればいいのです。本来、公立学校のあり方は教育の選択肢の1つにすぎません。多くの方は子どもが不登校になって初めてオルタナティブスクールを知り、「子どもが学校になじめないのは、育て方が悪かったからだと思っていた」とおっしゃいますが、選択肢の1つになっていれば、たとえその学校に合わなかったからといって、親が自分を責めなくても、お子さんが劣等であるわけではまったくないのです。
卓也:「普通の学校になじめなかったから特殊な学校に行く」という世間のイメージを変える必要があるんですね。
蓑手:そのとおりです。最近は、藤井聡太さんをはじめオルタナティブ教育を受けた方が目立つようになってきました。彼らのアーティスティックな才能をきっかけに、オルタナティブスクールも少しずつ注目され始めていますが、これが1割まで広がれば日本の教育もガラッと変わってくるはずです。
卓也:うわ〜〜〜、今、鳥肌が立ちました。1割まで広がれば、オルタナティブスクールも、公立学校や私立学校のように進学先の候補に挙がり始めるということですね。
蓑手:1割の世論が動けば、次第に公立学校でも柔軟な教育を取り入れる動きが始まると思います。現状、オルタナティブスクールの割合は約0.1%と言われていますが、実は、こうした学校をつくりたいと思っている人は山ほどいます。ヒロック初等部を1つのモデルとして、のれん分けのようにノウハウを提供できればと考えています。そうすれば、1割の道も現実的になってくるでしょう。
卓也:今まさに、その礎をつくっている段階なんですね。それは期待しちゃいます。前半の話を聞いて「日本の教育は終わったのか」と思ってしまいましたが、ようやく希望が見えました(笑)。
蓑手:危うく対談が終了するところでしたね(笑)。
(企画・文:田堂友香子、撮影:今井康一)