いよいよ新年度がスタートしましたね。1年の始まりはもちろん楽しみもありますが、どうしても不安が大きくなりがちだった気がします。その不安のいちばんの要素が「受け持つ学級の、特別な支援を要する子にどう対処していくか」ではないでしょうか。

今年2月、文部科学省の検討会議で「すべての教員が採用後10年程度の間に、特別支援学級の担任などの経験を2年以上積むことが望ましい」とする報告書案が了承されました。背景には、特別支援学校・学級に通う子どもが増加していることが挙げられます。その理由の1つに、学校に通う児童生徒における「発達障害」とされる子の割合が激増していることがあります。

現在の学校現場には、管理職を含め特別支援教育の経験者が不足しており、そうした現状を改善していく方針のようです。

私も14年間担任を務めてきましたが、どの年にも個性豊かな子がいました。その子を軸に学級の方向性を考え、全体に対してどう声をかけるかを綿密に考えて臨んでいました。さらに教員生活7年目から4年間は、特別支援学校で教鞭を執っていました。特別支援学校教諭免許状も取得し、その後大学院でも専門的に学びました。そんな経験が少しでもお役に立てば幸いです。

特別支援学校への突然の異動

2012年、初任校に勤務してから6年が経ち、異動の季節になりました。当時の私の立場だと、次の学校は都心に近い学校か僻地と呼ばれる地域、あるいは特別支援学級という選択肢でした。

校長室に呼ばれ、希望を聞かれました。通常学級で、もっと経験を積みたいと思っていた私は「申し訳ないですが、通常級でこれまで学んだことを生かしながら、力量を高めていきたいと思っています」と正直に話しました。校長も即答で「そうだよね、蓑手さんは通常級でやるのがいいよね。知り合いの校長先生に紹介しておくよ」と言ってくれました。

蓑手章吾(みのて・しょうご)
HILLOCK(ヒロック)初等部 校長
公立小学校で14年勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設(22年4月開校)。専門教科は国語。特別支援学校でのインクルーシブ教育や発達の系統性、学習心理学に関心を持ち、教鞭を執る傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士号を取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な東京・小金井の前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任するなどICTを活用した教育にも高い関心と経験を持つ。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)、共著に『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)などがある
(写真:蓑手氏提供)

それから数日経ち、教育委員会から辞令を預かってきた校長が、落ち着かない様子で私を校長室に招き入れました。「いやー、びっくりしちゃったよー。どこだと思う?」と聞かれ、「え!? わかりません……」と答えると「済美養護学校だって!」と。

私の頭の中は???でした。というのも、私が就職した時点ですでに「養護学校」という名称は使われていなかったので、「養護……保健室の先生?」というほどに困惑していました。詳しく聞くと、学校種の名称は「特別支援学校」となったものの、変更の煩雑さから当面は「養護学校」という名称でよいことになっているということを知りました。

特別支援学校。まったくもって予想だにしていなかった異動です。特別支援学級ならともかく、特別支援学校です。というのも、小中学校の教員は基本的には「市区町村立学校の教員」なんですね。特別支援学校は都道府県立。高校の先生でもない限りは、特別な事情を除いて異動するはずのない学校なのです。

訳がわからず困惑している私に、校長が教えてくれました。「東京には、市区町村立の特別支援学校が2校だけあるのよ。その1つが、杉並区立済美養護学校」。初耳でした。後で調べてみたのですが、確率にして1000人に1人。宝くじで1万円が当たるくらいの低さです。そして今思えば、この宝くじが私の運命を変えたのかもしれません。

マジョリティーが「普通」、マイノリティーが「特別」という幻想

「同じ学校の先生なんだから、何とかなるだろう」くらいに考えていた私の根拠なき自信が打ち砕かれるのに、何日も必要ありませんでした。

そこで展開されていた学びはむしろ「就学前の学び」に近く、私はそれまで「就学後の学び」しか知らなかったということを思い知らされました。そんな反省から、乳幼児心理学について学び直すとともに、大学に通って特別支援学校教諭免許状を取得し、さらに大学院で人間発達について理解を深めました。

当初は途方に暮れていた自分でしたが、学ぶにつれて試してみたいことが増えていきました。試すことで子どもたちの姿や関係性、成長に変化が見られ、改めて学ぶことの楽しさを実感できました。

そんなやりがいとともに、これまで自分が通常級で行ってきた実践に多くの疑問が湧いてきました。自分が当たり前のように努力を強いてきたことは、本当に正しいことだったのだろうか?子どものために行ってきた支援は、本当に子どものためになっていたのだろうか?と。

とくに考えさせられたのが、インクルーシブ教育です。現在、すべての通常級で特別な支援が講じられていると思います。私も特別支援学校に行く前までは「正義」として特別な支援をしてきましたが、そもそもマジョリティーや大人の理想を「普通」という言葉で囲い込み、マイノリティーに「特別」とレッテルを貼って目立たないようにしていること自体に違和感を感じるようになりました。

もともと人はみんな特別であるべきだろうし、普通やマジョリティーなんてそもそも幻想なのではないか。真にインクルーシブ教育を実現するには、通常級の改革が必須という結論に至った私は、3校目の異動で再度通常級に戻り、その後も試行錯誤しながら実践を重ねてきました。

一方で、特別支援教育に対して感じる違和感は、ペースを落として通常級の学びを追いかけさせようとしているものが多くあること。人より後れていると認識させられながら2倍、3倍の努力で追いつけるように強いられるのは誰だってつらいはずです。優劣やスピードではなく、すべての人が学びを楽しめる環境をつくれないのかというのが、目下自分の関心事であり、人生を懸けて探究していきたいテーマです。

もし4月から初めて特別支援を担当される方がいたら、ぜひ1人ひとりの特性や違いを、劣っているとか後れているという見方ではなく、自分が知らなかった1つのあり方としてフラットに受け取ってみてください。きっとその出会いが、自分の人生をより豊かにしてくれると思いますよ。

(注記のない写真:つむぎ / PIXTA)