どんな裁判だったのか
現役の公立学校教員が教育委員会、学校を相手に裁判に訴えるのは異例です。この裁判は、学校現場や教育行政にとって、たいへん耳の痛い教訓を含んでいる、と私は捉えています。
若手教員であった西本さんは、2017年度に世界史の授業、1年生の学級担任、ラグビー部の主顧問と卓球部の副顧問などを務めていました。これらだけでも忙しかったのですが、生徒をオーストラリアの姉妹校へ語学研修派遣する仕事がたいへんな重荷となりました。現地校とのやり取りなど、業務は多岐にわたるものでしたが、校長から頼まれ、西本さんはその責任者(国際交流委員長、17年度から)を引き受けざるをえませんでした。
こうした過重な業務とプレッシャーの中、西本さんは体調を崩し、17年7月下旬ごろには適応障害を発症していたとみられます。自殺願望も芽生えたといいます。原告(西本さん側)は、学校側が業務負担の軽減などの措置を取らなかったため、精神疾患を発症したとして、大阪府に損害賠償を求めました。
今回の判決は西本先生の個別事案について判断したものですし、下級審のものですから、最高裁判例と比べると、全国各地の学校、行政にどこまで言えるのかは、弱いところがあります。ですが、教育関係者がよくよく考えていかなければならないことの問題提起をしています。今回の裁判から学校、行政は何を学ぶべきか。以下、4点に整理します。
声かけや気遣う程度では、校長は責任を果たしたといえない
この裁判で大きな争点となったのは、校長に注意義務(安全配慮義務)違反があったかどうかです。安全配慮義務とは、労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を使用者は負っているという考え方です。最高裁判例でも認められた法理で、民間(私立学校などを含む)はもちろん、公務員にも認められます。
当時の校長は「体調は大丈夫ですか」「仕事の進み具合はどうですか」「仕事の配分を考え、優先順位をつけて効率的に業務を進めてください」などの声かけを西本さんに頻繁に行っていました。こうしたことから、安全配慮義務は果たしていた、と府・学校は主張しました。
この主張を裁判所は退けます。判決文から引用します。
「校長としては、声かけや面談などを行うだけでなく、原告の業務負担を改善するための具体的な措置を講じる必要があったというべきであり、声かけや面談などを行っただけでは注意義務を尽くしたとはいえない」
「仕事に優先順位をつけて、国際交流の業務を役割分担して進めてほしい旨アドバイスするにとどまり、原告の業務量自体を減らすものではなかったこと」から、「過重な業務負担の解消のために有効な配慮がされたとはいえない」
また、西本さんは17年5月以降、自身の過重負担を校長に何度も訴えていました。裁判所はこう述べています。
「このままでは死んでしまう」「もう限界です。精神も崩壊寸前です」「成績も授業も間に合わない。オーストラリアに行く前に死んでしまう」など、「追い詰められた精神状態をうかがわせるメールを受信しながら、漫然と体を気遣い休むようになどの声かけなどをするのみで抜本的な業務負担軽減策を講じなかった結果、原告は本件発症に至ったものと認められる」から、「校長には注意義務(安全配慮義務)違反が認められる」
こうした問題は、西本さんの当時の勤務校のみならず、程度の差はあれ各地にあることです。働き方改革の掛け声の下、校長や教頭が「そろそろ遅い時間ですし、帰りましょう」「ある程度仕事の優先順位を考えてください」などと呼びかけている学校は多いです。ですが、声かけにとどまっている例がほとんどで、教員間の業務の不均衡を放置している学校は少なくありません。
石川県教育委員会では21年に公立の小・中学校、義務教育学校、県立の高等学校、特別支援学校に実施した教職員意識調査を行っています。「業務の偏りが配慮されているか」という質問に対して、肯定的な回答は2割ほどにすぎず、「思わない」「あまり思わない」は約半数を占めます。とりわけ、月80時間の過労死ラインを超えて働いている教員の約7割は、配慮されていないと感じています。
横浜市立学校のデータでも、業務が属人化(その人がいないと、仕事が回らない状態)している職場や特定の人に業務が集中している職場では、そうではない職場よりも在校時間が長い傾向にあることが確認されています 。※1
※1辻和洋・町支大祐(2019)『データから考える教師の働き方入門』毎日新聞社出版pp.95-97
校長は教職員の負担軽減や役割分担を見直す場を設けて活用するべき
今回の裁判や前述の調査結果などから示唆されるのは、かなりの学校において、組織マネジメントも労務管理も十分には機能していない可能性が高いということです。
だからといって、校長がトップダウンで一方的に指示するだけでは、学校という職場の多くではうまくいかないでしょう。「この仕事はこうしなさい。あの仕事はほかのメンバーとこう分担してください」などと、事細かなところまで指示されたくないと思っている教職員は多いと思います。校長らは「管理職」なのですが、仕事の仕方などを「管理」されたくないと思っている教職員は少なくありません。一方で、健康を害するほど過重負担がかかっているのに、管理職が放置しているというのでは困ります。
教職員の裁量や自由さを大切にして、創造性の発揮を促すことと、健康管理上必要な措置を講じること、この両立を図ることは難題ですが、とても大切なことです。
どうしていけばよいか、判決では具体的な内容までは言及していませんし、そこは法律論ではなくて学校経営の問題ですが、解の1つは、トップダウンとボトムアップを組み合わせることではないかと私は考えます。例えば、校内研修や衛生委員会などの場で、教職員の対話と議論を促しながら、業務負担の軽減や役割分担の見直しなどを進めることです。実際、そうして改革・改善を着実に進めている学校もあります。
学校は過剰にサービス、仕事を増やしてはいないか
さて、学校に限らず、企業や官庁でも、特定の人に仕事が偏りがちな問題は起きています。ですが、今回の訴訟の西本先生については、1カ月の時間外勤務時間が100時間を超えるときも多くあり、異常な水準でした。そのことを校長、教頭らも認識していました。
とりわけ高校では、小学校と異なり、担当授業コマ数は比較的恵まれていますが、進路指導関連(補習や模試を含む)や部活動、特色ある教育活動等(本件のような海外研修など)で、特定の教員に過度な負担がかかるケースは多々あります。私立などとも競争しているので、どうしても、学習指導要領が求めている以上に教育サービスを拡大させがちです。
指導要領の内容を超えて各学校で取り組むことは、必ずしも悪いことではありませんし、各校の特色づくりや魅力化は大事なことです。ですが、教職員の健康を犠牲にしてよいものではないはずです。
そもそも、ここまで過重な業務負担を課すサービスを高校などが行うべきかどうかという検討が必要です。本件でいうと、生徒の一部(20人ほど)しか参加できないオーストラリアでの語学研修に、若手教員に過労死などのリスクを高めるほどの負荷をかけるというのは、ベネフィットと比べて、コストとリスクが大きすぎるのではないでしょうか。
例えば、英語や総合的な探究の時間などに、オンラインでつないで交流するといった程度であれば、ほかの生徒も参加できますし、負荷もおそらく小さいでしょう。海外でしか体験できないよさもあるとは承知していますが、それは家庭や学校外のサービスで行えばよいのではないでしょうか(経済的な支援などは行政が行ってよいでしょうが)。
また、業務や行事そのものの必要性の検討に加えて、今回のような仕事の配分や分担の仕方でよかったのかどうかも、検証が必要です。西本さんのように若手教員や異動してきたばかりの教員は断りにくいということで、重い仕事を任せられることは、各地で起きています。しかも、西本さんは世界史の担当であり、英語科でもありませんでした。
記録はとても大事!
最後に、この訴訟からは記録の重要性がひしひしと伝わります。西本さんの勤務校ではタイムレコーダーがあったことが大きいです。こうした記録がない場合、校長は教員の過重労働を認識しえなかったなどと、責任逃れをされかねません 。※2
また、休日の部活動等の特殊勤務手当の申請書なども、休日にどれほど従事していたのかの証拠となりました。あるいは前述のとおり、メールでの訴えで、校長は業務の過重性を認識していたことが明らかでした。こうした点からも、勤務記録の過少申告などは大問題です。
以上4点に整理しました。一人の高校教師が実名で顔も出して訴えことを、私たちは重い教訓として受け止めていく必要があると思います。
※2妹尾昌俊・工藤祥子(2022)『先生を、死なせない。教師の過労死を繰り返さないために、今、できること』教育開発研究所
(注記のない写真:takeuchi masato / PIXTA)