YouTubeも見られないのはなぜか
ここ2週間ほどの間に、たまたまある2県で似た話を聞いた。
A県では、研修会が動画配信となったのだが、YouTubeにアクセスできない学校があるので(市町村によってできるところもあれば、禁止のところもある)、研修担当者が動画をDVDに焼いて配布するという。
B県には、参加できる人だけでZoomによる研修会をして、その録画情報を後日視聴してもらったらよいと、講師の私から提案したのだが、やはりYouTube禁止の市町村があるため、研修会自体を中止にするとのこと。
新型コロナウイルスが広がって、もう1年半以上になる。全国一斉休校のときに、多くの教育関係者(教育委員会、学校、保護者ら)は、痛いほど学校のICT整備の脆弱さと、先進事例などでの活用効果を実感したと思っていたのだが、いまだ、YouTubeすら見られない自治体があるというのは、正直驚いたし、少々あきれてしまった。
しかも、児童生徒向けではなく、教職員向けなのがである。
調査をしていないので、こういう例が多いのかどうかはわからない。とはいえ、私がSNSでつぶやいたところ、ほかの地域でも禁止しているところがあるという。正確には、教育委員会または市区町村などの情報担当課の規制で、1. YouTubeを含むさまざまなウェブサイトの閲覧・使用が禁止されている、2. 一部のサイトは禁止されているが、教育目的などを申請すると許可される、3. 禁止されていない、などいくつかのケースがあるようだ。ちなみに、つい最近まで外部のネットにつながるのは職員室にある数台の端末のみ、という学校もあった。
自由を制限するのは必要最小限にするべき
一部の教育委員会は、自分たちの仕事を「必要以上に管理すること」だと思い込んでいるのだろうか。「ともかく禁止しておけばよい」というのは、厳しい言い方をすれば、思考停止に近いのではないかと思うのだが。
類似事例は、2019年に教員のスマホは原則として職員室から持ち出し禁止というガイドラインを作った浜松市教育委員会だ。盗撮など不祥事が起きたことへの対策ということだったが、その必要性はあったのか。また、対策として効果はあったのだろうか。
もっと多いのは、メールの添付ファイルをzip形式で送信する例だ。送信者、受信者ともに面倒な作業が加わる。パスワードを別メールで送ってくるが、そのメールも外部から読み取られる可能性があるので、セキュリティー対策になっていない(専門家の中にはむしろ脆弱になっているとの指摘もある)。これでは、何のためのルールかわかったものではない。
事前規制でがんじがらめにすることで、失われるものや手間・コストが増大するデメリットもある。本来は、規制による効果は高いかどうかと、規制による逆効果、副作用、問題などを考えて、ルールの必要性などを判断するべきだ。
以前、ある法学者が「法は過去の失敗の蓄積だ」と話してくれたことがある。これまで起きた悲しい事件や悔やまれることの反省を踏まえて、法令はできている。必要性の高い禁止は、すでに法令になっているはずだ。それ以上の規制をするなら、よくよく慎重に考えねばならない。
やや大げさかもしれないが、人類の歴史を振り返れば、権力は暴走しやすく、市民の自由を制限するほうに働きやすい。教育の狙いの1つには、そういうことを警戒して、自ら考え行動できる市民を育てることにあるはずだ。
校則の問題などにも同じことはいえるが、自由を制限することへの配慮が足りない人たちが教育者でいてよいのか、私には甚だ疑問だ。
なぜ、YouTubeを禁止し続けるのか?
なぜ、一部の教育委員会はいまだにYouTube禁止なのだろうか。
ここでは4点ほど想定して検討してみたい。なお、「首長部局が禁止しているので、教育委員会の責任ではない」と言いたい人もいるかもしれないが、その気になれば教育委員会のほうで首長や情報担当と交渉してルールは変えていけるはずだから、その言い訳は取り上げない。
第1に、動画の視聴やアップロード・配信は、業務上必要ない、業務と関連がない、と教育委員会が捉えている可能性だ。
だが、ほとんどの教育委員会の関係者も知ってのとおり、文部科学省でさえYouTubeチャンネルを開設して、さまざまな情報を発信しているし、国の教職員支援機構をはじめ、さまざまな研修動画などもYouTubeにアップされている。また、休校(臨時休業)や学級閉鎖が起きたときに、先生たちが授業動画や応援メッセージなどをYouTubeに上げる例もあった。業務と関係ないという理由では、禁止の必要性を説明できないと思う。
第2に、1点目とも重なるが、業務と関係ない動画視聴などで、要するに……サボる教職員がいるので、という理由だ。
だが、これもよく知られているように、公立小中学校などでは、休憩時間もまともに取れないほど、多くの教職員は多忙だ。動画はおろか、新聞やニュース記事すらゆっくり読めないという先生たちも多い。それに、職務怠慢な人がいれば、それは公務員の職務専念義務違反なり信頼失墜行為で処罰の対象となりうる。つまり、すでに法令等で規制があるのに、さらなる規制をかけようとしているのだ。
第3に、教職員に自由にネット利用を認めると、個人情報や機密情報の漏洩、著作権侵害など問題を起こしかねないから、という理由だ。
確かに警戒するべき問題だが、さすがに安易にアップする人はそういない。それに、児童生徒向けもそうだが、禁止するよりも、賢い使い方をしっかり学んでもらうことが大切だ。禁止一辺倒ではなく、注意点などを周知、研修することが先ではないか。また、2点目と同様で、問題行動には処罰などを行えるので、禁止を上乗せする必要性は低い。
最後となる第4に、ルールを変えるのが面倒だから、という理由だ。ひょっとすると、これがいちばん大きいのかもしれない。
教育委員会に対する不信につながる場合も
禁止一辺倒の姿勢では、根本的な問題は解決しないどころか、むしろ別の問題を増やす。
私がYouTube禁止などで、いちばん大きな問題だと思うのは、「教育委員会は教職員のことを信頼していません」あるいは「教育委員会は学校現場の苦労や創意工夫にあまり関心はありません」というメッセージになりかねないことだ。
つまり、教育委員会と学校(教職員)との信頼関係に亀裂が生じてしまっている危険性を心配している。
この手の禁止がなくても、教育委員会からさまざまな指示や文書が届くたびに、教職員からは「教育委員会は学校現場のことをわかっていない(わかろうとしていない)」という声がたびたび聞こえてくる。そして、教育委員会に言っても無駄だからといって、現状を変えることを諦めてしまう教職員も少なくない。不信は無気力につながる。
子どもたちに主体性や問題解決力、情報活用力などが大事だといっても、大人の側がこれでは、うまくいくはずがない。
(注記のない写真:iStock)