類似事例は、2019年に教員のスマホは原則として職員室から持ち出し禁止というガイドラインを作った浜松市教育委員会だ。盗撮など不祥事が起きたことへの対策ということだったが、その必要性はあったのか。また、対策として効果はあったのだろうか。
もっと多いのは、メールの添付ファイルをzip形式で送信する例だ。送信者、受信者ともに面倒な作業が加わる。パスワードを別メールで送ってくるが、そのメールも外部から読み取られる可能性があるので、セキュリティー対策になっていない(専門家の中にはむしろ脆弱になっているとの指摘もある)。これでは、何のためのルールかわかったものではない。
事前規制でがんじがらめにすることで、失われるものや手間・コストが増大するデメリットもある。本来は、規制による効果は高いかどうかと、規制による逆効果、副作用、問題などを考えて、ルールの必要性などを判断するべきだ。
以前、ある法学者が「法は過去の失敗の蓄積だ」と話してくれたことがある。これまで起きた悲しい事件や悔やまれることの反省を踏まえて、法令はできている。必要性の高い禁止は、すでに法令になっているはずだ。それ以上の規制をするなら、よくよく慎重に考えねばならない。
やや大げさかもしれないが、人類の歴史を振り返れば、権力は暴走しやすく、市民の自由を制限するほうに働きやすい。教育の狙いの1つには、そういうことを警戒して、自ら考え行動できる市民を育てることにあるはずだ。
校則の問題などにも同じことはいえるが、自由を制限することへの配慮が足りない人たちが教育者でいてよいのか、私には甚だ疑問だ。
なぜ、YouTubeを禁止し続けるのか?
なぜ、一部の教育委員会はいまだにYouTube禁止なのだろうか。
ここでは4点ほど想定して検討してみたい。なお、「首長部局が禁止しているので、教育委員会の責任ではない」と言いたい人もいるかもしれないが、その気になれば教育委員会のほうで首長や情報担当と交渉してルールは変えていけるはずだから、その言い訳は取り上げない。
第1に、動画の視聴やアップロード・配信は、業務上必要ない、業務と関連がない、と教育委員会が捉えている可能性だ。
だが、ほとんどの教育委員会の関係者も知ってのとおり、文部科学省でさえYouTubeチャンネルを開設して、さまざまな情報を発信しているし、国の教職員支援機構をはじめ、さまざまな研修動画などもYouTubeにアップされている。また、休校(臨時休業)や学級閉鎖が起きたときに、先生たちが授業動画や応援メッセージなどをYouTubeに上げる例もあった。業務と関係ないという理由では、禁止の必要性を説明できないと思う。
第2に、1点目とも重なるが、業務と関係ない動画視聴などで、要するに……サボる教職員がいるので、という理由だ。
だが、これもよく知られているように、公立小中学校などでは、休憩時間もまともに取れないほど、多くの教職員は多忙だ。動画はおろか、新聞やニュース記事すらゆっくり読めないという先生たちも多い。それに、職務怠慢な人がいれば、それは公務員の職務専念義務違反なり信頼失墜行為で処罰の対象となりうる。つまり、すでに法令等で規制があるのに、さらなる規制をかけようとしているのだ。
第3に、教職員に自由にネット利用を認めると、個人情報や機密情報の漏洩、著作権侵害など問題を起こしかねないから、という理由だ。


















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