GIGAスクール構想の下、全国各地の小中学校等では、1人1台端末がやって来ました。コロナ危機の情勢も鑑みて、全国一斉に、急ピッチでICTの環境整備が進んだわけですが、利活用についてはどうでしょうか。地域間や学校ごとの差が広がっているように見えます。
※高等学校などは端末の整備にも地域差や学校間の差があります

広がる学校間格差、教師間の差も大きくなっている

学校や教科、先生にもよりますが、日常的にICTを使って、個々の子どもたちの習熟度や個性に応じた学びを進めているところでは、「ICTはマストアイテムだ」という言葉を先生たちからよく聞きます。

一方で、私がこの4月に聞いたある学校では、端末は来たものの、まだ箱から出してもいない状態でした。また、授業ではたまに使うけれど、家庭への持ち帰りは考えていないという学校、教育委員会は今でも少なくないようです。

そもそも、ICTの活用自体が目的ではありませんから、利用しているかどうかだけでなく、授業(あるいは家庭学習等)の中身にも注目する必要があります。読者のみなさんの学校(勤務校やよく知る学校)はいかがでしょうか。

妹尾昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、合同会社ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年から独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱のほか、埼玉県、横浜市、高知県等)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において、部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員も務めた。Yahoo!ニュースオーサー、教育新聞特任解説委員、NPOまちと学校のみらい理事。主な著書に『教師と学校の失敗学 なぜ変化に対応できないのか』(PHP新書)、『教師崩壊』(PHP新書)、『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』(教育開発研究所)、『学校をおもしろくする思考法 卓越した企業の失敗と成功に学ぶ』(学事出版)、『変わる学校、変わらない学校』(学事出版)など多数。5人の子育て中

授業の大半は先生が黒板に書いて説明したことをノートに写す、そして、勉強ができる、あるいは先生の意図をくみ取るのが上手な一部の児童生徒だけが発表するという昔ながらの授業風景の学校も少なくないようです。コロナ禍のせいもあって対話的な学びがトーンダウンしている教室もあると聞きます。

ベネッセの昨年度の調査(休校明け~1学期)によると、「教師主導の講義形式の授業」「教科書どおりに教える授業」を「よく行った」という小学校、中学校はそれぞれ5~6割でした。また、「ときどき行った」という学校も合わせるとそれぞれ9割近くに達します。小学校では「計算や漢字などの反復的な練習」も多いようです。

「自分で決めたテーマについて調べることを取り入れた授業」を「よく行った」小中学校は1割に満たず、「グループでの話し合いを取り入れた授業」「体験することを取り入れた授業」を「よく行った」小中学校も2割未満です。

以上は昨年度の調査なので、直近はどうなっているのかはわかりませんが、ICTを活用するかどうかのみならず、日常的な学び、授業についての考え方と実践に、学校間あるいは教師間の差が大きいことが推測されます。

教育・学びの3つのパラダイム

新しい学習指導要領になっても、その理念を具体化する実践がどれほどの学校で広がっているだろうか。そこは楽観視できないように思います。

実は、日本と似たような教育改革は、世界中の少なくとも多くの先進国で進行中です。もちろん、さまざまな違いはありますが、大きな流れ、動向としては共通点も見られます。香港の教育学者Yin Cheng氏は3つのパラダイム(ものの見方)に分けて考えることを提唱しています。

第1の波のパラダイムでは、国が決めたことを各学校は着実に実施すること、その中で改善を図ることなどが重要視されてきました。この時代は比較的先の見通しが立ちやすい社会でしたから、計画どおりに進めることで大きな問題はそう生じなかったのでしょう。

しかし、第1の波が進むにつれ、学校は十分に保護者や社会の期待に応えられていないのではないかという不満が生まれてきます。また、財政的な制約もあり、教育費を抑制しようとする圧力も高まり、効率性などがいっそう求められるようになっていきます。そこが第2の波です。児童生徒、保護者、納税者らのステークホルダーのニーズに学校はいかに対応するかが問われました。

第2の波は、新自由主義的な考え方とも親和的で、競争原理を働かせることで公教育を変革しようとしました。具体的には、学力テストを含むさまざまな評価やモニタリングに基づく説明責任の履行、学校選択制などの導入の動きなどです。米国などでは公立学校の民営化も進みました。

第2の波、教育改革には効果もありましたが、学校や政策担当者が短期志向になりやすく、またマーケット志向が強すぎたため、教育の中核的な価値が損なわれるケースもありました。例えば、学力テストの得点を過度に意識するあまり、その対策だけの授業や不正が起きたことなどです。

そして、Cheng氏によれば今世紀に入ったころから強まったのは、第3の波です。そこでは、生涯にわたって学び続ける力を育むため、多面的な資質・能力を高めることが強く意識されています。

ICTの利活用も、この3つのパラダイムのどこに立脚するかで変わってきます。第1の波では、ICTは教師が生徒に知識を伝えることを効率的、効果的に行うためのツールという性格が強くなります。第2の波では、ステークホルダーに説明責任を果たすためのツールという位置づけにウェートが置かれます。

対照的に、第3の波ではICTはイノベーティブな技術であり、教室の中や同じ先生と児童生徒だけで学ぶという従来の境界線を超えた学びを実現するものです。

古いパラダイムのままではICTはイノベーティブに使えない

もっとも、3つの波はそう明確に区別できない部分もあるでしょうし、混在しえます。ただし、どちらによりウェートを置いた教育活動や教育改革なのかという点は注目していく必要があると思います。

読者の皆さんに問いたいのは、皆さんのよく知る学校(勤務校や保護者等として関わりのある学校)では、3つの波のうち、どちらがより強いでしょうか。ある先生の声を例示します。

A先生:現場で大事なのは理想論じゃありません。大学受験(あるいは高校受験)にしっかり対応できる授業をやらなくちゃ。結局進学実績で、生徒募集が変わってきちゃうわけですし、生徒も保護者も、いい学校に進学できることを求めているわけですから。生徒の興味・関心が大事なのはわかるけど、探究なんて時間を取るよりは、入試の過去問をやったほうがいいですよ。

B先生:うちの生徒はまだまだ基礎力が足りなくて、それで穴埋め式のプリントを配っているんです。授業中に端末ばかり触らせておくと、授業をまともに聞かなくなりますよ。

それぞれの言わんとしていることも理解できなくはないですが、いくつか問題もありそうです。

A先生は、第2の波のパラダイムに近いと思います。生徒、保護者の期待に応えたいという気持ちは悪いことばかりではありませんが、生徒が自律的な学習者になるという視点は弱いです。中学、高校のころから学びに向かう力を高めていくことの重要性を過小評価しています。あるいは、大学入試、高校入試という決められたレールを走るために、生徒は教師の言うことを黙って聞いていればいいんだという側面も推測され、第1の波に近い部分もあります。

B先生は、第1の波のパラダイムに近いです。生徒を受動的な存在として受け止めていて、教師の持つ(あるいは教科書にある)知識を授けるということを重視しています。

皆さんもお気づきになったかもしれませんが、A先生やB先生の下では、ICTをイノベーティブに使うということは起こりにくいでしょう。おそらく、教師が指示したときだけ、授業のごく限られたときや進学希望先を調べたりするときだけ、ICTは利用され、子どもたちの好奇心や個性を高めるものとはなりません。

3つのパラダイムを参考にしつつ、授業を見てみると、いちばんわかると思います。単にICTを使っているかや、見栄えのよい授業かどうかが大事なのではありません。教師が、そして子どもたちが学びや、授業にどのような考え方で臨んでいるのかが問われています。

(写真はすべて妹尾氏提供)