社会と教育界を行き来できるモビリティーの高い仕組みが必要

――現在も、さまざまな企業の経営に携わられていますね。

いろいろな案件が並行して動いていて、とても忙しい毎日を過ごしています。まずは自分の会社であるサイバーアイ・エンタテインメントでの仕事、そして昨年からはAI開発のスタートアップ企業であるアセントロボティクスのCEOとして若い経営陣をサポートしています。また、楽天をはじめとした社外取締役としての仕事、あるいは複数の会社のアドバイザー、そして大学の先生などさまざまな仕事をしています。

そうした仕事を通して、現在の日本の状況を見ていると、非常に厳しい状況にあると感じています。例えば、アセントロボティクスが手がけているAIロボットの世界を見ていると、日本は米欧中に大きくリードを許している状況にあるのです。

――産業用ロボットなど、日本のロボット産業は高い競争力を持っているイメージがあります。

日本のロボット産業は30年前と変わっておらず、先進的なAIロボットの分野では立ち遅れているのです。例えば、3次元の画像認識をする3Dのロボットビジョンシステムでは、欧州、それもスロバキアといった意外な国の企業がリードしています。今テクノロジーの世界では、まさに大国だけではない群雄割拠の状況にあるのですが、なぜ海外ではそれほど技術進歩が盛んなのか。それはアカデミズムの世界の人々が、社会実装できる技術をどんどん開発しているからです。

一方、日本企業は独自開発を進めているものの、垂直統合型のビジネスに固執して、海外のようにベストプラクティスを集積できるようなオープンなプラットフォームを構築できるまでには至っていないのです。最近注目されているデジタルトランスフォーメーションも、同じような理由で日本企業は後塵を拝しています。今こそ、日本でも誰かが風穴を開けなければならないと感じています。

――閉塞した状況に風穴を開ける、新たな価値を提供できる人材が必要だと思いますが、なぜそうした人材がなかなか生まれてこないのか。経済界から見て、日本の教育の課題は何だとお考えですか。

そもそも日本の教育は、明治時代からのレジーム(体制)を戦後に大転換しました。しかし、その戦後レジームが70年以上経った今でも“残っている”のではなく、“堅持されている”ことが大きな問題だと考えています。そうした旧弊な体質が残っているのが教育界です。むろん経済界も似たような状況にありますが、教育界はもっと変化してもいいはずです。

例えば、子どもたちは塾の先生は話が面白いとよく言います。塾の先生はいろいろな経歴の方がいて、話もうまく、子どもの面倒見もいい。ならば、教職員の育成においても、大学を卒業してそのまま先生になるのではなく、一度社会を経験してから改めて先生になってもいいのではないか。社会と教育界を行き来できる。そんなモビリティーの高い仕組みをつくることも必要だと考えています。

これからの教育の目的は、個性や考える力を伸ばすことにある

――教育界も新学習指導要領の導入やGIGAスクール構想などさまざまな新しい改革に着手しています。

確かに新たな動きは見られます。ただ、それはあくまで手段であって、目的ではないのです。子どもたちにタブレットを与えて終わりではないはず。そもそも今の子どもたちは生まれた時から、便利なデジタルツールに囲まれた生活を送っており、世の中はさらにその先を行っています。しかし、指導する先生はデジタルツールがない時代に育ったため、必ずしもその価値に重きを置いていない。そのせいか、教育のICT化も私には手段を目的化しているように見えてならないのです。

――では、どうすればいいのでしょうか。

ICTはすでに身の回りにあるのだから、子どもたちは自然に使えるようになります。むしろ、これからの教育の目的は、それぞれの子どもたちの個性や考える力を伸ばすことにあると思います。これまでのように記憶力を鍛えることは、幼少期には脳を活性化するために大事なことですが、中学や高校になっても記憶力ばかりを問う教育システムでいいのか。それよりも多様な視点やコンテクスト、論理的思考や洞察力を磨く教育をすべきです。

久夛良木健(くたらぎ・けん)
サイバーアイ・エンタテインメント 代表取締役社長兼CEO、アセントロボティクス CEO
1975年ソニー入社。93年ソニー・コンピュータエンタテインメント設立。「プレイステーション」「プレイステーション2」「プレイステーション・ポータブル」「プレイステーション3」などを生んだ。99年代表取締役社長、2006年代表取締役会長兼グループCEO、07年名誉会長。2000年からはソニー取締役にも就任し、03年副社長兼COOを務め、07年に退任。09年自身の会社であるサイバーアイ・エンタテインメントを設立、代表取締役社長兼CEOに就任。そのほか現在、楽天、スマートニュースなどの社外取締役も務める。電気通信大学特別客員教授、東京理科大学大学院上席特任教授。22年4月に開設予定の近畿大学情報学部の学部長に就任予定

そのためにも、子どもたちが持っている好奇心や能力を引き出し、サポートしていく。しかも、個別に、あるいは議論しながら、育んでいく教育が必要なのです。むろん、そうした教育に着手している学校も少なくないのですが、依然、公立校では遅れているように見えます。

僕たちのような戦後世代は大量生産大量消費の時代に育ち、均一な知識、考え方を教えられ、予測可能な未来を担う人材を育成する方針がとられました。そんな時代はもう終わったのです。しかし、今の教育界ではそんな旧弊な教育方針をおかしいと思っている人がいても、なかなか変えることができない。それが大きな問題なのです。

同じタイプの人間ばかり集まっていては改革ができない

――久夛良木さんは、22年4月に開設予定の近畿大学情報学部の学部長に就任されるご予定です。学部長になったらどんなことに取り組んでいきますか。

まず考える力を養う教育を行っていきたいと考えています。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、今も学生たちは大学に入るまでの受験勉強型の教育の影響が残っています。そこを一回解きほぐさなければならないと思っています。また、大学はいろいろな勉強ができる、とても楽しい場所であることを学生たちと共有していきたい。そして、さまざまなプロジェクトをつくって、チームとして動けるように学生たちを巻き込んでいきたい。とにかく学生たちに「大学はつまらない」と感じさせたくないのです。

新学部では、海外の大学や研究者とコミュニケーションを取りながら、いろいろなことをコラボしてもいい。これは企業では当たり前のことです。しかし、それが今の大学では必ずしもできていない。狭いヒエラルキーの中で動いているように感じます。だからこそ、学生だけでなく、先生たちも伸び伸びと教鞭(きょうべん)が執れるようにしたり、研究室から何か仕掛けたりすることができるような環境をつくっていきたいですね。

――ビジネスで培った経験を大学でどう生かしていこうとお考えですか。

僕がCEOを務めているアセントロボティクスの社員は、国籍も出身大学もバラバラです。日本企業では出身大学をよく話題にしますが、僕はソニー時代から、誰がどこの大学出身なのか気にしたことは一度もありません。自分も問われたことはないし、話のネタになったこともありません。ソニーでは、学歴もキャリアパスも気にしなかった。大事なことは面白い仕事をするかどうか。私も近畿大学情報学部では、面白いことをやりそうな先生と学生をたくさん集めて、いろいろなことにトライして、面白いことをやっていきたいと考えています。

近畿大学 情報学部では1年次の共通教養科目をすべてオンデマンド配信で、必修科目は対面授業で実施。2年次からはライブ配信の授業を活用するなど多様な形態で授業を行う予定だ。並行して1〜3年生まで1クラス10名程度の少人数ゼミを対面授業で毎セメスター開催し、卒業研究につなげるという

――日本の大学では理系の志望者が少ないといわれていますが、どう評価されますか。

日本で言う理系とは、工業系の意味合いが強く、本来の意味でのサイエンスには程遠いように見えます。しかも今の大学の工業系は、インダストリー3.0あたりで止まっているような感じがします。AIやIoTといった最新テクノロジーが浸透していく中で、過去に栄えたテーマを今教えてどうするのか。実際、サイエンスの世界で今ホットな領域は、残念なことに日本が遅れている分野です。こうした状況を改善してくためにも、最先端テクノロジーに関わるサイエンスをもっと教えていくべきです。

さらに言えば、これから文系、理系と分けることも意味がなくなっていくと思います。今、新たなテクノロジーを生み出していくには、新たな枠組みでの文系、理系の両方の知恵が必要になってきます。現在のスタートアップ企業では、とくに文理が融合した発想が重要です。大学でもそんなスタートアップのチームをつくれるようなフレームワークができればいいと思いますね。

――最新テクノロジーを生み出すような人材を育成するにはどうすればいいのでしょうか。

いろいろな大学や企業、研究者ともっとコミュニケーションが取れる場をつくるべきでしょう。それがまさにかつての米国のシリコンバレーだったわけです。名門のアイビーリーグが集まる東海岸と比べ、西海岸はスタンフォード大学とカリフォルニア工科大学くらいしかなかった。そこにいろいろな人が流入してきて、大学や企業が人材交流をしながら一大テクノロジー拠点を生み出すことになった。そのモデルが今、世界中に広がっているわけです。

いわゆる最新テクノロジーを生み出すエコシステムを構築していくには、モビリティーの高い組織や場所をつくる必要があると思っています。日本の大学でも、学生が一時休学してもいいからスタートアップやプロジェクトに関われるような仕組みをつくったほうがいい。

大学では、学問も大事ですが、文化や考え方、多様性、コミュニケーション能力も同様に学ぶべきです。とくに日本人は自分のことを相手に伝える能力が不得手です。海外と伍していくには、やはりコミュニケーション能力は欠かせません。

――なぜ日本の大学ではなかなか改革が進まないのでしょうか。

やりたいことと、やれることの間にまだ多少障壁があるのかもしれません。やれることなのに、やらせてもらえない場合や、やりたいことがあるのに、どのような枠組みでやっていいのかわからない場合も多い。これは企業も大学も同じですが、同じタイプの人間ばかりが集まっているところはなかなか改革ができないのです。そうした課題を解消するためにも、多様性を意識したチームをつくり、チームプレーでさまざまな要件をマッチングさせ、組み合わせることのできるプロデューサーが大学にも必要で、僕はそっちに回りたいと考えています。

――これからが楽しみですね。

いろいろと注文をつけてきましたが、基本的には皆さんと一緒に未来をつくりたいという思いがあります。それも日本に限らず、人類の未来をつくりたいのです。そのためにも、まずは枠を外して考えてみることが大切です。多くの人は考えるときに、所属している組織などの狭い枠をつくって、その中で何とか頑張ろうとする。

しかし、基本に立ち返って、一度枠を外して考えてみることが大事なのではないでしょうか。すべての人には子どもの頃の夢や、将来こうなりたいという希望があったはずです。もっと自由に発想して、目標に向かって一人で抱え込むのではなく、皆とよくコミュニケーションしながら取り組んでいく。社会で同じことを考えている人とコミュニケーションを始めてほしいのです。どこを卒業したとか、どこの研究室にいたとかは、あまり意味がない。バイネーム、バイチームで認識される人を輩出していきたいですよね。そういえば、近大の情報学部にいたよね、というのがいいと考えています。

(写真はすべて近畿大学提供)